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第13話 生徒会長を信じる、生物兵器

「ふむ、正当な反対意見だ」


 僅かに口角を上げるネメシス。そして桃華が少し目を細めた。


「自分への反対意見を、正当だと言うの?」

「正当だ。百年の慣例、実績の不足、出自の不透明さ。いずれも合理的な根拠がある。俺が反対側にいたとしても、同じ意見を出した」

「それでもスカウトされたら、どう思う?」

「困惑する。事実、今俺は困惑している」

「……ふふっ、正直ね」


 また笑みを零す桃華。今度は短い笑いだった。


「嘘をつく理由がない」

「では私が、なぜ貴方を選んだかを話しましょう」


 緩んでいた表情を正しながら桃華が言う。彼女の声が、また変わる。

 先ほどの事務的な声より、さらに深い声だ。自分の考えを言葉にする時の声である。


「トーナメントで見た。貴方の試合を全部を見た。そして観客席全体の反応を見た。正科生が変わった。予科生が変わった。教師陣が変わった。留学生が変わった。貴方が何かをするたびに、この学校の空気が動いた」

「それは俺への評価か?」

「観察の結果よ。貴方は今この学校の中で、最もバランスを壊す力を持っている存在だわ」

「バランスを壊す、とはどういう意味で言っている」


 姿勢を崩すと机の上に両の肘を乗せて手を組むネメシス。

 そして桃華がテーブルの上に両手を置いた。


「この学校には長年積み上がってきた構造がある。正科生が上で予科生が下。十の名家が中心にあって、それ以外が外縁にいる。留学生は観察対象で、学校内の力学に組み込まれない。その構造が、今年の四月に入ってから少しずつ歪んでいる」


 指先を軽く、テーブルの表面に触れさせながら、彼女は言葉を選ぶ。


「俺が原因か?」

「貴方が直接歪めているわけじゃない。でも貴方が存在することで、構造の前提が揺らいでいる。予科生が正科生を圧倒した。欧州三国の留学生が、一年の予科生に感情を向けた。神代家が貴方を注視し始めた。これは今まで起きなかったことよ」

「それが問題なのか」

「問題かどうかで言えば、大問題よ。百年の構造が揺らぐことは、この学校にとって不安定要素になる。それを懸念する立場は正しい」


 少し間を置いてから桃華が答える。


「しかし、それでも貴様は俺をスカウトした」

「ええ、そうよ」

「なぜだ?」


 目つきを細める事で、ネメシスは圧を掛けた。すると桃華が窓の外を見た。

 昼の光が差し込んでいる。新葉が揺れていた。数秒間、窓の外を見ている。

 それからネメシスに視線を戻した。


「貴方はバランスを壊す存在よ。それは本当のことだわ。でも……トーナメントの時のアイゼンさんの暴走を、私は最初から最後まで見ていた。貴方が退場通路に踏み込む瞬間を見た。霧の中で何度も叩きつけられながら、再生しながら、また前に進む場面を見た。そして霧が消えた後、貴方が通路から出てきた時の観客席を見た」


 右手を小さく軽く振りながら桃華は、トーナメントでの出来事を淡々と語る。


「観客席を、か?」

「ええ、静まり返っていた。あの静寂の意味が分かる?」

「三千人が何かを受け取った後の静寂だった。そう俺は判断した」

「そうよ。三千人が同じ方を向いた。それは私が、この学校に入学してから、一度も見たことのない光景だった。正科生も予科生も、留学生も日本人も、全員が同じ方を向いた。……貴方はバランスを壊す。しかし同時に、守る存在でもある」


 桃華の深い焦げ茶の瞳が、真っ直ぐにネメシスを見据えた。


「守る?」

「あの暴走を止めなければ、退場通路の被害がフィールドに広がる可能性があった。あの場には三千人の生徒が居て、教師陣は介入できなかった。それを貴方が単独で止めた」

「それは……結果としてそうなっただけだ」

「ここでは結果が全てよ」


 はっきりと確たる声で桃華が断言する。その声には、冬華の口癖と同じ種類の強さが滲んでいた。

 午後十二時五十二分。生徒会室に入ってから、十三分が経過していた。

 春の昼の光が南側の全面窓から差し込み続けている。


 外の気温は二十二度で、室内は二十四度を保っていた。窓の外では新葉が風に揺れており、昼休みの終わりが近づくにつれて、棟の外まで食堂の喧騒が届き始めている。


 ネメシスを生徒会補佐にスカウトする一件の話が一段落すると、桃華が軽やかに席から立ち上がりドアの方に向けて歩く。そして彼も席から立ち上がっていた。


「おい、待て」


 呼び止めるように、ネメシスが声を掛けた。そして桃華が足を止めて振り返る。

 彼女の深い焦げ茶の瞳が彼を見た。


「……わかった。その生徒会補佐とやらの話し、引き受けよう」


 話を聞いて暫し熟考した末に、桃華の提案を受け入れるように、ネメシスは小さく肩を竦める。


「……えっ、今決めるの? 一週間考えていいと言ったのに」


 彼の返事を聞いて、少し間を置いてから、彼女は首をかしげる。


「問題ない。しっかりと考えた」

「たった十三分で?」

「十三分あれば十分だ」

「理由を聞かせてほしいわ。十三分で決めた理由を」


 少し目を細めて声色を、凛々しいものに変える桃華。

 そしてネメシスは、自身の顎下に手を当てると少し考えた。

 漆黒に近い濃紫の瞳が、テーブルの表面を一度見て、桃華に戻る。


「貴様が言った言葉を整理した。バランスを壊す存在で、同時に守る存在だという評価。その評価が正確かどうかは俺には判断できない。しかし……」

「しかし?」

「俺がこの学校にいる目的は、学校内の情報収集と監視だ。その目的のために、生徒会補佐という立場は有利に働く。情報へのアクセス範囲が広がる。判断を下す場に近い位置に立てる。合理的な選択だ」

「合理的な理由だけ?」


 手の甲を自身の顎下に添えながら、桃華は少しの間を空けてから返す。


「それだけではない」

「では、もう一つの理由は?」

「貴様が五人の反対を押し切った。百年の慣例を崩す判断をした。その判断の根拠を、俺は今日直接聞いた。その根拠が、俺には誠実に聞こえた」


 顎下に触れていた手を下げると、ネメシスは鋭い視線を彼女へと向けた。


「誠実、ね」

「嘘や操作ではなかった。貴様が本当にそう考えていることが、神経回路の走査で分かった。誠実な判断に対して、合理的な理由がある場合は、応える意味がある」


 右手を小さく振りながら、揺るぎのない言葉を淡々と、ネメシスは口にする。

 それを聞いて桃華が、また笑みを零した。今日一番の笑いである。

 穏やかな微笑みではなく、本物の喜びが出ていた。

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