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その猿はハハハと嗤う。  作者: 昊ノ燈


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7/10

6.純粋な喜びのひとつは、勤労後の休息である①

「やべー、まだ開いてるかな?」


 新庄義貴は、小走りで大学通りを大学に向けて走っていた。すれ違う人が殆どで、自分と同じ方向に行く者は僅かしかいない。皆、往々に笑顔で、友達と見受けられる数人のグループを作って若さ特有のキャイキャイとした話に盛り上がりながら歩いている。

 ふと、視界に入ったラーメン屋も牛丼チェーン店も大学生であふれ、別の飯屋に流れ込んでいる。

 周りが全て私服だと、スーツ姿の自分が恥ずかしくなってくる。

 新庄は、大学に出入りするメーカーの営業マンであり、四時間前にもこの大学に訪問していた。


「あ〜、腹減ったな。え~と、部活帰りの軍団が帰る時間って事は、もう誰も居ないかな?誰か居てくれ!」

 独り言を言いながら、空を見る。もう、暗い。日が長くなったとは言え、七時を超えて八時が近くなると、星が見やすくなってくる。


 閉まってるところを見たことがない大学の正門を抜けて、動物生態学部の楝の前に至る。見上げると、幾つかの部屋に明かりがある事に少し安堵して、三階にある目的の部屋に向かう。


「いや〜、忘れ物するなんて、俺はどうしようもないな〜。営業マンともあろうものが、パソコン忘れるなんて〜」

 ちょっと大きな声で言いながら歩く。

 夜の校舎が恐いのもあるけど、不審者と思われる方が恐かった。

 あんな事件があったばかりだしな……。


 目的の部屋の明かりは点いていたけど、鍵は閉まっていた。

 教授達の部屋に行けば誰かいるかも知れないし、用務員室に行けば宿直の人がいるかもしれない。もし、居残っている教授が、他の科の鍵を貸してくれる事は難しいかもしれないから、用務員室を目指すことにする。おそらく、受付の付近だろう。行ったことがないから、場所は知らない。

 それでもパソコンを置き去りにすることはあり得ない。明日も朝から営業だから、パソコンが必要。明日の予定は、この大学と方向が逆だし。


 同じ階の二、三の部屋で明かりが点いていたが、人のいる気配はない。消し忘れか、実験の為に点けているのだろう。

 一階に戻って用務員室を探す。

 だんだんと不安が増してくる。本当にこの楝に用務員室はあるんだろうか?もしかして、本館で集中管理しているんじゃないか?

 そんなことを考えながら歩いていると、廊下の奥の方に灯りが見え、何かがいる気配を感じた。


「誰かいませんか〜」

 問いかけながら、恐る恐る灯りの元に近寄っていく。そして、まるで灯に引き寄せられる蛾のように、部屋に入る。

 小学校の教室くらいの準備室。幾つかの長机が置かれ、論文のコピーの束や科学誌、雑誌が乱雑に山になっている。

 奥にドアがあり、微かに開いている。

 その奥からも明かりが。


「すいませ〜ん。どなたかいらっしゃいま──」

 言いながら奥に入っていく。

 そこは、明らかに部外者が入っては駄目な研究室。でも、今は入らざるをえない。

 そして、その研究室の更に奥に見えるドアも少し開いている。

 もう一度、声を掛けながら恐る恐るドアを越える。

 そこは檻だった。まるで、動物園の様な鉄の棒が柵として天井と床に固定された檻。

 奥の部屋を半分に仕切った向こう側には、

猿、こちら側には髪の長い女の人が座り込んでいた。


「あの〜、すいませんが──」

「…………ん、誰?──あ、三板計測機器の人だ〜〜〜」

 猿と正対して床に座り込んでいた女性は、間の抜けた声で返してきた。

 良かった。俺のことを知ってる人だ。こんな時間に人気のない研究楝を歩いてる男なんて、確実に不審者だもんな。

 それにしても、この女性は服部教授のところの生徒さんだったかな?見たことがある気がする。と、なると、ここが事件のあった飼育所だろうな……。ヤバい場所に来ちゃたかな?『関係者以外立ち入り禁止』って貼ってあった気がするし。

 え~と──。


「はい、三板計測機器の新庄です。以前、服部先生の所でお会いした事がありましたよね。いやぁ、良かった、実は、今日は三階の三木教授の所にお邪魔していたんですが、忘れ物をしちゃいまして。あっ、明日も要る物なんで取りに来たんですが、どなたもいらっしゃらなくて困っていたところ、こちらの明かりが見えたので、誰か居るかなと、顔を出してしまいました」


 矢継ぎ早に説明すると、女性はジト〜とした目でこちらを見つめている。アチャ〜、やっぱり不審者と思われてしまったか?


「名前は?」

「えっ?新庄ですが……」

「下の名前」

「あ、ああ、『よしたか』と言います。仁義の『義』に、貴族の『貴』で」

「じゃあ、『ヨッチャン』だ。私、新庄ってイヤなの。前に同級生でいてさ、いけ好かない奴だったから。良いイメージがないんだよね」

「は、はあ、意外と多い苗字ですからね」

「で、ヨッチャンの忘れ物って、パソコン?」

「あ、ああ、あ、いえ、ハイ」

「BeetBのステッカーの貼ってあるパソコン?」

「あ、はい。先輩が貼ったステッカーですけど」

「ア〜、ヨッチャン緊張してる〜。キャハハ」


 無邪気に笑う女性。

 女性の名は、後藤雅と言うらしい。

 顔を見て、研究室で何度か見かけた事があったと確信したが、イメージと違う。もっと、近寄りがたくピシッとした出来る女性というイメージだった。こんなに馴れ馴れしく、距離感の近い女性だったなんて。


「で〜、ヨッチャンのパソコンは〜〜、受付横の部屋にありま〜〜す」

「は、はい」

「で〜も、その部屋はカギがかかってるんですね〜〜〜」

「えっ、じゃあ……」

「で〜も〜、その鍵は〜ココに〜〜有るんですね〜〜〜」

「あ、それなら、ちょっとお願いし──」

「でも、ダ〜メ。ちょっと付き合って」

 そう言って、後藤雅は、缶のチューハイを差し出してきた。


 差し出された缶を手に、横に座った。

 ヒヤリとしたコンクリートを尻に感じた。

「純粋な喜びのひとつは、勤労後の休息である」も、カントの言葉。

何となく、ドイツ人らしい言葉ですね。

イメージですが……。

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