29.恋という狂気こそは、まさにこよなき幸いのために神々から授けられる①
──ドンドンドンドンドン!
ドアを叩く音がした。
力一杯、ドアを壊そうとばかりに叩く音に、僕は周りをうかがう。亮太兄ちゃんも、雅お姉さんも、翠ちゃんも動きを止めてドアを注視している。網白走──もとい良兼准教授もだ。
「後藤さ〜ん。いるんでしょ。分かってますよ。後藤さ〜ん」
ドアの向こうから聞こえてくる声は、笑ってるような怒っているような、しいて言うならドラマの中の酔っ払いの人が絡んでいるような声。
「後藤さ〜ん。開けてくださいよ〜。開けて〜〜。開けろー。こぉら開けろってんだよ」
ガンッというドアを蹴るような音が響く。
声色がドンドン怒っている方に傾いていっているのが分かる。
ドゴッドゴッドゴッと何か大きな物をぶつけるような音。
「あ〜あ、割れちゃったよ。サ◯ちゃんごめんねぇ。うぉら、サ◯ちゃん壊れちまったじゃねぇか。可哀想だろうがぁ。サ◯ちゃんに謝れやぁ」
僕の肘を突きながら翠ちゃんが小声で聞いてくる。
「ねぇ、サ◯ちゃんって誰?」
誰だろ?
「あれだろ、新聞の4コマ漫画の」
「亮太、それはコ◯ちゃん」
「だとしたら、あれか!たまに薬局の前に置いてある象の」
「「「あ〜あ〜あ〜」」」
そんな事を言ってる間にも音は大きくなっていく。
僕たちは心を揺らさないように、怯えてしまわないように、雑談を交えながら部屋の奥へと移動していく。
「あれ、そう言えば良兼准教授は?」
呟きながら視線を彷徨わすと、僕たちとは反対の壁際、ドアに程近い所に隠れていた。手には虫取り網。そして、冷蔵庫を指さしている。
あ、そういう事か!とガッテンしながら亮太兄ちゃんが冷蔵庫から一本のペットボトルを取り出す。
それを見て僕は、何か殴れる物をと、週刊の漫画雑誌を取る。
「翠ちゃんも、はい」
キョトンとする翠ちゃんにプランを説明する。
①男が室内に入る。
②部屋の中央付近にきたところで、後ろから良兼准教授が虫取り網をかぶせる。
③狼狽えた男に、亮太兄ちゃんが炭酸水をかけて視界を奪い、継続ダメージ。
④僕たちが目が見えない男の脛を打って転倒させる。
⑤雅お姉さんがロープで男を縛る。
「ほら、雅お姉さんもロープ探しているよ」
「って、あれさっきまでガムテープ持ってなかった?」
「ああ、あれ。教授の爺ちゃんをグルグル巻きにするのに使った」
「ふ〜ん、それで今度はロープ探してんだ。大学って、何でも有るんだね。それにしても、皆んなが何しようとしてたのか、よく分かったね」
そう、僕は亮太兄ちゃんがペットボトルを取り出した時に気がついたんだ。『超絶高濃度炭酸水──絶対5℃以下で保管してください』あれが目にでも入ったら、痛くて目が開けてられなくなるに違いない。ニヤリとした亮太兄ちゃんの目が悪どい。それに雅お姉さんも気が付いたんだろう。
僕たちはスタンバイしながらも、数字を数えながら心を落ち着かせている。
遂にドアが壊れて男が入ってきた。
「後藤さ〜ん。酷いよ〜、なんで開けてくれなかったの?会いに来たんだよ。折角会いに来てやったのに⋯⋯酷いよ!」
「キャッ!!」
言いながら手に持っていた褪せたオレンジ色の物を投げつける。机にぶつかり、ドゴッという激しい音をたてた後、それはゴッゴッと跳ねて、床に転がる。
サ◯ちゃんだ⋯⋯。
鼻だけになったサ◯ちゃんが転がってる。男が入ってきたドアを見ると、その向こうでひび割れ、鼻の取れたサ◯ちゃんが目を見開いてこちらを見ている。
直撃を免れた雅お姉さんは悲鳴を上げた後、数字を数える事も忘れて立ち尽くす。
「酷いよねぇ。サ◯ちゃんも粉々だよ。でモね、デもね、マカロンも買って来タんだヨ。女の子ってサ、マカロン好きデしょ。あンなカラフルなダけでバカみたいニ高いノが。高カッたんだよ。五千円?六千円?まァいいや──デも、あのクソジジイに──」
踏まれちまったんだよ、と言いながら、もう一方の手に持っていた凹んだ白いケーキの持ち帰り箱を顔のあたりまで持ち上げる。
「クソがッ!あァ、腹が立ツ。腹がタツ、ハラガタツハラガタツハラガタツハラガタツハラガタツハラガタツハラガタツハラガタツハラガタツハラガタツハラガタツハラガタツハラガタツハラガタツハラガタツハラガタツハラガタツハラガタツハラガタツ」
顔のあたりから落とされた箱は更にへしゃげた。それを執拗に『ハラガタツ』と言いながら踏みつける。
「あ、ゴメンね。取り乱しチゃったよ。普段はこンなに怒りっぽい人間じゃないんだよ。さあ、後藤さん。そんな所に立ってないでさ。こっちにおいでよ。君の愛しい人が来たんだよ。ほら、俺が来てやったんだよ。ほら」
「い、いや」
雅お姉さんの声が震えている。
「あ?いや?アハハハハハ──そんな訳ナイヨ。君の方カら誘っテきたんジャないカ。俺ニ興味があるんだロ?好きナンダろ?それとも 俺トやりたいダケだったの?アハハハ だっタら僕ト一緒ダ。君トやりタイんだよ。女子大生ッテあれダロ 誰ニでも股を開クンだロ 知ってんダ まんがデ描いテタ 普段お高くトマッてるお嬢サマがよぉ 股ヲ開いテ アヘアヘ言うンダろ やらせロよ やりてぇんだろ」
男の下卑た言葉を聞きながら、僕たちはその足に集中していた。もう一歩、もう一、ニ歩行ってくれたら良兼准教授が後ろに回れるのに。男は動かない。踏みつけられてへしゃげたケーキの箱が、まるで停止線のように男の足を停めている。
「ナァ おいで 俺ニもヤラセてよ ナァ いっぱいヤッテるんダろ ナァ 好きナンダよ 知的ッポイ女ッテさぁ」
「私はバージンよ!!!」
雅お姉さんの怒号が響いた。




