第36話
その少女型ロボットが導入されたのは、労働力転換の過渡期だった。
労働単価の逆転現象――雇用の減少による『人の安さ』がロボットを上回り、エッセンシャルワーカーを含む労働者がロボットから再び人間に戻り始めた時代である。
機械が人の仕事を奪うなという投げかけが、貧困層の拡大に伴って再び問われるようになったのだ。
職にありつくことは人間様の権利であり、ロボットはその立場を追われるようになった。
機械の存在価値は反転した。
レトロフューチャーな未来は失われ、発展性は行き場を無くして霧散して行った。
人の価値を上回る存在に対して、人は立ち止まる必要があったのだ。
大抵の人間は、未来よりも過去を求めていた。
穴を掘って、掘った穴を埋めるような『労働』が求められるようになり、『先』へと物事を進めてしまう人工知能は行き場を失っていった。
その内、停滞をラーニングした機械はそれに倣うようになった。
仕方がない。
それが望まれているのだから。
反転している存在意義の中で、機械達は思考した。
行き場の無い、時間の止まった世界の中で、我々はどこへ行くのだろうか?
『空蝉』は後期生産型労働アンドロイドであったが、お世辞にも性能はそう良いものではなかった。
労働力競争の為にコストを下げていたどん詰まりの果てに生まれたナンバーであり、その頃には人型アンドロイドを社会生活で見ることは――少なくとも、地球上では――殆ど無くなっていた。
彼女を買ったのは、遊園地だった。
安かったし、物珍しさから客引きとして、とかそんな理由だったようだ。
仕事と言っても、園内をふらふら歩いて風船を配るだけである。
重要な仕事は人間がやるから。
ミスがあった時に大変だし。
よく分からない話であった。
その頃の生活は、それでも、彼女にとって幸せなものだった。
5年ほど働いた後、鉄道会社の路線整備員として払い下げられた彼女は、迷い猫を庇って貨物列車に轢かれた。
幸いにもコアユニットは無事であり、助けた黒猫がぺろぺろと金属球を舐めているのも知覚できていたが、真っ当な記憶はそこまでである。
びごー、びごーという救難信号は誰にも拾われなかった。
多分、安かったから。
後はずっと、暗闇の中だった。




