封印された果実酒
店の扉には、赤い紙が斜めに貼られていた。営業停止。理由は「祭礼協力義務違反」。リディアは紙を読んで、思わず笑いそうになった。果実酒の販売と祭りの花嫁役に、どんな関係があるというのだろう。扉の前では母のアデルが、役場の書記と向き合っていた。
「うちの娘が誰と結婚するかで、酒の味が変わるのかい」
母は腰に手を当てていた。書記は目を泳がせ、通達書を差し出す。
「委員会の決定です。私は届けに来ただけで」
「届ける前に読んだのかい。字は読めるんだろう」
「奥様、どうか穏便に」
「穏便にするなら、紙を剥がして帰りな」
リディアが駆け寄ると、母はようやく少しだけ表情を緩めた。
「無事だったかい」
「ごめんなさい。私が祭りで断ったから」
「謝ることじゃない。あんたを売るために酒を造ってきたんじゃないよ」
母はリディアの頬についた石灰の粉を指で払った。彼女は泣きそうになったが、今は泣いている場合ではない。書記の手にある通達書を借り、根拠の欄を読んだ。そこには「領主の祭礼協定に基づく」としかない。酒類販売の許可は村の商人組合が発行し、領主家の祭礼委員会とは別のものだ。リディアは店を継ぐとき、その手続きを母と何度も確認している。
「この通達を出したのは誰ですか」
「マルタ委員長です」
「商人組合の許可を取り消す権限はありません」
書記は困ったように肩をすくめた。
「でも、領主家から命令が」
「命令した人の名前を書いてください。ここに、今」
リディアは通達書の余白を指さした。書記はペンを取り出しかけて、手を止めた。署名をすれば、誰が何を命じたか記録に残る。彼はそれを避けたがっているようだった。
「書けないなら、紙を貼る理由もないね」
母が言い、赤い封印の端をつまんだ。書記は慌てて止める。
「剥がすと処罰の対象になります!」
「誰が処罰するんだい。名前を書いてから言いな」
リディアは母の手をそっと止めた。相手に言いがかりを与えたくない。封印はそのままにして、書記へ言った。
「商人組合の会長を呼んでください。許可証を出した人に、取り消しの有無を聞きます」
書記は逃げるように去った。ノエルが店の裏口を見に行き、鍵が掛かっていることを確かめる。母はリディアと彼を家の中へ通そうとしたが、裏口にも役人が立っていた。
「店の中の母の私物も出せないんですか」
リディアが尋ねると、役人は答えず槍を横にした。ノエルが低い声で言った。
「ここは住居も兼ねている。営業停止と立ち入り禁止は別だ」
「命令だ」
「誰の」
「うるさい!」
役人は槍を振った。ノエルはリディアをかばい、柄を受け止めた。彼の手の甲が擦れ、血がにじむ。リディアは堪えきれず叫んだ。
「もうやめて! 誰かを傷つけないと、命令一つ守れないんですか!」
役人は驚いたように後退した。リディアはノエルの手を取り、店の脇に置いていた水桶へ連れていった。桶には朝の雨水が少し残っている。清潔な布を母から受け取り、傷を洗う。ノエルは痛そうに眉を寄せたが、手を引かなかった。
「無茶をしないで」
「君が怪我をするよりはいい」
「私だって、あなたが怪我をするのは嫌」
ノエルは黙った。リディアは傷に布を巻き、結び目を作った。いつもは丈夫な石を扱う彼の指が、今は自分の手の中で温かい。彼女は言いかけた言葉を飲み込めなくなった。
「橋の上で、返事をするつもりだったの」
「覚えてる」
「私もあなたと結婚したい。祭りのくじがなくても、誰に反対されても」
ノエルは大きく息を吸い、目を閉じた。次に開いたとき、少し笑っていた。
「僕は今、何か言わなきゃいけないんだろうけど」
「言って」
「好きだ。ずっと好きだった。君が店の棚を直そうとして釘を全部曲げた日から、ますます好きになった」
「そこからなの?」
「その前からだよ。あの日は、僕が手伝う隙をくれたから」
リディアは笑った。棚は今も少し傾いている。彼は何度も直すと言ったが、母が「客が酒を取りやすい」と言って断っていた。
ノエルは包帯の巻かれた手で彼女の指に触れた。
「僕と暮らしてほしい。立派な家はない。石を削る音がうるさいし、冬は冷える。でも、君が店を続けたいなら、そこへ毎日帰る」
「私も毎日、あなたに帰ってきてほしい」
二人は近づいた。ノエルが彼女の頬に触れ、口づけようとしたとき、母が大きな咳払いをした。
「続きは店を取り戻してからにしな。あたしも見てるよ」
リディアは慌てて離れた。母は呆れた顔をしていたが、目元は笑っていた。
そこへ商人組合の会長が現れた。背の低い老人で、冬でも薄い外套しか着ない。会長は赤い封印を読み、書記から受け取った写しを眺めた。
「こんな命令は出しておらん」
「では剥がしても?」
「待ちなさい。領主家の役人が貼ったものを勝手に剥がせば、また別の理由をつけられる。私が組合の記録を確かめてくる」
会長は足早に引き返した。リディアは彼の背を見送り、ノエルへ顔を向けた。
「どうして祭礼委員会は、ここまでして私を選びたいのかしら」
「ユリウスが君を欲しがっているからじゃないのか」
「私とはほとんど話したことがないわ。去年の収穫祭で、果実酒を一杯出しただけ」
母が黙り込んだ。リディアが問いかけると、母はしばらく迷った末に答えた。
「先月、ユリウス様の使いが来た。あんたを屋敷へ呼びたいと言われて、断ったんだよ。店を閉めるわけにはいかないからって」
「そんな話、聞いてない」
「聞かせる必要もないと思った。断れば済むことだったからね」
母は唇を噛んだ。
「でも、断って済まない相手だったんだね」
リディアは母を責める気になれなかった。自分も同じように考えただろう。店を守るために働き、祭りの支度をし、村の人々と普通に暮らしていれば、勝手に結婚を決められることなどないと。
会長が戻るまでの間、ノエルは店の前に集まった人々から話を聞いた。花嫁役の抽選に参加する娘たちの名前を一人ずつ確かめると、九人のうち四人は村を離れていることが分かった。二人はすでに結婚していた。実際に抽選できるのはリディアを含む三人だけだ。しかも、残りの二人は夫人の親戚で、昨日から領主の別邸に滞在している。
「初めから私を選ぶつもりだった」
リディアは紙に名前を書き並べた。少女が拾った紙片を思い出す。あの箱の中には、彼女の名前しか入っていなかったのだろう。
パン屋の主人が、腕を組んで言った。
「くじを引かせたことにして、断れない形にするつもりだったんだな」
「でも、どうしてそんな面倒なことを」
粉屋の女将が首を傾げた。リディアも同じ疑問を持っていた。領主の息子なら、もっと大きな家の娘を選べるはずだ。なぜ酒屋の娘に執着するのか。
そのとき、役場から戻った書記が、もう一枚の紙を差し出した。
「これを……見つけました」
彼は周囲の人々に聞こえないように声を落とした。
「祭礼委員会の金庫にあった契約書の控えです。私は、こんなことまで認めた覚えはありません」
紙には、春告げ祭の収益と村の果樹園の使用権を、領主家の直営会社へ移すと書かれていた。移転の条件は「祭礼の花嫁役が領主家へ嫁ぐこと」。そして花嫁役の署名欄には、リディアの名前がすでに記入されている。
「私の名前を使って、果樹園まで奪うつもりだったの?」
母は紙を覗き込み、青ざめた。村の果樹園は、祖父母の代から共同で管理してきた土地だ。店の果実もそこから仕入れている。果樹園を失えば、村の多くの家が仕事を失う。
ノエルが契約書を受け取り、署名の部分を指さした。
「この字は君の字じゃない」
「ええ。私、名前の最後をこんなふうに跳ねないもの」
リディアは自分の帳簿を取り出したかったが、店は封鎖されたままだ。母がふと何かを思い出したように顔を上げた。
「店の帳簿だけじゃないよ。果樹園の共同管理帳がある。あれには、土地を移すなら全員の同意が要るって書いてあるはずだ」
「どこにあるの?」
「役場の地下。古い書類棚だよ」
リディアは書記を見た。彼は目を伏せた。
「地下は、今朝から立ち入り禁止です。マルタ委員長の命令で」
店の前で待っていた人々が顔を見合わせた。誰かが、書類を隠すためではないかと呟く。リディアは紙を折り、上着の内側にしまった。
「地下に行きます」
ノエルが隣に立った。
「僕も行く」
「危険よ。今度こそ、あなたの仕事を奪われるかもしれない」
「君が一人で行くなら、僕はもっと怖い」
リディアは彼の手を握った。包帯の結び目が指に触れる。
「じゃあ、離れないで」
役場へ向かおうとしたところで、鐘が三度鳴った。祭りの鐘ではない。領主家が村へ命令を告げるときの鐘だ。通りの向こうから兵が走り、広場の掲示板に新しい布告を貼った。
――春告げ祭の花嫁役、リディア・ベルナール。婚姻は本日の日没をもって成立する。
署名欄には、リディアが一度も書いたことのない婚姻承諾の印が押されていた。




