5.我は孤独である、我は自由である、我は我、みずからの王である②
琢三が準備室を出ると、幾人かの見知った後輩たちが挨拶をして通り過ぎていく。
「富島先輩、おはようございます」
彼女は、小売りとか飲食関係のシフトがあるバイトをしているのだろう。あの業界の挨拶は何時だろうと、インする時は『おはようございます』って決まってる所が多い。今は、すでに夕方近い時間であるが、この娘は出合った時の挨拶はいつも『おはようございます』だ。染み付いてんなぁ……なんて思いながら、王様によろしくと挨拶を返すと、ちょっと変な顔をしてから笑顔で通り過ぎていく。他の後輩同様に挨拶を返す。
自分が今出てきた部屋に入っていく後輩たち。
ちょっとホッとした自分がいる。
マサと亮太を二人きりにした事に不安があったのだ。
別に、琢三が雅の事が好きで、亮太と二人っきりにさせたくないとかいうのではない。異性としての雅に興味がない。どちらかと言うと、雅の事を好きなのは亮太で、中学の頃から亮太なりのモーションはかけている。でも、通じていない。同性の琢三から見ても、首を傾げるようなモーションだから、雅に通じる訳が無い。雅の感じは、男女を抜いた只の友達。雅も異性に興味がないと言う訳でもなく、彼氏がいた時もあったのを知っている。多分、あれは付き合っていたんだろう。
ただ、あんな事があった後だし、色恋云々どころじゃないだろうし…………気不味いだろうな。
動物生態学部には、各科合わせて多数の実験動物を飼育している。当然、亮太やマサの所でも猿や猫、マウス、モルモット等を実験用に飼育している。猿は三頭居たが、その内の一頭が消えたのだ。殺されたのではないかと聞いている。ナイフの様な刃物で滅多刺しされただろう血痕があったという。血痕だけで刃物による犯行と何故判断されるのかわからないが、ニュースにもなって、つい先日まで学内に報道の人の姿も見受けられていた。
常時撮ってる筈の動画も、何故かこの時だけは撮れていなかったらしい。
外部犯とも内部犯とも結論がつかず、研究室に出入りする全てが捜査の対象になっていると聞いている。今、居たように俺も研究室に出入りしているが、あくまでも前室までで、準備室にも、飼育施設にも入ったことがないから、捜査の対象から外されている。
亮太が『俺、もう犯罪に加担することはできない』とか言って、警察に指紋を取られたことを自慢(?)していたけど、犯罪に加担する予定でもあったのかな?まあ、亮太ができる犯罪なんて、立ちションベンくらいだと思うけどな。それに、あそこの楝の教授や准教授、清掃員から出入り業者、学生にいたるまで指紋を取られたらしいから、亮太が特別という訳ではないと思う……思いたい。
で、その猿達をメインで面倒(飼育?実験?)見てたのが、マサらしいんだ。一際マサからの聞き取りが多かったのは、知ってる。警察だけじゃなく、学部長、学園長なんかからも呼び出しを受けていた。
なんでも、猿、カニクイザルとかいうらしい。一頭が八百万円程するとかで、大学側としても頭が痛い事件だということは、予想に容易い。
建築学部では、考えられない事だ。
結局、猿は見つかっていない。
あれから、マサは暗い。
研究楝の無機質で機能性だけのベーシックな廊下を歩いていると、前方からボサボサ髪の背が高い白衣がウロウロと視線を彷徨わせながら歩いてくる。
通称『イイカネ』。人文科学学部の哲学科の准教授だ。本当は良兼准教授。
人文科学学部は科学と付いてるけど、完璧に文系の学部。理系の楝には関係ないし、白衣も着ている必要がないのだけど、何故か白衣で理系の楝を徘徊している。当然、経済学部の楝も徘徊しているだろうし、文学部の楝も徘徊している。つまり、一日中学内を歩き回る変人だ。
警察も聞き取りをしたけど、警察相手に四時間も哲学論を語り、警察がそれ以降の聞き取りを敬遠しているという噂もある。
何故か亮太は、イイカネを慕っている。二人で語り合いながらランチをする風景は、地下食の片隅で週に三回は見ることができる。
そう、地下食でだ。
地下食というのは、別にデパートとかの地下食品売場とかじゃない。この大学には、俺が知ってるだけでも四つの食堂がある。一つ目は理系学部敷地の『理系食堂』。ニつ目は文系学部敷地の『文系食堂』。この二つは、別にどの学部の学生が使用しても良いんだけど、何となく学部生専用になってる食堂。
三つ目が、正門付近にある『テラス』。これは、主に家賃を払う必要のない実家組と呼ばれる比較的お金に余裕がある学生が利用する。先のニつよりも高い、食堂と言うよりも軽食喫茶という感じ。
四つ目が本館と呼ばれる事務楝の地下にある食堂。これが『地下食』だ。はっきり言って、安い。これに尽きる食堂。俺達のセーフティネット。
他にも、何個か食堂があると言う噂もあるけど、知らない。行ったことない。
とにかく、マンモスなんだよな、この大学。おそらく、一つの町くらいの規模あるんじゃない?散髪屋もあるし……。
で、俺は目を逸らし、少しでもイイカネのターゲットにならないように壁際を歩いて、すれ違う。
苦手なんだよな、イイカネ。
存在感ありすぎる自分の体が妬ましい。
トンゾウこと、富島琢三が動物生態学部楝を出て、建築学部の自分のゼミに帰り、課題に頭を悩ませている頃。動物生態学部の楝から虫取り網を構えたイイカネが飛び出し、それを追う高遠亮太、亮太を追う後藤雅が幾人もの学生により目撃されていた。




