第28話 緘口令
「担架の準備をしてください」
「待って! アイゼン、自分で歩けそう……?」
横からリュミエールが声を上げた。
「……試みる」
少し考えた末に、アイゼンが呟く。
「無理はしなくていいんだよ……?」
「無理かどうかは、試みてから判断する……」
そう言いながら彼女は壁に手をついた。
震える全身を気持ちで押さえ込みながら立ち上がろうとする。
だが足に力が入らなかった。
「ほら、やっぱり無理じゃないか」
即座にリュミエールが、横から手を伸ばして支える。
「……一度目では、判断できん」
「二度目だって同じ結果になるよ」
「試みなければ分からんはずだ」
「アイゼン」
「……なんだ」
「担架に乗って。……今日は、僕の言うことを聞いておくれ」
「……分かった」
少し間を置いてから、アイゼンの灰青色の左目が、リュミエールを見た。
その声には微かな抵抗が滲んでいる。しかし、拒絶はなかった。
その場で医療班が担架を広げる。アイゼンが大人しく担架の上で横になった。
「リュミエール」
「ん、ここにいるよ」
「私は……今日、何をしたのだ」
「暴走しちゃったんだよ。でも、もう止まった」
「正確には止めてもらった、だ……。自分では、止められなかった……」
「それでいいんだよ。一人で全部できなくたって、いいんだ」
「私は……そういう判断が苦手だな」
「だろうね、今日のキミを見ていたら、なんとなくだけど分かる」
「……そうか」
それだけ言うと、アイゼンが静かに目を閉じる。
医療班が担架を持ち上げた。その隣をリュミエールが歩く。
通路を抜けて、医務室へと向かう。そして医療班の別の一人が、ネメシスに近づいた。
彼はフィールドの外周に立ち尽くしている。制服の上半身が失われていた。再生が進行中である。
損傷の大部分は回復していたが、胸から腹にかけての皮膚が、完全には戻っていない。
「不破くん、状態を確認させてください」
「いや、結構だ。必要ない」
右手を軽く振りながら、ネメシスが答えた。
「しかし、損傷が確認されています。医療処置が――」
「再生している。外部からの医療処置は必要ない」
「それは……」
「俺の体の構造上、外部からの医療処置と再生が干渉する場合がある。処置は必要ない」
「……それがどういう原理かは、今は敢えて聞かないでおきましょう。しかし学校の規定上、戦闘後の医療確認は義務です」
ネメシスの言葉を聞いて僅かに表情を顰める医療班だが、少しの間を置いてから学校規定を楯に主張する。
「……はぁ、確認だけなら受ける。処置は不要だ」
「ええ、わかりました」
小さく頷くと医療班がMAGを使用して、ネメシスの状態を走査した。
「神経系への過負荷、なし。生命活動、正常。損傷は確認されますが、再生が進行中。処置の必要なしと判断します」
「ああ、そうだな」
「ご協力、ありがとうございました」
端末を懐から取り出して記録の入力を行うと、医療班は軽く頭を下げて、その場から離れる。
そして冬華が退場通路の入口に来ていた。
漆黒の長髪が照明の下で光り、切れ長の目が通路の状況を確認している。
彼女の鋭い瞳が通路の状態を見た。壁の黒変。地面の変色。施設への損傷。
全てを把握した顔を晒した。
「神宮寺先生。今回の事態について学校としての対応を決定しなければなりません」
冬華の隣に立つ学校運営部の職員が、どこか重たい雰囲気を全身に滲ませる。
「ああ、分かっている」
「アイゼン・ヴァイスベルクさんは現在緊急搬送中です。ドイツ連邦魔導技術庁への連絡も必要になります」
「……ったく、面倒だな。あとで行う」
「また、今回の事態は三千人以上の生徒が目撃しています。情報の拡散が懸念されます。国際的な影響が……」
「ちっ、緘口令を出す。それで当面は凌げるはずだ」
舌打ちを放ちながら、冬華が短く言い切った。
「学校としての緘口令ですか。それは……」
少しの間を置いてから、職員が弱々しい口を開く。
「今日の試合後半に起きた全ての事態について。アイゼンの暴走、退場通路への被害、不破ネメシスの介入。全てだ。例外は一切ない」
「全てを対象にするのは範囲が広すぎます。生徒への説明が……」
「説明すればいい。しかし、外部への情報流出を防ぐ必要がある」
「SNSについては……」
「今日の試合に関連した投稿を全面禁止にする。学校のネットワーク管理権限で、関連キーワードの投稿を一時的にブロックする」
「それは個人の通信の制限になります。保護者への説明が必要です!」
「説明は、この私が自らする」
職員に鋭い眼を向けながら、冬華は全身から気迫を滲ませる。
「学校内での魔法暴走事故は、学校の管理責任の範囲だ。情報管理は学校の権限内にある。やれ」
「……は、はい……」
指示を受けて職員が端末を操作した。すると観客席に、アナウンスが流れる。
施設全体に、均一な音量で。
「本日の試合において、フィールド外での魔力暴走事故が発生。関係者の安全は確保されている。ついては本日目撃した事態について、学校の指示があるまで外部への情報発信は控えてくれ。SNSを含む全ての通信媒体への投稿を一時的に禁止する。これは学校側の正式な要請だ」
端末を取り出して口元へ近づけると、事務的な口調で全ての生徒や職員に、それらのことを伝えて、冬華は即座に端末の電源を落として懐に戻す。
そしてアナウンスが終了して、その数秒後に観客席が一斉にざわめいた。
「緘口令……?」
「まじかよ? 学校が情報統制をかけるのかよ」
「SNS禁止か。今日の試合、外に出せないのか……」
「アイゼンの暴走を隠すつもりか!」
「隠すというより、国際問題になるのを防いでいるんじゃないか?」
「ドイツの留学生が暴走した。それが広まれば、学校とドイツの関係に影響が出るからな」
「しかし、三千人以上が見ていた。本当に全員の口を塞げるのか?」
大半の生徒たちが疑問と困惑の声を口にすると、それらは幾つも重なり合い場に妙な緊張感を生む。
しかし、それは決して混乱ではなかった。状況を理解しようとする声である。
そして全ての問題事が一旦片付き、試験が半ば中止状態になり、既に一時間四分が経過していた。
今現在の時刻は、夜の十一時過ぎである。
気温が下がり始めており、春の風が通路を通り抜けるたびに涼しさが混じった。
ネメシスはミサキと並んで、施設の外周通路を歩いている。
彼の負傷部位の再生は既に完了しており、医務室の備品から調達した白い上着を羽織っていた。
制服ではなく、簡素な白い上着が、月明かりを受けている。
漆黒に近い濃紫の瞳が、通路の先を見ていた。
NMSウイルスの神経回路が、今日一日で収集した情報を処理し続けている。
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