12.幸せかどうかは、自分次第である②
「でもな、俺はあの犬が不幸せそうに見えないんだ」
お兄さんは、僕を横に座るように促しながら呟いた。
僕は、促されるままに横にしゃがみ込む。
確かに、ジッと犬を見ていると、不思議なほどに不幸を感じない。猪か豚かという程にでっぷりとした腹を投げ出して、気だるそうに一粒一粒ドッグフードを口に運んでいる。蛇のようにウネウネと動く舌は、ビジュアル海鼠。それが、ツンツンと地面を叩きながらドッグフードの袋に近付き、一粒を絡め取って、口に帰っていく。その度に薄められた目が一層に薄められ、笑うように閉じられる。
「確かに…………」
僕が抱いたイメージと犬の表情に開きがある。
お兄さんがお菓子の袋をこちらに向けて、いるかと言う。ポップコーン。断るのもなんなんで、少しだけと手を伸ばす。
ん、バーベキュー味?
ポップコーンはシンプルに塩かバターであるべきだ。キャラメルまでは許す。柚子塩も許す。でも、バーベキューはないだろう。
僕のそんな気持ちを予測してか、お兄さんは『不味いだろ』と言ってきた。
サムズアップが似合う良い表情が腹が立つ。
「一人取り残されて、繋がれたまま。糞尿の世話をする人もなく、散歩にもいけない。普通に考えたら不幸なんだけどな」
『人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である』チャップリンの言葉だったかな。イギリス出身の喜劇俳優チャールズ・チャップリン、ちゃんと観たことないけど、爺ちゃんが好きだと言っていたのを覚えてる。
そんな言葉を思い出した。
「幸せなんでしょうか?」
「そうとしか見えないな。あれを見てると、喜怒哀楽の『楽』って、こんな感じかなって思うんだ」
「楽?」
喜怒哀楽。喜び、怒り、哀しみ、楽。楽って何だったっけ?楽しいっていうのは違う気がする。楽しいから喜ぶ、つまりは感情ではない。ん、楽しいも感情?どうも『喜』と『楽』の区別がちゃんとついていない。
「『楽』ってのは、快適で気持ちいいって事だよ。満ち足りているって言ったほうが良いんだろうな」
僕の心が読めるのか、お兄さんは『楽』の説明をしてくれた。
失敗した……。僕ともあろうものが……。確かに『喜』と『楽』の区別がついてない事は、自分の中で理解できていた。それなのに確認し忘れていた。あ〜〜〜〜、最近、『僕だけが知ってる』が上手くいってない。怠惰だ堕落だ間抜け過ぎる。
「で、でも、喜怒哀楽って、変だよね〜。『哀』で、かなしいなんて。かなしいなら『悲』でいいのに〜」
「ん、かなしいは、『哀』で良いぞ。『哀』で十分にかなしいだぞ。そもそも『悲』は、『非』の字の形みたいに、心が引き裂かれる、二つに分かれてしまうような強烈なかなしみを意味してるんだ。生活の中にそんな激しい感情がそうそうにあったら疲れるだろ」
「………………」
あっ、駄目だ。
駄目なスパイラルに陥ってる。
話題変えて誤魔化そうとしたのに、変えられずに嵌ったよ。自分で地雷仕掛けて、自分で踏んだみたいな。
「あっそうそう、『かなしい』って言ったらな、『哀しい』『悲しい』だけじゃなくて、『愛しい』ってのもあるんだぜ。普通は、『いとしい』って読むんだけどな。今度、辞書で調べてみな。辞書によっては載ってるから」
追撃をかけてきた。
もう、僕のHPはレッドゾーンに突入しています。勘弁してください。
知らなかったよ。
「ん、ジュースでもいるか?コーラならあるぞ」
ちょっと勝ち誇ったようなお兄さんが鞄からタオルに包まれたコーラを出してくる。
鞄の中が濡れない為だろうけど、ペットボトルカバーくらい使えばいいのにと思いながらも拒否する。
「炭酸は、一日一杯だけと親より言われてますから、コーラは結構です。僕は、お風呂上がりに飲むのが常なんです」
「小難しい言い回しをする少年だな。親の知らないところでどうしようがいいじゃないか……。だったらよ、そこの自販機でなんか買ってやるよ。あのポップコーンで口、変だろ」
お兄さんは、そう言いながら立ち上がった。
自販機の前で吟味する。
三台並んだ自販機は、それぞれがメーカー違いだ。
「これ!これが美味しいんです」
僕が選んだのは、ミネラル入りノンカフェインの麦茶。
「それ好きなガキ、多いよな」
「好きなんだからいいじゃありませんか」
「お前ってさ、コンビニのオニギリで塩おむすび選ぶタイプだろ」
「……うん…………」
なんで分かったんだろ?
僕って、そんなによく居るタイプ?
それからお兄さんと色んな話をした。
お兄さんの名前は、富島琢三。大学生。雑学は、仲のいい友達に詳しい人がいるらしくて、その影響なんだって。
大学で建築を勉強してるんだけど、最近の建築学は流れとして、奇をてらった店舗や建造物、独自性のある目立った住居に進みがちなんだそうだ。そんな中で、お兄さんは基本的な一戸建て住宅。生活しやすく、壊れにくい、経年劣化による維持メンテナンスも安価、永く住み続けられる家を作りたいと、こうやって歩き回りながら、古い家を観察しているんだって。
それだったら、地方の方に行って古民家を参考にしたらと言ってみたんだけど、それも奇をてらった感があるし、地域環境に適した町中の普通の家が良いって返された。
なんか難しい。
当然、僕の事も話したよ。
コギト・エルゴ・スムについて話したら、その雑学に詳しい友達に会わせたいと言っていた。
僕も会ってみたいと思った。




