35.ねたみは魂の腐敗である。
百戦錬磨の超絶美人の雅お姉さんが、突然告白を求めて、亮太兄ちゃんって言うお兄さんが告白したのを、呆然と見ているだけの黒瀬翠です。
正直、告白シーンなんてドラマか漫画でしか見たことなかったけど、現実は感動するような感じじゃなかった。どちらかと言うとコメディ。
告白の後、真っ赤な顔して小指だけを引っ掛けるように手を繋ぐ二人を「純情か!」と心の中で突っ込みながら視線を移すと、そこに居る筈の人がいなかった。
慌てて、もう一人の居る筈の人に声をかける。
「あのぉ、祥⋯⋯山田祥太朗くん見ませんでした──」
声を掛けた先にも目的の人はいなかった。
残るのは、股間を抱えてヒクヒクと痙攣している男か、時折笑い声を上げるガムテープグルグル巻きのお爺さんか⋯⋯。二人共無理。
と言う事は、あのピンクの雰囲気を醸し出す二人しかいない⋯⋯のか。
意を決して声をかける。
「あのぉ~、祥くん見ませんでした?良兼准教授もいないみたいなんです」
「え、あ、ごめん。え、誰がいないって?」
「あ、亮太、いいかねが居ない」
「こら、雅。ちゃんと良兼准教授って言えよ」
「はぁい。ゴメンね、亮太」
クソ甘い。
二人の語尾がクソ甘い。
「祥くんと良兼准教授が見あたらないんです」
ジト目になりそうな目を必死に保ちながら、二人の姿がない事を告げた。
二人も室内を見回してから、雅お姉さんはハッと気付いたように奥の部屋に入っていく。
ソロソロと後ろをついて行くと、そこはまるで動物病院のような部屋だった。さっきの部屋のような乱雑さから一変、綺麗に整理されていた。机の上にはステンレストレイに並べられたビーカーにガラススポイト、書棚には丁寧にファイリングされた書類、お店にあるような大きな銀色の冷蔵庫。そして、ベビーベットの中には、静かに寝ている小さな猿。そのベビーベットの脇には病院で見るような点滴を吊るす点滴スタンドが括り付けられて、小さな猿に何本ものチューブが繋がっている。
こっちの部屋に入ったのかなと思ったんだけど──そう言いながら、室内を見回し、その部屋の更に奥の扉に手をかける。
ドアなんて開けたら気付くと思うんだけど──なんて思いながらもついて行く。
「キャーーーーーーーーー!」
ドアの向こうに消えた雅お姉さんの叫び声が聞こえた。
私の後ろをついていた亮太お兄さんがドアの向こうに走る。私は、その後ろから恐る恐るドア越しに覗き込んだ。
紅⋯⋯⋯⋯。
全体が紅いっていうのじゃない。天井の一部から空が見える比較的開放的な雰囲気の灰色の空間。そして、部屋のこちら側とあちら側を仕切る天井と床を縫い付けた鉄の檻。その向こうに自然木を組み合わせた歪なオブジェと吊るされた車のタイヤ。
その檻の向こう側のオリの棒の近くに一匹の猿がいる。
紅い猿。
種類じゃない。血だらけの猿。
また雅お姉さんの悲鳴が聞こえる。
亮太お兄さんが慌てている。
「ギャイギャイギャイギャイ!」
猿は、奇声を上げながら血走った目をこちらに向けた。
笑っている。
いや、嗤っている。
真っ赤な黒目が細められる。
喜色のままで怒っている。
そんな不安定だが濃い感情を表情に表しながら、手に持った金属片を自分の腹に突き立て続けている。
ブシュッブシュッと音が聞こえてきそうな勢いで、突き刺す度に血が噴き出している。
猿は、雅お姉さんをジッと見ると、表情を一層に深めて、自分の腹に突き立てた金属片をゆっくりと切り開くように縦に切り上げていく。まるで見せつけるように、ゆっくりとゆっくりと。
切り開ける力が弱いのか、金属片の鋭利さの問題か、単純に毛皮が硬いのか、刺した時と違い、血が噴き出る事は無く、お腹の薄い毛の間から薄ピンク色の脂肪が現れて、それが直ぐに滲み出した血で隠されていく。
見ているだけで痛く、顔をしかめた。
おそらく雅お姉さんも同じような顔をしているんだろう。猿はお姉さんを見つめながら、ニタリと微笑んだ。口元がいやらしい。
「雅、大丈夫か」
サッと亮太お兄さんが、雅お姉さんを庇うように寄り添う。
さっき告白で今にはもう恋人ムーブの距離感。血生臭い状況の中なのに、何とも口から砂糖でも吐きたくなってくる。
それは猿から見てもそうだったようで、何とも言えない複雑な表情を見せた。そして、キャイキキィと微かに切なそうな声を亮太お兄さんに向けながら、ゆっくりと躙り寄ってくる。
それは、離れ離れになっていた恋人に再会した女性のような空気感を滲ませていた。二時間ドラマで見た(なんで貴女が今だに未婚のヒロインを演じているのという)熟練女優みたい。
その哀しげな瞳は、近付く程に深みを増し、悲しげな瞳になっていく。
そう、前に祥くんに聞いた事がある。なぜ『喜怒哀楽』に悲しいがないのか。その時、祥くんは、『哀』は、かなしいという意味で、『悲』は、もっと激しいかなしみで心が裂かれるようなかなしさを意味しているからと言っていた。心が二つに裂かれるようだから、『心』の上に扉のような『非』が書かれてるんだって。
祥くんは色んな事を知っている。知らない事を聞いた時でも、当たり前の事を伝えるように、サラッと教えてくれる。リーダーだったら、絶対にこれ見よがしにドヤ顔をしてくる。そんなところがクールに見えるんだよなぁ、祥くんは。マキちゃんが惚れてるのも分かるような気がしないでもない気がするようなしないような⋯⋯⋯⋯やっぱりしない。友達には良いけど、恋人には⋯⋯難しいかな。
別に告白されたって訳じゃないけど。
猿は檻の棒に手が届きそうな所まで寄ると、視線を微かに動かす。瞳に雅お姉さんが入る。目付きが険しくなる。
「ギャギャギキィギッギィッ!」
突然の叫びと共に飛びかかった────突然、私の目が覆われた。
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私の目を覆った手は、優しく私の体の向きを変え、元いた部屋に促した。
「ちょっと刺激が強過ぎるからね」
そこには服部と呼ばれていた教授の姿があった。たしか⋯⋯ガムテープでグルグル巻きにされてたはずなんだけど、千切れたガムテープが残ってる訳でもなく、粘着跡もなく、何故か普通にいる。
服部教授は茶目っ気たっぷりな表情で、「僕は忍者だからね」って。




