橋の上で言うこと
「橋から降ろせとは、どういう意味ですか」
リディアはユリウスに尋ねた。男は答えず、役人へ指を振った。二人の男がノエルを囲む。広場には百人近い村人がいるのに、誰も動かなかった。領主家の工事費と穀物の配給を握られているからだ。リディアは自分の店だけでなく、村全体が人質にされているのだと理解した。
「橋の仕事を降りろという意味なら、契約を見せてください。ノエルはまだ修理の途中です」
「契約? そんな紙切れに何の意味がある。金を払うのは父だ」
ユリウスはつまらなそうに答えた。
「お前が私の妻になれば、そいつも仕事を続けられる。逆らえば村の橋は閉じる。簡単な話だろう」
「橋は村の人が使うものです。私との結婚を断るために閉じるんですか」
「逆だ。お前が意地を張るから閉じる。人のせいにするな」
彼は笑いながらリディアの顎へ指を伸ばした。リディアは身を引き、彼の手袋をはたいた。乾いた音が広場に響く。
「触らないでください」
「無礼者!」
マルタ夫人が叫んだ。ユリウスは片手を上げて夫人を黙らせると、リディアを見つめた。
「いい。気の強い女は嫌いじゃない。妻になったら、その口の利き方は直してやる」
リディアは胸の奥が冷たくなるのを感じた。ノエルは彼女の前へ出ようとしたが、リディアはその腕を引いた。彼に殴らせてはいけない。相手はそれを待っている。
「橋の契約を確認させてください」
ノエルが静かに言った。
「僕は石工として雇われた。工事の停止を命じるなら、現場責任者の署名が必要です」
「お前のような職人に指図される筋合いはない」
「僕は工事の話をしています。あなたの結婚相手を決める話じゃない」
ユリウスが一歩踏み出す。リディアは彼の靴が、まだ固まっていない石灰の粉を踏んでいることに気づいた。橋の補修に使う石灰だ。朝から橋を通ってきたのだろう。彼は本当に橋を閉じるつもりで来たのかもしれない。
「今、橋へ行きます」
リディアは言った。
「何?」
「閉じるなら、村人に理由を説明してください。ここで言うだけではなく、橋を渡る人たちの前で」
ユリウスは不快そうに眉を寄せた。夫人が止めようとしたが、リディアは広場の人々へ向き直った。
「誰か一緒に来てください。橋が使えなくなれば、向こう岸の畑へ行けなくなります。私たちだけの問題ではありません」
最初に動いたのは掃除係の少女だった。先ほど紙片を拾った少女は、ほうきを持ったままリディアの横に立った。
「うちのおじいちゃん、橋の向こうの診療所に通ってる。閉じられたら困る」
続いてパン屋の主人が出てきた。粉屋の女将も加わる。ユリウスは鼻で笑った。
「見物人を増やしたところで、何も変わらん」
「見物人じゃありません。使う人たちです」
ノエルが答えた。彼はリディアの隣で、さりげなく破れた袖を隠した。リディアはその布を見て、胸が痛んだ。自分のために仕事も怪我も引き受けさせたくない。しかし、彼の意思まで勝手に取り上げるのは違う。
橋へ向かう道を歩きながら、リディアは彼に小声で言った。
「私のために仕事を失わないで」
「君のためだけじゃない。橋が落ちたら困る人がいる。それに、君のことを好きだと言ったのは僕が決めたことだ」
「そんな言い方をされたら、嬉しくなってしまう」
「嬉しくなってくれたらいい。僕はそのつもりで言った」
ノエルは少し困ったように笑った。リディアは彼が告白のあとも普段と同じ歩幅で歩くのが不思議だった。自分はこんなに落ち着かないのに、彼は足元の石まで確かめながら進んでいる。
「返事は急がなくていい」
「急がなくていいと言われると、今言いたくなるわ」
「じゃあ、聞いてもいい?」
「橋に着いたら」
リディアは答えた。ノエルが驚いて振り向く。彼女は笑い、彼の袖をそっとつまんだ。
「橋の上では、ちゃんと話したいから」
橋の入口には、すでに領主家の兵が二人立っていた。通行止めの板が運ばれ、橋脚の横には新しい鉄鎖が置かれている。向こう岸から野菜を積んだ荷車が近づいていたが、兵は渡らせようとしない。荷車の老人が困り果てていた。
「通してくれ。今日は市場へ行かないと野菜が傷む」
「命令だ。戻れ」
ノエルは橋脚の石を調べた。まだ一部の目地が新しく、橋の中央には仮の板が敷かれている。しかし通行できないほど危険な状態ではない。彼は作業日誌を取り出し、リディアに見せた。
「ここにある。昨日の検査では、荷車一台までなら通れる。今朝も確認した」
ユリウスが追いつき、日誌を取り上げようとした。ノエルは本を胸に引き寄せる。
「それは僕の記録です」
「私の領地で書いたものだろう。私の物だ」
「違います。作業をした人間が残す記録です」
リディアは橋の中央に進み、向こう岸の老人へ手を振った。
「少し待ってください。通れるか、今確認しています」
「リディア、戻れ!」
ノエルが叫んだ。橋の端にいた兵が鉄鎖を引き、固定前の支柱が揺れた。支柱の足元の石が欠け、仮板が一枚跳ね上がる。リディアは足を止めた。兵が故意に引いたのか、慌てて鎖を動かしただけなのか分からない。ただ、橋を塞ぐための鎖が、修理中の構造を壊しかけていた。
ノエルは駆け寄り、彼女の腕を引いた。二人は欄干に寄り、外れた板を避ける。水面までの高さは大したことがないが、流れは速い。リディアは息を整え、彼の手を握った。
「大丈夫。落ちてない」
「怖かった」
ノエルはそう言った。怒るでも、強がるでもなく、ただ彼女の顔を見て。
「君が落ちたら、僕はどうしたらいい」
リディアは彼の上着をつかんだ。
「私も怖かった。でも、あなたが来てくれた」
「来るよ。何度でも」
彼は短く答え、彼女の額にそっと触れた。周囲の視線を気にする余裕がないようだった。リディアも彼を離せなかった。
ユリウスが苛立った声を上げる。
「茶番は終わりだ。橋は封鎖する。今の騒ぎで危険になった。責任は石工にある」
「今の鎖は誰の命令で動かしたんですか」
リディアは尋ねた。兵の一人が口を開きかけたが、ユリウスが遮った。
「私が命じた。だから何だ」
「修理中の橋へ、現場責任者に確認せず鎖を掛けたんですね」
「貴様、私を尋問するつもりか」
ノエルが日誌の余白に時刻と出来事を書き込んだ。リディアは向こう岸の老人に、今の様子を見ていたか尋ねた。老人は荷車の上からうなずいた。粉屋の女将も、兵が鎖を引いたのを見ている。
リディアはユリウスに向き直った。
「危険になったのは、あなたが封鎖を急がせたからです。橋を壊した責任をノエルへ押しつけることはできません」
「証人を集めて偉くなったつもりか」
「偉くなる必要はありません。橋を直して、通れるようにしたいだけです」
ユリウスは唇を歪め、夫人に何かを耳打ちした。夫人は頷くと、村役場へ向かって走り出した。
「何をするつもりですか」
「お前の店を閉じる」
ユリウスはあっさり言った。
「営業許可証を取り消し、倉庫の鍵を取り上げる。母親も店から出してやる。橋で遊んでいる間に、帰る家がなくなるぞ」
リディアは顔を上げた。母は広場から店へ戻ったはずだ。果実酒の樽と、母が守ってきた小さな帳場。あれだけは奪わせない。
ノエルが彼女の背に手を添えた。
「行こう。橋は僕の仲間に任せられる」
「でも、あなたの仕事が」
「僕は君の店にも通っている。客として、守る理由がある」
リディアはうなずき、橋の入口へ駆けた。追いかけてきた掃除係の少女が、息を切らして叫ぶ。
「リディアさん! 役場の人が、店の扉に赤い封印を貼ってた!」




