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第27話 騒動の反応

「……私は……私は、何をしていたのだ……」


 掠れた声をアイゼンが出す。


「暴走していた」


 淡々とネメシスが答えながら、彼女の隣に膝をついた。依然として上半身が再生途中である。


「止まったのか……?」

「ああ、止めてやった」

「お前が……止めたというのか……?」

「そういうことだ」

「……なぜだ」


 徐に天井を見上げると、少しの間を置いてから、アイゼンが呟く。


「さっき説明した。聞こえていなかったなら、もう一度言う」

「……聞こえていた」

「そうか、ならばいい」

「全部、聞こえていた……。私の、記憶を見たのか?」


 ネメシスの顔へと、彼女の灰青色の左目が向いた。


「ああ、見た」

「全部、か……」

「当然、全部に決まっている」

「廊下で一人だったことも……か」


 少し間を置いてから、アイゼンが尋ねる。


「ああ、見たぞ」

「……すまない、と言っていたことも……?」

「見た」

「……っ”!」


 アイゼンの目から、水分が滲んだ。それは意図したものではない。制御できていないようだ。


「私は……私はずっと、誰にも言えなかった……! 感情を排除するように育てられたから……私に感情があることなど、言えるはずがなかった……っ。廊下で一人の時だけ、ようやく吐き出せた……。だが、それも誰にも届かなかった……!」


 両手で頭を抱えながら、彼女は震える声を口にする。


「……かもしれないな。だが、少なくとも今日は届いた。違うか?」

「お前に……届いたのだな」

「ああ、そうだ」

「……ありがとう」


 涙を頬に伝わせながら、アイゼンが目を静かに閉じた。

 その声は掠れている。感情の排除が完全に崩れた声だ。

 それが、アイゼン・ヴァイスベルクという人間の、今日初めての本当の声である。


 そして彼女の暴走が止まり、既に十一分が経過していた。

 施設内の照明が変わらず白く点灯している。

 退場通路の壁の黒変が、縁から少しずつ回復していた。


 バリアの拡張作業が完了しており、通路全体が施設の保護範囲に入っている。

 気温は施設内で二十六度のままだったが、暴走中に充満していた魔力の残滓が、換気システムにより薄まった。


 観客席が、静かである。混乱が収まっていた。出口に向かっていた生徒たちが戻り、三千人以上が座席に戻っている。

 しかし誰も声を出していなかった。退場通路の入口が、フィールドの外周から見える位置にある。


 ネメシスが通路から出てきた。制服の上半身が大部分失われている。

 再生が進行中の皮膚が、照明の下で鈍く光っていた。

 胸から腹にかけての損傷が、まだ完全には回復していない。


 しかし、歩いていた。普通の歩幅で、フィールドの方向に歩いている。

 観客席が、その姿を見ていた。最初に声を出したのは、下段の一年生(一部)たちである。


「……触手魔が……出てきたぞ……」


 その声は小さいものだが、しかし静寂の中で、その声は周囲に電波した。


「おい、あれを見ろ! アイツ怪我をしているぞ! 制服が燃えている!」

「本当だ! だが……再生している。皮膚を回復させながら歩いている……」

「あの暴走状態の魔力の中に入って、それだけの傷で済むものなのか……?」


 それらの声が複雑に重なり合った。しかし、その言葉の数々は今日の試合中の声とは明らかに種類が違う。それは興奮ではなく、困惑というものである。

 そして予科生の区画から、一人の男子生徒が立ち上がった。


「例の触手魔が……暴走状態のアイゼンを止めた……」


 彼の声には驚愕と、呆然の感情が込められている。


「暴走状態の魔力の中に一人で入って……止めた。あの霧の中に……一人で……」


 男子生徒の言葉に続くようにして、隣の女子も震える声を漏らした。

 一方で正科生の区画は静かである。如月が座ったまま、ネメシスを見ている。

 今日の試合を通じて、彼の表情は何度も変化していた。


「触手魔は……今日一日で何回、俺の認識を変えさせる気だ……」


 隣の生徒に語り掛ける如月の声は今日一番低い。


「如月くん?」

「最初は制服で参加した。次に術式干渉を見せた。次に自己再生した。次に暴走状態の魔力の中に一人で入った。一人で入って、止めた。あいつは今日……何をしている。何者なんだ……」

「……そんなの簡単だろ、アイツはただの怪物だ」

「怪物が人を助けるのか……?」


 全身を震わせている如月が、か細い声で吐く。そして彼の言葉を聞いて、隣の生徒は黙る。


「俺はずっと触手魔を怪物だと思っていた。術式が規格外で、再生して、触手を出す。正科生を相手にしても動じない。それは怪物の振る舞いだ。しかし……怪物が、関係のない人間を助けるために暴走状態の魔力の中に入るか? あの損傷を受けながら、止めに行くか?」


 両手を小さく広げると如月は、顔を左右に振りながら思いを語る。そして彼は、通路の入口を見た。


「……行かないな、普通は」

「そうだ。普通じゃない。しかし……怪物の行動でもない」


 少しの間を置くと、両手で自身の顔を覆いながら、それを如月は口にする。

 ――そしてアイゼンの暴走停止から、十七分が既に経過していた。

 施設内の照明が変わらず白く点灯している。


 バリアの拡張作業が完了しており、退場通路全体が施設の保護範囲に収まっていた。

 通路の壁面の黒変が部分的に残されており、換気システムが暴走魔力の残滓を処理し続けている。

 他の生徒たちは、観客席に着席した状態で静かだ。


 次の試合の準備アナウンスが流れていない。

 その代わりに、フィールドの外周に、医療班が展開していた。


 医療班の責任者が、退場通路に入る。

 白衣に医療用MAGを装備した四人が、担架を抱えて通路に踏み込んだ。


「アイゼン・ヴァイスベルクさん、状態を確認します。動かないでください」


 医療班の一人が忙しない動きで彼女へと近づく。

 アイゼンは、リュミエールに支えられたまま、通路の壁際に座っていた。

 彼女(アイゼン)のデバイスは、停止状態のままである。


 装甲プレートが通常の灰色ではなく、暴走の影響で焦げた部分が残っていた。

 銀混じりのブロンドが乱れており、灰青色の左目がぼんやりと前を向いている。

 人工魔眼の発光は完全に消えていた。


「神経系への過負荷が確認できます。デバイスと神経系の直結が原因ですね。速やかに緊急搬送が必要です」


 アイゼンの全身を、念入りに触診しながら、医療班の一人が判断する。

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