第9話 ついに接触する、生徒会長
「ねえ、ネメシスくん」
柔らかな声でリュミエールが尋ねる。
「なんだ?」
「午後の魔法実技のペアの件、まだ返事をもらっていないよ。僕とペアを組んでほしいんだけどな」
「それは先ほど聞いた」
「まだ返事をもらっていないよ?」
「返事の前にアイゼンも同じことを言った」
「僕が先に言ったんだよ!」
「順番は関係ない」
食事の手を止めて、ネメシスは淡々と返す。
「リュミエール、お前は昨日の実技でもネメシスの隣のポジションを取った。今日も同じことをするつもりか?」
アイゼンがフォークを置くと、灰青色の左目がリュミエールを見た。
「取ったというより、自然にそうなったんだよ」
「自然にはならない。意図してそうしたのだ」
「意図と自然は同時に成立するよ」
「詭弁だ」
「詭弁じゃないさ。アイゼンも同じことをしているじゃないか。今日の昼食の席、真正面を迷わずに取っただろ?」
「正面は観測に最適な位置だ」
「僕の隣も観測に最適な位置だよ」
「観測の目的が違う」
「どう違うの?」
「私は術式基盤の解析が目的だ。お前の目的は何だ?」
「総合的な観測だよ。術式だけじゃなくて、人格と感情と行動パターンの全部ね」
少し間を置いてから、人差し指を立たせて、リュミエールが呟く。
蜂蜜色の瞳が、アイゼンからネメシスに移る。
「それはフランス政府から与えられた任務の範囲なのか?」
「任務の範囲でもあるし、僕個人の興味でもあるんだ」
「個人の興味を任務に混在させるのは非効率だぞ」
「人間って非効率なものさ。アイゼンも最近そうなってきたじゃないか」
「……否定はできないな」
静かに腕を組むと、少し間を置てから、アイゼンが渋い表情を晒す。
「お二人とも随分と本音で、お話しになるようになりましたわね」
紅茶のカップをルクレツィアが静かに机上に置く。
サファイアブルーの瞳が、リュミエールとアイゼンの会話を聞いていた。
「ルクレツィアもでしょう?」
「私は最初から本音ですわ。英国王立魔導院では本音を隠すことを美徳とする文化がございますけれど、私は昔からそれが苦手でしたの」
「ルクレツィアは午後の実技で、ネメシスくんとペアを組もうとは思わないのかい?」
目を細めてリュミエールが、ルクレツィアを静かに見る。
「思っておりますわ。ただ私は……お二方よりも一つ、多い理由がございますの」
「一つ多い理由?」
「あの時の決闘の借りが、まだございますわ。あの日から一度も返せておりませんもの」
ルクレツィアがネメシスを横目で僅かに睨む。
サファイアブルーの瞳の奥に、今日も危険な色が潜んでいた。
「借りというのは?」
「私が負けた借り、ですわ。返す方法を今も考えておりますの」
「返す必要はない」
ルクレツィアを視界に捉えながら、グラスに満たされた水を飲むネメシス。
「貴方がそうおっしゃっても、私が納得しておりませんの」
「俺への執着か?」
「執着と呼んでくださって構いませんわ。否定はいたしません」
妖艶に微笑みルクレツィアは、挑戦的な視線を真っ直ぐにぶつけた。
そしてミサキが箸を置く。音がなかった。静かに置いたのである。
灰色の瞳が、テーブルを見ていた。ネメシスではなく、テーブルの表面を見ている。
「一つだけ言う」
口元をナプキンで拭いてから、ミサキが唐突に言葉を吐く。その声は平坦だった。
感情が表面に出ていない。しかし、声の質が今日一番低かった。テーブルの全員が、ミサキを見る。
「午後の実技のペアについて。ネメシスのペアは私が組む。それは譲らない。いいね? 三人とも」
「……み、ミサキさん……理由を聞いてもいいかい?」
歯切れの悪い言葉を呟くリュミエール。
「監視官として、ネメシスの実技中の状態を、最も正確に把握できる位置にいる必要がある。それが理由」
「……それだけ?」
「それだけよ」
足を組みながらミサキは、堂々とした態度を晒す。
「そうですか……監視官としての理由、ですのね」
少し間を置いてからルクレツィアが呟く。
「ええ、そうよ」
「他に理由はございませんの?」
「……ないわ」
右手を軽く振りながらミサキは返す。灰色の瞳が、テーブルの表面から、ルクレツィアに移る。
その声の温度が、さらに下がった。
「ふふっ、そうですの」
ルクレツィアが少し笑う。二人の間に、静かな緊張感が駆け巡った。
リュミエールが蜂蜜色の瞳で、二人を交互に見る。アイゼンが灰青色の左目で、状況を把握した。
「……空気が変わったな」
小声でアイゼンが言う。
「変わったね」
同じく小声で、リュミエールが答えた。
しかし、テーブルの空気が変化したのと同時に、食堂全体の空気が変わる。
変化は食堂の入口から始まった。入口のドアが開かれる。音がなかった。
しかし食堂に入ってきた人物を、入口付近の生徒が見る。視線が連鎖した。
入口付近から、食堂の奥へ向かって。次々と視線が向いた。声が止まる。会話が止まった。
食器の音が止まる。食堂全体が、十秒かけて静まり返った。
そう、再生院桃華が、食堂に入ってきたのである。彼女は一人だった。生徒会の随員を連れていない。
艶のある黒髪セミロングが、食堂の採光窓からの昼の光を受けて輝いていた。
深い焦げ茶の瞳が、穏やかな表情と共に食堂の奥を見ている。
百六十五センチの長身が、制服の濃紺のジャケットとスカートに包まれており、ジャケット越しでも分かる豊かな胸元のラインが、細身の体型と対比して際立っていた。
白いブラウスの衿が整然としている。制服のリボンが正確な位置で結ばれていた。
生徒会長としての徽章が、ジャケットの左胸に光っている。穏やかな微笑みが顔に定着していた。
午後十二時三十一分。桃華がネメシスたちの席に着いてから三分が経過していた。
春の昼の光が食堂の採光窓から差し込み続けている。
外の気温は二十二度のままで、食堂内の空調が室温を二十三度に保っていた。
窓の外では新葉が風に揺れており、昼の光の中で薄緑の葉が輝いている。
食堂の静寂が、まだ完全には戻っていない。
桃華が座ったことで食堂全体の注目が、ネメシスのテーブルに集中したままだ。
会話が再開している場所もあるが声量が落ちている。
桃華のトレーにはフランス料理エリアの、キッシュとコンソメスープのセットが乗っていた。
デザートのマドレーヌが添えられている。
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