第8話 ラグナロク因子
「つまり貴様は俺が魔法干渉能力で、どんな術式も無効化できるように、貴様はラグナロク因子によって人間の限界を超えた戦闘能力を持つ。そういうことか」
自身の顎下に手を当てながら、彼は静かに言い放つ。
「まあ、そういうことだな」
「俺の抑止力として機能する設計だ」
「そう設計されているからな」
「ふむ、なるほど」
そう言うとネメシスは、天井を静かに見上げた。
「なぁ、ミサキ」
「なんだ?」
「貴様は俺を止められると思うか?」
右手を挙げて室内の明かりに、自身の皮膚を照らしながら、その質問を彼が静かに投げ掛ける。
だがミサキは、その問いに対して、直ぐには答えなかった。
「止めることが私の仕事だ」
十秒ほどの沈黙の後、彼女は冷静に、しかし力強く告げる。
「それは答えになっていないな」
挙げていた手を下げるとネメシスは、そのまま天井に向けていた視線を移して、ミサキの横顔を見た。
「悪いが今の私には、それが限界の答えだ」
淡々と事務的な口調で彼女は返すと、タブレット端末の表面を静かに指先でなぞる。
白い頬。薄い口元。銀のチェーンが、呼吸のたびに微かに揺れていた。
そして膝の上のタブレットを閉じ、ミサキは右手首に視線を落とす。
「次の説明に入る」
事務的な口調で、再び彼女が言い放つ。
「今度は何だ?」
「MAGについてだ」
「魔術演算装置か。データに概要はある」
少し間を置いてから、ネメシスは答える。
「概要と実物は違う。学校に入れば、全員が携帯している。運用の実態を理解しておく必要がある」
そう言うとミサキは、自身の右手首を、彼の方へと向けた。
そこには、細いバンド型のデバイスが巻かれていた。
幅は二センチほど、厚みは五ミリ以下。
マットな黒の素材で、継ぎ目がほとんど見えない。
表面には極細の線刻が走っており、近くで見なければ装飾なのか、機能部品なのか判断できない。
金属とセラミックと何か、別の素材が複合されているようで、光の当たり方によって微妙に質感が変化した。
「MAG、Magical Algorithm Gear。魔術演算装置の総称だ」
「総称、ということは種類があるわけか」
「ああ、そうだ。形状も機能も多岐にわたる。ただし基本的な思想は同じだ」
デバイスを見せつけながら、ミサキは話を続ける。
「人間は魔法を使える。しかし、魔法を最適化できるとは限らない。術式の計算は複雑で、発動までに時間がかかる。精度も安定しない。その問題を解決するためにMAGは開発された」
「人間の演算を補助する装置か」
「そうだ。構造は三段階だ。魔法式の入力、精神演算、現象投影。この流れをMAGが補助することで、発動速度と安定性と再現性が大幅に向上する」
「MAGを持たない魔法師は?」
「実戦では機能しない。拳銃を持たずに戦場へ出る兵士と同義だ。才能だけで戦える時代は、第一次魔法戦争以前の話だ」
「なるほど。で、それはサポート型か?」
彼女の手首のデバイスを見ながらネメシスは尋ねる。
ミサキが僅かに彼と視線を合わせた。
サングラスのレンズ越しに、少し意外そうな気配がある。
「……そうだ。どこで判断した?」
「形状だ。腕輪型は補助・制御系に多い。攻撃特化なら銃型かグリップ型を選ぶ。貴様の職務は監視と支援だ。火力より精度と長時間運用を優先した選択だと判断した」
「……ふむ、素晴らしく正しいな」
小さく頷きながら彼女は呟く。
「私のMAGは補助・制御用の特殊研究型だ。ランクはSだ」
「Sランクというのは?」
「国家管理指定だ。一般には流通しない。民間で最高位はAランクで、軍の上級要員向けだ。Sランクは機関が直接管理し、使用者の身元と用途が完全に記録される」
「つまり貴様のデバイスは、ミネルヴァが管理しているわけか」
目を細めながらネメシスは、デバイスを注視しながら話す。
「そうだ。私の行動と魔術使用の記録は、すべて組織に送られている」
「俺の監視だけでなく、貴様自身も監視されているわけだ」
「それが組織の設計だ」
「ラグナロク因子を持つ貴様が、さらにSランクのMAGを使う。それが監視官に求められる水準か」
自身の顎下に手を添えながら、彼は少し考えてから口を開く。
「NEMESISの監視に必要と判断された水準だ」
「それはつまり俺の抑止に、それだけのコストをかけているということだな」
確信したかのように、ネメシスは静かに言い放つ。
だが、それに対してミサキは答えない。ただ、それは肯定と同義の沈黙だった。
「構造を確認させろ」
思いついたように指を鳴らしながらネメシスが呟く。
「デバイスをか?」
「そうだ。学校で遭遇する術式を解析するために、MAGの構造を把握しておきたい。実物の方が、精度が高いからな」
小さく頷きながら彼は再び視線を、ミサキのデバイスへと向けたまま答える。
そして彼女は僅かに、眉間に皴を寄せて少しの間を置いた。
それから右手首を、ゆっくりとネメシスの方に差し出す。
ネメシスは腕を組むのを辞めると、ミサキの手首に向けて手を伸ばした。
彼の指先がデバイスの表面に触れる。
ミサキの手首は細く、白かった。骨格の浮かび方が、長身に見合った均整を持っている。
手首の内側に、ラグナロク因子の接種痕が薄く残っていた。複数の、細い線状の痕跡。
ネメシスの指先がデバイスの表面をゆっくりと移動した。解析するように、確認するように。
ミサキは動かなかった。視線だけが、自分の手首に向けられた彼の横顔を捉えている。
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