第22話 妹に警戒される生物兵器
「それは俺への警告か?」
「事実の確認だ。しかし……今夜お前は、供給元の解析を最初に行った。デバイスの核回路を書き換えて制圧した。それが今夜、一番被害を最小化した行動だった」
口角を静かに上げながら、小さな笑みを零す恒一。
「まあ、そうかもしれない」
「だが、風紀委員長の評価基準で言えば、今夜一番影読家の家系理念に近い動きをしたのは、紛れもなくお前だ」
「それを本人に伝えるつもりか?」
「いや、既に伝わっている。あの人は全部見ていた」
「……そうか」
少し間を空けてからネメシスは返す。
「一つだけ言う」
「なんだ?」
「さっきの一件の後で、お前への評価が変わった。まあ、危険な存在である事に変わりはない。しかし、信頼できるかどうかの部分が変わった」
「信頼できると……判断したのか?」
「今夜の行動を結果として見れば、そうなるな」
「ふっ、貴様は結果だけを見るな」
鼻で笑うように返すネメシス。
「……いや、見るべきは結果だけだ。俺の師匠が使っていた言葉だ」
「ん……それはまさか、神宮寺冬華か?」
「ああ、そうだ」
相手の顔を見ずに頷きながら正面を見据える恒一。
そして、その会話を最後に、二人が少し間を置いた。通路が静かである。
「……神代恒一。俺と握手をしろ」
静寂を破るように口を開いたのはネメシスだ。
「ほう、奇遇だな。同じことを考えていた」
目を丸くしながら意識を彼に向けると、緩やかに恒一が右手を差し出した。
するとネメシスも、軽やかに右手を差し出す。
そして二人の手が、地下の通路で確かに握り合った。恒一の手が、確固たる力で握り返す。
「今後も、よろしく頼むぞ。不破ネメシス」
「こちらこそ、神代恒一」
そう言うと微笑を浮かべながら、二人は地下の出入口の扉を抜けた。
石造りの階段を上がる。第三校舎の東側の外壁の前に出た。
四月下旬の夜の空気が、地下の冷気とは違う種類の冷たさで二人を包む。
気温は十四度だ。星が出ている。空の黒が深かった。
四月二十八日、水曜日。午前八時三十三分。地下の事件から一日が経過していた。
四月下旬の朝の光が、教室の窓から差し込んでいる。
外の気温は十七度で、教室内は二十度を保っていた。
新葉が育ち始めた木々が窓の外で朝の光を受けており、五月が近づくにつれて緑の密度が増している。
朝のHRまで十二分だ。一年一組の教室に、今日も生徒が集まる。
ネメシスが窓際の席に座っていた。漆黒に近い濃紫の瞳が、窓の外の光を受けている。
制服のジャケットを着用しており、姿勢が通常通りだ。
神経回路が昨夜の情報を、処理し続けている。
供給元不明の違法MAG。国外から持ち込まれた可能性がある術式基盤。
クーデター計画を利用しようとした、正体不明の第三者。
整理できていない情報が、神経回路の中に残っていた。
「ねえ、ネメシス」
彼の席の隣に立つミサキが声を掛ける。
「なんだ」
「美弥さんが来る。今日の朝から波長が向いてる」
教室の扉へと視線を向けながら、ミサキは腕を組む。
ネメシスの神経回路が、彼女の言葉を受けて走査範囲を広げた。
確認すると、神代美弥の観測補正系の波長が、確かに彼へと向いている。
今日の朝は、今まで確認した中で、最も密度が高かい。そして、美弥が教室に入った。
銀白に近い淡い黒の長髪が、朝の光を受けて輝いている。
氷色の瞳が、教室を一度で把握した。手鏡型デバイスが、制服のポケットから、僅かに覗いている。
美弥が歩いた。迷いなく、ネメシスの席へと向けて。そして、彼の席の前で止まった。
氷色の瞳が、ネメシスを見下ろす。今日の目の色が、今まで見た中で、最も明確な敵意だ。
観測の目ではない。感情の目である。
「不破くん」
美弥が言った。その声は普段の観測者としての声質と違う。感情を抑えようとしている声だ。
「神代美弥」
ネメシスが答える。
「昨夜、お兄様と一緒に行動したそうですね」
「ああ、そうだが?」
「どういう経緯で、一緒に動いたのか、教えてもらえる?」
「任務の内容は、関係者以外には伝えられない」
「関係者以外……」
今日初めての感情の揺れが美弥の声に出た。
「お兄様の妹である私が、関係者以外ということ?」
「任務の内容という意味では、そうだ」
「……不破くん、貴方はお兄様に近づきすぎている」
少し間を置いてから、美弥が低く重たい声を放つ。氷色の瞳が、細くなる。
「近づいたのではない。任務上で接触した」
「トーナメントで戦い、昨夜一緒に動いた。それを近づきすぎと言わずに何と言いますか!」
「必要な接触だった」
「私には不要だと思える接触です!」
「……はぁ、貴様の敵意の理由を、俺は把握している」
溜息を吐き捨てながらネメシスは、面倒くさそうに美弥へと視線を向ける。
漆黒に近い濃紫の瞳が、氷色の瞳を捉えた。
「……本当に把握しているつもりですか?」
「神代家として、俺を危険な存在と判断している。それに加えて個人として、恒一が俺と接触を深めることへの警戒がある。その二つが同時にあるという判断だ」
「……確かに正確ね」
少し間を置いてから美弥が呟く。
「否定しないか」
「否定する理由がありません。貴方の言った通りよ。……お兄様は人を信頼するのが早い。昨夜一緒に動いたことで、貴方への信頼が生まれた。それが私には怖い……」
表情を歪めると、自分自身を抱き締めるような仕草を、美弥は晒す。
「恒一を守ろうとしているのか?」
「ええ、そうです。それの何が悪いの?」
「いや、悪くない」
「……悪くない、と。それを貴方が言いますか……」
静かに圧を掛けるように、睨みを利かせる美弥。
「ああ、悪くない。妹が兄を守ろうとする感情は、俺には批判できない」
口角を上げて微笑むネメシス。美弥の氷色の瞳が、今日初めて揺れた。
批判されることを想定していた目である。批判が来なかったことへの困惑だ。
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