24.目は心の窓である③
「なんだお前等、人ん家の前でギャーギャーギャーギャー五月蝿えんだよ!」
突然、響いた声にビクッとして見ると、年配の男の人が家の窓から顔を出して怒鳴っていた。
「お前の声の方が煩いんだよ!」
別の家の窓からも怒号が上がる。
「てめえの方が五月蝿いだろうが!」
「お前の方が煩いんだよ!」
「お前等、両方共黙れや!!」
「はぁ?関係ねぇ者が出てくんじゃねぇ!」
「五月蝿い!」
「煩いわ!」
「だいたい、あんた等はいつもいつも──」
方々から怒鳴り声が増えていく。三人、四人、五人と声が増え、通り中の窓という窓から年代、性別を越えた大人達が鬼のような顔が体をのりだし吠えている。
まるで、新手のフラッシュモブのような状況に体がすくむ。
その内の一人が窓から飛び出てくると、二階だろうと、ベランダからだろうと構わず飛び降り始めた大人達が口汚く罵り合い、殴り合いを始める。
雅お姉さんと翠ちゃんは、抱き合ったまま、しゃがみ込んでいる。震えている。
喧騒は広がり、何処に居たのかという人数の大人達が殴り合いの輪に参加していく。たまに挨拶をするハゲたお爺さんも、鼻血を出しながら、しなびたお婆さんを殴り、お婆さんも倒れながらも別の人の足に噛み付いている。大柄な男の人がお婆さんを踏みつけ、また別の人に殴られている。男の人も女の人も、年寄りの人も若い人も髪を振り乱して襲い続ける。
六道の修羅界というのが本当にあるのならば、ここに顕現しているのだろう。
逃げる事もできずに立ち尽くす僕。
不意に手をとられた。
「何をしている!逃げるぞ!」
白衣の男の人。
明らかに網白走男が、僕の手を取り背中を押してきた。そして、僕が走り出したのを確認する間もなく、網白走男は雅お姉さんと翠ちゃんの手を引き、僕を急かすように走り出す。
後ろの方では火が上がったのか、小さな爆発音がして、黒い煙が僕たちを追い越そうと迫ってくる。
後ろを振り向くと、黒煙に塗れながら、朱色の火の明かりをバックに、人々が暴れ続けている。その隅の方にポツリと、明くんが立っていた。手で目を擦りながら肩を震わせて泣いている。
僕は体を明くんの方に向けようとするが、後ろから網白走男が走れ走れと、声で押してくる。止まることもできずに、僕は走った。
「ここまでくれば、もう大丈夫だろう」
網白走男はそう言って、雅お姉さんと翠ちゃんの手を離した。
振り返った先には、幾つもの煙が上がっている。僕たちがいた所以外でも何箇所も火災が上がっているみたいだ。消防車のサイレンが色んな所から聞こえてくる。
町を微かに見下ろせるここは、大学の正面門の前。何度か大学祭の時に来たことがある。
三人共、顔が真っ黒。気が付けば煤が全身を黒くコーティングしている。
「皆んな真っ黒だね」
「こういう時に白衣は良いんだよ。ほら、脱いだら汚れなんて──?」
僕の言葉を返してくれた網白走男は、白衣を脱ぎながらポケットの中に入った異物に気がついた。
「ん、何だこれ?鍵か?うおっ、私の白衣じゃないじゃないか」
僕の言葉に答えた網白走男は、自分の物じゃない白衣に戸惑い、誰の物かと思考を巡らせている。
「良兼教授」
「良兼教授!」
「良兼教授!!」
煤で昭和の泥棒コントみたいな顔になった雅お姉さんが必死に名前を呼ぶが、網白走男は全くの無視。
「あのぉ~、呼ばれてますよ」
「私は、准教授だ。教授ではない。あっ、そうそう、私はこの大学で教鞭を取らせてもらっている准教授の良兼だ。君は?」
「あっ、僕は山田祥太郎です。小学六年。それで、そこにいる雅お姉さんと手を繋いでいる子が、黒瀬翠ちゃん。同級生です」
「良い返事だ。山田君で良いかな?私の事は良兼准教授と呼んでくれたまえ」
「良兼教授!!!」
「しつこい!私は〝准教授〟だ。いいかね、准教授と教授には大きな差がある。努力に努力を重ね、多くの人々に認められた者が得られた存在が〝教授〟なのだよ。いいかね、君が私を〝教授〟と呼ぶことは、その過去から現在に至るまでの〝教授〟と呼ばれる方々の偉業を軽んじている事になる。私は、まだその偉業に達することができていない。いいかね、だいたい君たち学生というものは社会的な地位に疎すぎるけらいがある。そもそも──」
イライラクドクドと語り始める網白走男、もとい良兼准教授は、面倒臭いタイプの人間な気がする。そうなくても、虫取り網を持って町中を走り回る変人、もとい奇抜な人だろうけど⋯⋯。
あ〜あ、雅お姉さん泣いちゃたよ。
「──ん、待て。なんで私はこんなにも苛ついているんだ?後藤くん、君もそんなに泣くようなタイプではないだろう?」
途端に平静を取り戻した良兼准教授は、泣いている雅お姉さんを見つめながら淡々と思考に入った。
ところどころで言葉が漏れている。
「──町の人々も様子が変だった──」
「──私は、こんな事で不機嫌になるような──」
「──後藤くんの怯えるような目──」
「──感情?」
「素数を数えろ!」
良兼准教授が叫んだ。




