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その猿はハハハと嗤う。  作者: 昊ノ燈


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8/10

7.純粋な喜びのひとつは、勤労後の休息である②

 他愛もない会話が一段落し、夜らしい静けさが訪れた後、雅はポツリポツリと言葉を溢しはじめた。


「なんで……アダムは、消えちゃったんだろうね……」


 おそらく、アダムというのは、事件の被害にあって行方不明な猿の名前だろう。

 新庄は、残り少しとなったニ缶目のチューハイをクピリと口にしながら、何も言わず聞いていた。

 雅は、先程までのハイテンションが嘘のように淋しげな面持ちで、いつの間にか取り出していたチョコプレッツェルを一本を口に運びながら続ける。


「……知ってるよね。お猿さんが消えた事件。誘拐かなって話もあったんだよ。……アダムっていうのは、そのお猿さんの名前なんだ……。どこに消えちゃったんだろ…………」


 言いながら差し出されたチョコプレッツェルを一本受け取り、口に運ぶ。メジャーなチョコプレッツェルと比べて、太めのプレッツェルと肉厚な激甘チョコのコーティングが、意外とチューハイにあう。


「これ、ポッ◯ーの偽物なんだけどさ、結構好きなんだよね。安いし」


 安物チョコプレッツェルとチューハイの意外なハーモニーを楽しんでいる新庄を、微笑で見た後、雅は新しい缶を開けた。


「エヘヘ、四缶目〜。やっぱり、持つべき者はストック好きな幼馴染よねぇ」


 えっ?他人の酒?ちょ。

 お金を払うと言う言葉を遮って、雅は次の缶を差し出してくる。

「ヨッチャン良い人だね。もう一本、いこっ」


 差し出されるままに、抵抗せずに今の缶をあけて、差し出された缶をあける。


「消えたアダムも良いお猿さんだったんだよ。あっ、お猿さんと一緒にしてゴメンね」


 新庄が首を振るのを見て、続ける。


「……犯人、分からないんだ。どこから入ったのかも分からないし、凶器も見つかってないんだって。なんでお猿さんを盗む必要があったの?アダムが何かしたの?」

 実験動物の猿を『お猿さん』と呼ぶ雅は、可愛かった。


 ふと、目を檻の向こう側に向ける。

 六畳程の比較的広い檻の中、右隅に無造作に置かれた茶色い毛布と緑色の毛布の中で一頭の猿が寝ている。上の方には、猿の遊び用か横木が数本渡されていて、その真ん中辺からタイヤが吊るされている。まるでパンダの遊び場の様。


「彼女が『イブ』、アダムの奥さんだよ。優しそうな顔してんだけどね、意外と気が強いのよ」


 猿の優しそうな顔っていうのが分からないけど、そうなんだろう。それにしても、アダムとイブ、『創世記』か?確か旧約聖書の。


 こちらからは背中しか見えないのは惜しいが、その小柄な背中は丸く丸まり、切なさを醸し出している。

 そんな事を思うのは、俺が事件があった事を知っているからだろう。猿に哀愁を感じるなんて、ガラでもない。


「イブがね、抱きしめている茶色い毛布、アダムがいつも使ってた毛布なんだよ…………」


 次第に小さくなっていく雅の声。

 左手で掴んだ檻の柵。半身を乗り出した顔の下に染みがつくられていく。一滴、二滴。


「俺、いや、僕、いや、自分は、新庄義貴。二十七才、男、独身。O県出身。三条大学を卒業。現在は三板計測機器株式会社で営業をしております。趣味は、読書と映画鑑賞」


 ちょっと声が大きすぎたのか、視界の端でイブがこちらに首をもたげて、怪訝な顔をして、再び向こうを向いた。

 猿の怪訝な顔って、意外と分かるもんなんだななんて思いながら、雅を見つめ続ける。


 突然の自己紹介に、雅は一瞬呆けた顔を向けた後、笑顔に変わる。


「私は、後藤雅。二十一才、女性。彼氏無し。Y県出身。この大学で動物生態学を専攻しています。趣味は、動物園巡り。──って、フフフ、何コレ!」


「えぇと、何となく?」

「なんで疑問形なの?」

「だから……何となく?」


 本当は、君に笑って欲しかったから、とか言いたかったけど、格好つけれずに疑問形で返した。でも、ちゃんと乗ってくれた雅は、笑顔だ。頬に残る涙の跡が、とても可愛らしく感じる。


「プッ──アハハハ。新庄さん、やっぱり良い人だ〜。でも、趣味が読書と映画鑑賞なんて、本当に居るんだ。昭和?昭和?」


 破顔する声が弾んでる。


「昭和って、そんな年じゃないよ」

「分かってる。二十七だもんね。で、で、特技は?こういう時、ご趣味は?特技は?って聞くんだよね」

 こういう時って、どういう時だよ。

「ピアノ……かな?」

「また疑問形〜。でも、ピアノって格好良い。ハイソサエティーなの?」

「ハイソサエティーって、何だよ……。」

「ゴメン、ゴメンって」

「小学校から高校まで習ってたから」

「何?」

「ピアノ」

「ええ!やっぱりハイソサエティーじゃん」

「別にハイソサエティーじゃないよ。でも、ちょっと女っぽいだろ……ピアノって。やっぱり、男ならギターとかの方が格好良くないか?」

「ええ、全然格好良いよ。それに、男っぽいとか女っぽいとか、ブブー!減点で〜す」

「格好良いのか……」

「でも、聞いてみたいな〜。新庄さんのピアノ。──あっ、そうだ、オーケストラ通りの楽器屋さんが、たまに店の前にストリートピアノを出すんだ。晴れ予報の連休とかにさ。その時、聴かせて」

「ん、分かった。良いよ。練習しとく。指が錆びついてるからね」

「あ〜楽しみ〜。やっぱり新庄さんって、めっちゃ良い人〜」


 手に持ったチューハイの缶を二、三度振ると、お酒無くなったから帰ろうかと、雅が言う。

 当初の目的であるパソコンの事を言おうとしたけど、雅がすっかり忘れているようなので、声にしなかった。明日、取りに来ようと思う。自分のドジを自分で演出するようではあるが、雅と合える偶然を増やしたかった。恋に至るのは、偶然の回数だと思う。

 我ながらセコいな、と思いながらも腰を上げる。ヒヤリとしていた筈のコンクリートの床は温もりを持っていて、名残惜しそうにお尻を放す。


 やっぱり酔っているのか、フラフラと歩く雅に手を貸しながら棟を出る。


 手を振ってお別れする雅に、手を振り返しながら考える。

 明日、ストック好きな幼馴染さんにお菓子でも持ってきた方が良いかな?

 明日もまた逢えるかな?

 どんな会話をしよう?

 結構飲んでたし、俺のこと覚えてるかな?

 これから偶然をどう作ろう……。


 とりあえず、コンビニで温かい珈琲でも飲みながら。


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