第30話 初めての感謝
「ねぇ、ネメシス」
ゆっくりと口を開いて、僅かに首を傾げるミサキ。
「なんだ?」
「全方向から何かが来ている。神代家が注視を始めた。各国留学生が接触方針を変えた。生徒会が動いた。ミネルヴァも今日の記録を受け取った」
「ああ、そうだな」
「それが今日、一日の結果だよ。それについて、ネメシスはどう感じる?」
「……重い。今日一日が、凄く重い」
真っ直ぐに視線を向けたままネメシスは、少し考えた末に疲労感を露わにするように、手で眉間を押さえた。神経回路が今日一日の情報を処理し続けている。
試合の記憶。アイゼンの記憶の残滓。恒一の目の記憶。リュミエールの声の記憶。
各方向から届く魔力の波長。その全てが神経回路の中にある。
「疲れたの? ねえねえ、疲れたの?」
「……ああ、疲れたな。だが、それ以上に重い。情報が多すぎる。感情の残滓が多すぎる。神経回路が処理しきれていない部分がある」
「……ふふっ、それもひっくるめて、人は疲れたと言うんだよ」
右手を自身の口元に添えながら、ミサキは柔らかな表情を見せた。
「そうなのか?」
「そうだよ。……まあでも、ネメシスが疲れたと感じているなら、今夜は休んで。明日また処理できるからさ」
「……そうだな。気遣い感謝する」
少し間を置いてから、ネメシスは素直な気持ちを晒す。
「おぉ……! あのネメシスが、この私にお礼を言った! 目覚ましい成長だね!」
彼からの珍しい言葉に、少しだけ驚いた顔を見せながらも、ミサキは頬を緩ませて笑みを零した。
「おかしいか?」
「いや、おかしくないよ。……ただ、初めて聞いた気がして」
「……そうかもしれないな」
「ふふっ、どういたしまして!」
そう言うと静かにミサキは前を向く。だが、その口元は少しだけほころんでいる。
そして、二人の前方に男子寮が見えてきた。夜間用の照明の光りが、白と淡いグレーの外壁を照らし出す。
依然としてネメシスの内部では、神経回路が処理を続けている。
しかし、今日一日の最後に、彼の中に一つの認識があった。
今日の前と後で、何かが明確に変化したと。
試合の結果ではない。学校内での立ち位置でもない。
(俺が何者かを定義する権限が、設計した側から俺自身に移った)
心中にてネメシスは呟くが、それだけだのことである。
しかしそれが、今日一日の本当の結果であった。
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