第7話 対魔法存在統制機関ミネルヴァ
「次は組織の話をする」
首に掛かる自身の髪を払い退けながらミサキが口を開く。
「俺たちが所属する機関のことか」
「ああ、そうだ。潜入任務に際して、組織の全体像を把握しておく必要がある」
端末の画面を彼女は操作した。
いくつかの組織図と数値が展開されたが、やはりネメシスには向けず、自分の確認用として使う。
「正式名称は、対魔法存在統制機関、ミネルヴァ」
「ミネルヴァ、か」
確認するように、彼は静かに反復した。
「知恵と戦略の神の名を冠した組織だ。表向きは国家魔法研究機関として登録されている。学術論文も発表しているし、政府との協力関係も公式に存在する。一般には、魔法の科学的研究と安全管理を行う機関として認識されている」
「……だが、実態は少し違うと」
「ああ、そうだな」
小さく頷きながらミサキは返す。
「ミネルヴァの実態は、魔法兵器開発組織だ。表の顔を維持しながら、国家の公式記録に残せない研究を行っている。主な研究分野は四つある」
「ふむ、聞こう」
「一つ目、魔法兵器の開発。術式を組み込んだ兵器システム、魔法師の能力を増幅または制限する装置、対魔法師用の戦術体系。これらは国際魔法均衡条約の制限を受けるため、非公式の研究として進められている」
「二つ目は?」
「魔法感染症の研究だ」
「魔法が感染する、ということか?」
彼女の口から放たれた言葉を聞いて、わずかにネメシスは表情を顰める。
「正確には、魔法演算領域に異常をきたすウイルスの研究だ。対象の魔法能力を破壊する、あるいは暴走させる病原体の設計と、その対処法の開発。攻撃手段と防衛手段の両方を研究している」
「兵器としての使用を想定しているわけか」
「ああ、そうだ。三つ目は、対魔法存在の研究」
「それが俺のことか」
「そうなるな。魔法そのものを無効化する存在の設計と実現。NMSウイルスによる神経接続を利用した、魔法干渉能力の人工的な付与。この研究系列の最終到達点が、貴様だ」
右手の人差し指で、自身のこめかみを小突きながら話すが、その途中でミサキの視線は彼の顔へと向く。だが彼女の話を聞いても、ネメシスは何も言わなかった。
感情的な反応ではなく、情報として処理している沈黙である。
「四つ目は?」
「人造魔法生命体の研究だ。魔法演算領域を人工的に付与された生体、あるいは完全に人工的に構成された魔法使用可能な存在の設計。現在も複数のプロジェクトが進行中だが、いずれも実用段階には達していない」
「達していないから、俺の方向性が選ばれたということか」
「ああ、そうだ。ミネルヴァの内部には、いくつかの部局が存在する。その中で最も秘匿性が高いのが、オルフェウス局だ」
軽やかに指を動かして、ミサキは端末の画面を切り替えた。
「オルフェウス、か」
「冥界から愛する者を連れ帰ろうとした神話上の人物の名だ。意味は深く考えなくていい。組織名の命名者の趣味だ」
「ふっ、趣味の悪いことだな」
「……それについては同意する」
頭を抱えてながらも、彼女は淡々と続ける。
「オルフェウス局はミネルヴァ内部の極秘特殊部隊だ。表向きの研究機関という顔すら持たない、完全な実働部隊だ。主な役割は三つ。魔法災害の封鎖、対魔法存在の監視と制御、そして国家規模の危機への対応だ」
「魔法災害というのは?」
「魔法暴走による大規模被害だ。制御を失った魔法師が引き起こす空間崩壊や精神汚染が、市街地に及ぶケースがある。そうなった場合、通常の警察や自衛組織では対処できない。オルフェウス局が封鎖と無力化を担当する」
「無力化というのは、婉曲表現か」
「……ああ、そうだ」
一拍置いてから、ミサキは答えた。
「とどのつまり、殺すということだな」
「必要に応じて、そうなるな」
「貴様も、その任務をこなしてきたのか?」
彼女の瞳を見ながらネメシスは率直に尋ねた。
「……ああ、そうだ」
感情のない声が、ミサキの口から漏れ出る。
しかし、その簡潔さが経験の重さを逆説的に示していた。
ネメシスは一瞬だけ、彼女から視線を外すが、直ぐに戻し横顔を除く。
金色の髪の流れ。サングラスのチェーンが、首元で銀の弧を描いている。
白い肌に点在する、消えかけた傷跡。シャツの胸元が、呼吸のたびにわずかに動く。
「貴様はオルフェウス局の所属か?」
「ああ、そうとも言えるな」
「階級は?」
「上から三番目だ」
「ほう、若いな」
「これでも最年少記録だ」
「それが、貴様が俺の監視役に選ばれた理由か?」
抑揚のないミサキの言葉を聞いて、彼は少しだけ目を細めるが同時に口角を上げた。
「理由の一つだ。対魔法存在の監視には、それ相応の対処能力が必要だ。普通の人間では、貴様を止める手段がない」
「貴様には手段があると、そういうわけだな?」
「……一応は、あると判断されている」
「貴様自身は、どう思う?」
「……難しいな、判断保留だ」
わずかに間を置いてから彼女は答える。
「ふっ、貴様は存外、正直者だな。まあいい。それよりも、もう一つ聞かせろ」
薄く笑いながらネメシスは返した。
「なんだ?」
「オルフェウス局の人間が持つという、ラグナロク因子とは何だ」
「……知っているのか」
彼の口から放たれた特定の言葉を耳にした途端、ミサキの指先がタブレットの上で一瞬だけ止まると、唇を僅かに歪ませながら呟く。
「データに断片がある。だが、詳細が欠けている」
「……そうか」
彼女はタブレットを、膝の上に置き直した。
「ラグナロク因子は、ミネルヴァが開発した人工強化因子だ。人体の細胞に組み込むことで、身体能力と反応速度と戦闘能力を超人的な水準まで引き上げる」
「どの程度まで上がる?」
「通常の訓練で到達できる限界の、三倍から五倍だ。骨密度、筋繊維の収縮速度、神経伝達速度、すべてが書き換わる。反応速度に至っては、魔法師の術式発動より速い場合がある」
「副作用はあるのか?」
「……接種後の数ヶ月は、痛みが続く」
少し間を置いてからミサキは答える。
「それだけか?」
「……いや、それだけではない」
言葉を選ぶように彼女は、わずかに間を置いた。
「因子が安定するまでの間、感情の制御が難しくなる。怒りや恐怖が、通常より増幅されて出る。安定した後は収まるが、完全には戻らない部分もある」
「なるほどな。貴様が、感情を業務に不要な情報として切り離す習慣は、そこから来ているのか」
「……関係がないとは言えない」
彼の的を射た言葉に、しばらくミサキは口を閉ざしたが、その数秒後に小さい声で返す。
サングラスのレンズが、正面を向いたままだった。
ネメシスは、それ以上聞こうとはせず、視線を正面に向ける。
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