第4話 ドイツ少女の死の可能性
「俺は何かを引き寄せているのか、それとも本当に偶然なのか?」
手を自身の顎下に当てながら、ネメシスは熟考するが答えが出ない。
「ねえ、そういえば……リュミエールさんも入学二日目に不破にキスしてたよね」
教室後方の生徒が突然、思い出したかのように話し出す。すると教室の騒めきが、一段大きくなる。
「ああ、そうだ。あの日も教室が凍りついた」
「フランスとドイツ、両方から……」
「不破、お前一体どういう状況になってるんだ……」
「英仏独が全部不破に向いている……」
「ミサキさんはどうなの? ずっと隣にいるけど」
「ミサキさんの顔、今日なんか怖くない?」
「確かに。いつもと目の色が違うかも」
教室全体が、それらの話題で包まれると、完全に収拾のつかない状態になった。
その中には涙を流しながら、ネメシスへの憎悪を口にし、席を立ち上がる男子生徒まで出る。
前の席の生徒が後ろを振り返り、後ろの席の生徒が前に乗り出した。
リュミエールが自分の席で、困ったような、しかし楽しそうな表情を晒す
ルクレツィアが自分の席で、前を向いたまま動かない。
アイゼンが自分の席で騒ぎを見回しながら、自分が原因だと把握している表情をしていた。
「騒々しいぞ。静かにしろ」
鋭い冬華の言葉が室内に響く。その声は大きくなかった。しかし、声の質が変化している。
国家対抗魔法大会三連覇の魔法師が、感情を込めて言葉を出した時の声だ。
そして教室が一秒で静止する。全員が前を向いた。冬華が教壇の前に立つ。
漆黒の長髪が肩から流れており、切れ長の目が教室全体を見ていた。
巨乳の輪郭が教師用の制服越しに明確だ。百七十センチの長身が、教壇の前で真っ直ぐに立つ。
「HR中だ。私語は後にしろ。次に勝手に口を開いた奴は放課後残すからな」
腕を組みながら言うと、冬華は教壇に置かれていた端末に視線を落とす。
誰も声を出さなかった。完全な静寂の訪れである。
「ヴァイスベルク」
端末に向けていた顔を動かして、冬華は視線を彼女へと向けた。
「はい」
姿勢を正してから、アイゼンは返事をする。
「今日から授業への復帰を許可する。体調に問題があれば申告しろ」
「問題ないです。完全に回復しました」
「……そうか、ならばいい。それと、ヴァイスベルク。不破に何か言うことがあるだろ」
少し間を置いてから冬華は返すが、その切れ長の目がアイゼンを確実に捉えていた。
「……礼であれば、すでに伝えましたが……?」
首を傾げながら彼女は困惑した様子を晒す。
「礼ではなく、正確に伝えるべきことがあるはずだ」
「……どういう意味ですか?」
「四日前の事態について、学校として医療記録を精査した。神経系への過負荷の進行速度と、MAGの魔力暴走の拡散速度を計算した」
アイゼンを見たまま、冬華が淡々と言葉を続けた。教室の空気が、また変化する。
騒めきが消えていた。全員が冬華の言葉を聞いている。
「そして……計算の結果として、一つの結論が出た」
腕を組んだ状態で彼女が話を粛々と続けた。
「不破が介入しなかった場合、暴走が停止するまでの時間は、更に十二分から十五分かかっていた。その間、MAGの魔力暴走がヴァイスベルクの神経系を焼き続けていた。医療記録の数値から逆算すると――あれが長引いていれば、ヴァイスベルク。お前は確実に、あの場で死んでいた」
組んだいた腕を解くと一度だけ間を置いてから、冬華は真剣な眼差しを彼女へと向けて、医学的な事実を告げる。すると教室内は当然の如く静まり返った。今度は凍りついたのとは違う静寂である。
全員が今の言葉の意味を処理していた。
「し、死んでいた……」
誰かが小声で繰り返す。
「本当に?」
「神宮寺先生が、そう言った。医療記録から逆算した結果として……」
「つまり不破が介入しなければ……アイゼンは今日ここにいなかった……」
「おいおい、まじかよ……」
教室内では小声で、それらの会話が繰り広げられる。
そして当の本人のアイゼンは、机の上で両手を重ねていた。灰青色の左目が、前を向いている。
冬華の言葉を処理しているようだ。人工魔眼の青みがかった光が揺れている。
「ヴァイスベルク」
雷のように痺れのある響きの声で彼女が名を呼ぶ。
「不破への礼は、さっき伝えたのか?」
「はい、先ほど伝えました。しかし、それが神宮寺先生が告げた内容に対して、十分な礼だったかどうかは、今考えている最中です……」
「考える必要はない。伝えろ。今ここで」
それだけ言うと冬華は再び腕を組み、彼女とネメシスを交互に見据えた。
そして次の瞬間、アイゼンが席から立ち上がる。
スカートの裾が揺れた。銀混じりのブロンドが、朝の光を受けている。ネメシスの席に体を向けた。
教室全体が、アイゼンとネメシスを見ている。
「不破ネメシス」
表情を引き締めて、彼女が口を開く。今度の声は先ほどのものとは違う。
宣言の声でも、礼の作法の声でもない。感情を排除しようとして、しかし排除できていない声だ。
「神宮寺の言葉が正確なら、私は四日前に死んでいた可能性がある。……お前が介入しなければな」
「ああ、そうかもな」
ネメシスが短く答えた。
「お前は関係のない状況だった。試合は終わっていた。私とお前の間に、助ける義務などなかった」
「ああ、そうだな」
「それでも入ってきた。暴走魔力の中に、傷を受けながら入ってきた。私の記憶を受け取りながら、止めた」
「……そうだな」
「なぜ、そこまでした?」
少し間を置いてから、アイゼンが問う。灰青色の左目が、ネメシスを真っ直ぐに見ていた。
「さっきも同じことを聞いたような気がするな」
「聞いていない! 先ほどは礼を伝えた! 今は理由を聞いているのだ!」
「……やれやれ。ただ放置という選択肢を選べなかった。それだけだ」
少し考えた末にネメシスは問いへの解答を口にした。
「それだけ、とはどういう意味だ?」
「それ以上の説明が俺にはできない。選べなかったから、入った。理由はそれだけだ」
「……そうか」
少し間を置いてからアイゼンが呟く。彼女の声が低くなった。
感情が溢れそうになっているのを、処理しようとしている声だ。
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