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第8話 周囲の反応

「……意味が分からない」


 眉間に皴を寄せながら、アイゼンが困惑の色を表情滲ませる。


「ふふっ、いつか分かるよ」


 自分の唇に指を当て、リュミエールは、悪戯ぽっくウインクした。

 そして四つ目の椅子が引かれる。音がなかった。

 ミサキが音を立てずに椅子を引いて、ネメシスの隣に座る。トレーを置いた。


 和食のエリアで選んだ定食である。白米、鯖の塩焼き、ほうれん草のおひたし、豆腐の味噌汁だ。

 ネメシスと同じエリアの料理である。


 金色の髪が昼の光を受けて輝いていた。灰色の瞳が、テーブルの状況を、一度で把握する。

 ルクレツィア、リュミエール、アイゼン、ネメシス。四人が既に着席していた。

 ミサキがテーブルの状況を確認した後、箸を取る。一言も言わなかった。


「あっ、ミサキさん、今日もここに来るんだね」


 リュミエールが呟く。


「……当然でしょ」


 白米を口に運びながらミサキは返した。しかし、声の温度が数日前より低い。

 ルクレツィアが、ミサキを横目で見た。リュミエールが、ミサキを横目で見る。

 アイゼンが、ミサキを正面から見た。三人が、ミサキの灰色の瞳の奥に、同じ種類の光を確認する。


 午後十二時二十八分。昼食が始まってから、二十八分が経過していた。

 春の昼の光が食堂の採光窓から差し込み続けている。

 外の気温は二十二度まで上がっており、食堂内の空調が稼働して室温を二十三度に保っていた。


 新葉が芽吹き始めた木々が窓の外で風に揺れており、桜が完全に散った後の淡い緑が窓ガラス越しに見える。食堂の喧騒が続いていた。しかし、ネメシスたちのテーブルの周囲だけ、喧騒の質が違う。

 正科生エリアのテーブルから、視線が向き続けていた。今日で三日連続である。

 

 最初の日は物珍しさからの視線だ。二日目は習慣になりかけた視線である。

 そして今日は、感情の色が混じり始めた視線だ。

 男子生徒の視線の中に、今日初めての種類の色がある。


「あのテーブル、また五人全員が揃ってるな……」


 正科生の男子が、トレーを手にしたまま、棒立ちの状態で口を開いた。


「昨日より距離が近くなっていないか? ルクレツィアさんが不破の真隣で、しかも今日は肩が触れそうな距離だ」

「ミサキさんも反対側の真隣だ。二人に挟まれている……!」

「アイゼンさんが真正面で、リュミエールさんが斜め向かいだ……」

「全方向から来ている……というのか……」


 正科生の男子生徒たちが、黒く澱んだ言葉を連ねてゆく。


「俺は……ルクレツィアさんのことが……入学初日から――――」


 とある男子生徒が、一度だけ深く息を吸い込むと、全身を震わせながら口を開く。


「おい、言うな! 言っても状況は変わらない!」

「分かっている! 分かっているが……!」

「絶対に! 言うな!」


 全身を振動させている彼を、別の男子生徒が肩を掴んで、無理やり押さえつける。

 そして、その男子生徒は正面へと体を向き直す。


「不破の何が一体そんなにいいんだ……。予科生で、制服のまま試合に出て、触手を出す。絶対、普通じゃないだろ!」

「普通じゃないから惹かれているんじゃないか……?」

「それが理解できない!」

「理解できなくても現実は変わらない……」


 そう言うと男子生徒は口を閉ざして黙る。視線が、また五人のテーブルに向いた。

 ルクレツィアが紅茶を飲みながら、ネメシスに何か語り続けている。


「っ……面白くない」


 親指の爪を齧りながら、男子生徒が小声で呟く。

 一方で女子生徒のテーブルでは、別の会話が行われていた。その声が明らかに低い。


「ねえ、あの状況、どう思う?」

「んー、正直に言うと――――」

「言って」

「不破くんはヤリチンだと思う」

「……えっ、あっ……言い方が……」


 突然の卑猥な言葉に、女子が困惑した姿を晒す。


「でも実際そう見えない? ミサキさん、ルクレツィアさん、リュミエールさん、アイゼンさん、全員が同じテーブルに自分から来ている。不破くんが何かしたわけじゃないかもしれないけど、結果として囲まれている」


「ま、まあ……そうだけど……」


「それに……ミサキさんの目、見た? 今日の目が数日前と違う」

「どう違うの……?」

「怖い。静かなんだけど、怖い種類の静かさがある」


 そう言いながら女子は、グラスに満たされたお茶を飲み干す。


「だけど……それはそれとして、不破くんが囲まれているのは事実だからね」

「うん、これだと正科生の男子が気の毒……。ルクレツィアさんもアイゼンさんもリュミエールさんも、全員が予科生の一人に持っていかれたからね……」

「まあ、向こうは正科生とか予科生とか、関係なく動いているんだろうけど」

「……それが正科生からすれば面白くないんだよ、ね? たぶん……」

「ほんと、不破くんは一体何を考えてるんだろうね。ハーレムでも築こうとしているのかな?」


 机上に肘を乗せると、気だるそうに頬杖をつくが、その女子の声は更に低くなり視線は鋭い。

 そしてネメシスの神経回路が、周囲の視線と声を処理していた。


 食堂全体から漂う感情の密度が、今日は昨日より高い。嫉妬の波長が、複数の方向から届いていた。

 陰口の声が、神経回路の走査範囲に入る。ネメシスが静かに箸を置いた。深く息を吐き捨てる。


「なに、食事中に溜息?」


 白米を食べながらミサキが尋ねた。


「……面倒だ」

「何が?」

「全方向から感情が来ている。嫉妬、陰口、好奇心、敵意。全部同時に届いている。神経回路が処理しきれていない部分がある」

「それは随分と前から分かっていたことじゃないの?」

「分かっていた。しかし、今日は密度が上がっている」

「有名になるということは、そういうことだよ」


 少しの間を空けてから、ミサキが口角を僅かに上げる。


「……別に、有名になりたかったわけではない」

「なりたくなくてもなった。今更だ」


 小さく肩を竦めながらミサキは返す。そして、ネメシスが再び息を吐いた。

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