第9話 飛行デバイス
「構造は四層だな」
デバイスに触れながら、ネメシスは呟いた。
「演算核がコアにある。その外側に魔力同調器、術式展開補助層、安全制御機構。外側の線刻は装飾ではなく、各層への入力インターフェースだ」
「ああ、それは正しい」
「安全制御機構の位置が通常より深い。暴走時の遮断を最後の手段として設計している。つまり平常時は制御より出力を優先する仕様だ」
「……そこまで読めるのか」
「触れるだけで分かる。NMSウイルスの神経接続が、魔術的構造を直接認識する」
「……ならば、実際に解析してみせろ」
何か思い浮かんだようで、少しの間を置いてから、ミサキは指示を出す。
「ふむ……貴様が術式を展開すれば分かるがな」
「今は展開していない。ただ……デバイスの中には常時、待機術式が入っている。私のMAGの基本設定だ。それが読めるか?」
自身のデバイスの表目を、視界に収めながら彼女は話を続けた。
そして、ネメシスの指先が、デバイスの表面でわずかに止まる。二秒。
「……ふむ、読めるな」
独り言のように彼は吐き捨てた。
「精神干渉系の補助術式が一つ。対象の感情状態を読み取るための補助だ。それと、空間認識の補助術式。周囲の魔術的活動を常時スキャンしている。どちらも発動はしていない。待機状態だ」
淡々と解析した結果の内容をネメシスは告げていく。
それに対してミサキは、しばらく何も言わず、ただ只管に彼の報告を聞き入れて頷いた。
「……正確だ」
「どの程度、正確だ?」
「誤差ゼロだ。素晴らしいな」
素直にネメシスの能力を褒める彼女だが、その表情は一切崩れず真顔である。
そして彼はデバイスから指先を離した。
それからミサキは膝の上に端末を置き、次の説明の準備をしている。
金色の髪が肩から流れ落ち、首元の銀のチェーンが静かに光を反射していた。
「次はFLYについて説明する」
準備が整えられたようで彼女は静かに告げる。
「飛行デバイスか」
「ああ、そうだ。学校の実技訓練に組み込まれている。知っておく必要がある」
「了解した」
「正式名称はFLY、Floating Link Yard。MAGと連動して飛行を可能にする浮遊専用デバイスだ」
「MAGと連動が必須ということは、MAGなしでは飛べないということか」
右手を握ったり開いたりしながら、ネメシスは彼女を見る。
「そうだ。FLY単体では機能しない。MAGが術式演算を担い、FLYがその出力を飛行動力に変換する。両方が揃って初めて機能する設計だ」
「構造は?」
「足部と腰部に装着する。魔力を反発力へ変換し、微細な魔力噴射によって姿勢を制御する。発動中は継続的な魔力供給と精神集中が必要だ」
「継続的な精神集中が必要ということは、飛行中に戦闘行動を同時に行うのは高度な技術を要するということか」
ミサキの説明を聞いて彼は、しばらく考えた末に、その言葉を口にした。
「ああ、そうだ。そこが飛行戦闘の核心だ。FLYには三種類ある。一つ目は短距離浮遊型。数秒から数分の浮遊が可能で、学生用の標準装備だ。高所移動と落下防止が主な用途で、戦闘には使えない」
小さく頷きながら、彼女は淡々と説明を続ける。
「学校内の事故対策を兼ねているわけか」
「そうだ。魔法の訓練中に生徒が誤って吹き飛ばされた場合の緩衝用途だ。実際に毎年、それで命拾いしている生徒がいる」
「二つ目は?」
「機動飛行型だ。高速移動が可能で、空中戦に対応している。魔力消費が大きく、継続時間は使用者の魔力量に依存する。軍と特殊部隊、それから一部のエリート生徒が使用する」
「エリート生徒というのは、正科の上位層か」
「ああ、そうだな。学校の定期試験で一定以上の成績を維持した生徒には、機動飛行型FLYの使用が許可される。実技評価に組み込まれているため、上位層の訓練では必ず使用する」
「三つ目は?」
興味深そうに、ネメシスは目を細めた。
「安定巡航型だ。低速だが長時間飛行が可能で、偵察や輸送向きの設計だ。要人警護や長距離移動に使われる。戦闘には不向きだが、持続性では他の二つを大幅に上回る」
「俺が学校で支給されるのは短距離浮遊型か?」
「そうなるな。予科生の標準装備だ」
「で、貴様が使うのは機動飛行型だな」
少し間を置いてから、彼は指を鳴らして呟く。
「ああ、そうだ。私の場合は少々、事情が特殊だからな」
「ふん。貴様は実際に空中戦を、やったことはあるか?」
「……ある」
わずかに間を置いてからミサキが答える。
「どんな感覚だ?」
「地上戦とは、思考のモードが変わる」
タブレットから視線を上げて、彼女は正面の壁を見た。
「具体的に教えろ」
「地上では、足場と重力が判断の基準になる。しかし空中では基準がなくなる。全方位が戦場になる。上下左右すべての方向から攻撃が来る可能性がある。瞬時に三次元的な位置関係を処理しながら、飛行制御と戦闘行動を同時に行う必要がある」
「それは相当な認知的負荷だな」
「そうだ。だから空中戦で生き残る人間は、地上戦の強者より少ない。地上での実力が、そのまま通じない」
「魔法師同士が空中で戦う場合、戦術的な有利不利はどこで決まる」
静かにネメシスは天井を見上げる。
「高度と、魔力残量と、FLYの制御精度だ」
少し考えた末に、それらをミサキは伝えた。
「高度が有利になるのは、重力を利用した突入速度の差か」
「ああ、そうだ。高度を持つ側は、突入の初速で有利を取れる。低い側は上方向からの攻撃に対して防御範囲が広くなる。視野の問題もある」
「魔力残量は?」
「FLYは継続的に魔力を消費する。魔力切れになれば、即座に墜落する。高度がある場合、墜落は死に直結する。だから空中戦は持久戦になりやすく、相手の魔力を消耗させる戦術が有効だ」
「演算遅延は?」
「それが最も危険だ。姿勢制御は継続的な微細演算で成立している。攻撃や防御に意識を取られて演算が遅延すると、姿勢が崩れる。崩れた姿勢を修正するためにさらに演算が必要になり、その間に攻撃が来る」
わずかに目を細めながら彼女は答える。
「負のスパイラルだな」
「そうだ。経験の浅い飛行戦闘員が死ぬのは、ほとんどが、このパターンだ。攻撃を避けようとして姿勢が崩れ、修正しようとして演算が詰まり、そのまま墜落する」
「学校での空中戦訓練は、実際にどの程度の高度で行う?」
ネメシスは天井から視線を下ろした。
「通常は体育館の天井高、十二メートル程度だ。屋外訓練では校舎の屋上を超える高度、三十メートルまでは許可されている。それ以上は学生の身分では禁止だ」
「しかし、実際には超える生徒がいると」
「……まあ、禁止されているほど、試したがるのが人間だ」
淡々と言い放ち、ミサキは肩を竦める。
「毎年、禁止高度を超えた生徒が落ちる。死者は出ていないが、骨折や内臓損傷は定期的に発生している」
「安全制御機構が作動するのではないのか?」
「作動する。ただし作動までにタイムラグがある。墜落開始から制御が入るまでの〇・三秒で、高度によっては致命的な速度に達することがある」
「飛べる、ということと、飛んで戦える、ということは全く別の話ということか」
指の骨を鳴らしながら、ネメシスは淡々とした口調で呟いた。
そのまま彼は、ベンチの背に軽く体重を預け、腕を組む。
白衣の前合わせが少し開き、鎖骨から胸元にかけての白い肌が見えていた。
濃紺の髪が、蛍光灯の光の下で静かに揺れることもなく、前髪が目元に影を落としている。
口元の薄い笑みは、二時間近く経っても崩れていなかった。
ミサキは端末を膝の上に置き、画面を開いている。
金色の髪が肩から流れ、首元の銀のチェーンが静かに光を反射していた。
シャツの胸元が、深く息を吸うたびに主張する。
白い首筋に、消えかけた傷跡が一本、斜めに走っているのが蛍光灯の光で見えた。
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