第19話 神代家VS生物兵器、再び
「だから、ここに来たのか……?」
「ああ、そうだ」
慈悲深い聖母のように微笑むネメシス。
だが、その時だった。突如として、通路の方向から、足音が鳴り響く。
全員が緊張を強めて、通路の入口を見た。やがて人影が現れる。学校の制服だ。
銀の徽章が、低い照明の光を受けていた。予科生である。
部屋にいた全員が一瞬にして、高めていた緊張感を和らげた。
「誰だ……? 一体ここをどこだと……」
席からが立ち上がる短髪の男子生徒。人影が部屋に入ってきた。照明の光が、その者の顔を照らす。
それは――神代恒一だった。黒髪。暗いグレーの瞳。数珠型デバイスが、右手首に巻かれている。
きちんと制服を着こなしていた。無駄な装飾が一切ない。
午後九時二十二分。地下の部屋に入ってから、八分が経過している。
四月下旬の夜が学校都市に降りており、地上の気温は十五度まで下がっていた。
地下の部屋は、地上より気温が低く、十三度前後である。
石造りの壁面が冷気を保っており、照明の熱だけが空気を僅かに暖めていた。
消灯時間まで、三十八分である。部屋の空気が、恒一の登場により変化していた。
上座の人物が、彼を見ている。表情が読めない。しかし、視線の質が変化している。
警戒から別の種類の計算に変貌していた。
「神代家の人間が、何故ここへ来た?」
上座の人物が言い放つ。その声は低く、感情が表面に出ていない。
「くそッ……! 神代家の人間がここにいることは、俺たちにとってリスクだ! こいつが、ここで見たことを外に持ち出せば、この場の全員が危険に晒される!」
「大丈夫だ。外には持ち出さない」
恒一が答えた。
「その保証は何だ?」
「神代家の名前だ。それと、この徽章かな」
「ふむ……神代家の名前を保証に使うということは、仮に約束を破れば、神代家の信用が失われるということか」
少し間を置いてから、上座の人物が彼へと睨みを利かせる。
「ああ、そういうことだ」
「ふっ、これまた大きな保証を出したな」
「それだけの場だと判断した」
「……おい、不破。お前は、この人間を知っているか?」
恒一からネメシスへと視線を移す上座の人物。
「ああ、知っている。トーナメントで戦った相手だ」
「敵か?」
「……難しいな。今夜ここに来るまでは、そう判断していた」
手を自身の顎下に当てながら、ネメシスは考え込む。
「今夜ここに来た後は?」
「ふむ……正直な所、まだ判断がついていない」
「……そうか。まぁいい、そこに座れ。神代恒一」
恒一とネメシスを交互に見てから、上座の人物が空席を右手で示す。
そして彼が空いていた椅子を引いた。テーブルの端である。ネメシスの斜め向かいの位置だ。
そのまま恒一が、椅子に座り込む。数珠型デバイスが、右手首に巻かれたままだ。起動していない。
しかし右手の指先が、数珠に触れていた。部屋の全員が、着席した状態となる。
「今夜ここに来た二人に、一つだけ確認する。お前たちは本当に、こちら側に来る意思があるのか?」
話を続ける上座の人物。
「ああ、勿論ある」
ネメシスが答える。
「俺は……まだ判断していない。しかし、話を聞く意思はある」
少し間を置いてから恒一が返した。
「判断していない人間を、ここに招いたわけではない」
「招かれた覚えはない。俺が自分で来た」
「自分で来た、ということは、ここの場所を知っていたということだ。どこで知った?」
目が細くなる上座の人物。
「独自で調べて特定した」
肩を竦めながら恒一は返した。
「どうやって、特定した?」
「因果演算だ。四月十一日の事件の結果から逆算した。事件が起きた場所、時間、残された痕跡。全てを因果演算にかけた結果、この場所に辿り着いた」
断言するように恒一が言い切ると、途端に部屋が静まり返る。
「因果演算で、ここを特定したと……」
今夜初めての緊張が、上座の人物の声に混じった。
「ああ、そういうことだ」
「ということは神代家はすでに、この場所を知っている可能性があるということか」
「神代家は知らない。俺が個人として調べた。神代家への報告はしていない」
「それを信じる根拠がない」
「信じるかどうかは、お前が決めることだ。俺は事実を言った」
淡々と恒一が言い切ると、周囲の空気が変化する。
ネメシスの神経回路が、部屋全体の魔力波長の変化を感知した。
上座の人物の波長が変化している。判断を下した時の波長の変化だ。
「……不破」
短く上座の人物が呟く。
「なんだ?」
「お前は俺たちの側に来ると言った。しかし今夜、ここに神代家の人間がいる。それが偶然だと思うか?」
「偶然かどうかは俺には判断できない」
「そうか? 俺には判断できる。神代恒一は、お前と一緒に来た。お前が中に引き込んで神代家が、ここを把握するための情報を取りに来た。それが俺の判断だ」
上座の人物の声が、さらに低くなった。
「違う」
「否定は結構だ。お前たちが本当に、俺たちの側かどうかを確認する方法は、一つしかない」
そう言うと徐に、上座の人物が立ち上がる。
「お前たちを戦わせる。神代恒一と不破ネメシスが、本当に敵対しているなら戦える。できないなら、お前たちは最初から、こちらを騙しに来たということだ」
双方に睨みを利かせながら上座の人物が、両手を広げて一つの提案を口にした。
すると部屋の全員が、一斉に立ち上がる。テーブルが端に寄せられた。
部屋の中央に、決闘用の空間が作られる。そこへ、ネメシスと恒一が立つ。
二人が向かい合う。ネメシスの漆黒に近い濃紫の瞳が、恒一の暗いグレーの瞳を見た。
一秒間、視線が交わる。恒一の目が、一瞬だけ変化した。何かを伝えようとしている目。
言葉ではなかった。視線のみである。ネメシスの神経回路が、その変化を受け取った。
蓮花から後方支援を任されていた恒一は、誰にも事情を話さず独断で潜入に踏み込んだ事を。
そして、戦えという命令が下された今、二人には選択肢がある。
戦わなければ、正体が露見すのは確実だ。戦えば、演技として成立する。
「さぁ、始めろ」
上座の人物が、指を鳴らす。すると即座に、恒一が先に動いた。数珠型デバイスが起動する。
微弱な術式波長が、部屋の空気に広がった。
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