第24話 皮膚を焼かれながらの前進
「デバイスの核回路を止めた。しかし、霧が再拡散している」
「どういうこと……?」
勝手に彼の後をついてきた、リュミエールが首を傾げる。
「デバイスを止めた後も、アイゼンの神経系に蓄積した暴走魔力が残存している。デバイスが供給を止めても、神経系そのものに溜まった魔力が外部に放出され続けている」
「つまり……デバイスを止めるだけじゃ、足りなかったんだね……」
「そうだ。神経系に蓄積した暴走魔力を、直接処理しなければ霧は止まらない」
「直接処理って……どうやって?」
乱れた呼吸のまま、リュミエールは周囲を見渡す。そしてネメシスは漂う霧の深部を見据えた。
霧の密度が更に強まる中、その中心に、また黒い影の輪郭が形成され始めている。
「……まったく、仕方がないな。今から俺の神経回路を、アイゼンの神経系に直接接続する。NMSウイルスが生成したワクチン術式を、神経系の内部に直接投与する。蓄積した暴走魔力を、内側から処理する」
「それって……ルクレツィアさんにやったやつと同じ事を?」
「ああ、構造は同じだ。しかし、ルクレツィアの時より規模が大きい。アイゼンの神経系全体に蓄積した暴走魔力を処理するには、より深い接続が必要になる」
「深い接続、というのは……?」
「アイゼンの精神崩壊の内容が、より直接的に俺の神経回路に流れ込む。今まで霧を通じて間接的に受け取っていたものが、直接になる」
「それは……キミにとって危険じゃないの……?」
僅かな間を空けてから、リュミエールが、か細い声で呟く。
「分からない。未経験の領域だ」
「未経験なのに、やるの……?」
「やらなければアイゼンが死ぬ」
ネメシスの声は平坦で単調なものだ。しかし、その平坦さの中に今日の試合では聞かなかった種類の確信がある。だが彼よりも先に霧が動いた。
アイゼンの神経系から溢れた暴走魔力が、霧として再展開する。
霧の先端がネメシスに向かう。通路全体が一瞬にして霧に覆われる。
彼の視界が塞がれた。だが、その霧の中でネメシスは臆することなく前へと進む。
一歩踏み出すたびに、暴走した魔力が神経回路に干渉した。干渉の強度が、先ほどより高い。
デバイスの供給が止まった分、神経系の暴走魔力が外部に向け、集中して放出されていた。
一歩目。神経回路が干渉を受けた。処理する。
二歩目。干渉の強度が上がる。処理した。
三歩目。アイゼンの精神崩壊の内容が、直接流れ込む。
恐怖。存在への疑問。孤独。演算の暴走。止まれという叫び。神経回路が、その全てを受け取った。
(……ったく、重いな。しかし、処理できる。まだ、処理できている)
心中にて独り言を吐き捨てるネメシス。神経回路の内部での処理だ。
四歩目。干渉が神経回路の処理限界に近づいた。霧が更に濃くなる。
視界が完全に、ゼロの状態と化した。
ネメシスは現在位置や左右の感覚も分からなくなるが、全神経を集中させて方向を音と魔力の流れで判断する。
五歩目。霧の濃度が最大になった。暴走した魔力が、彼の全身を包み込む。
制服の繊維が、魔力の干渉を受けた。繊維が一瞬にして焦げる。
皮膚の表面に、魔力の灼熱感が走った。
「……ちっ、熱いな。皮膚への物理的な干渉が始まったか。霧の密度が上がったことで、魔力の熱量が皮膚に直接作用している」
露骨に苛立ちながら、ネメシスは独り言を吐き捨てる。
だが速やかに処理した。連続して処理しながら、彼は歩き続ける。
六歩目。左腕に霧の濃度が集中した。
暴走した魔力が、左腕の皮膚から、筋肉層に侵食する。神経回路が再生を開始した。
侵食されながら、再生を繰り返す。再生の速度と侵食の速度が拮抗した。
「ふむ、拮抗している。このまま侵食が再生を上回れば腕を失うな」
冷静に腕の状態を分析しながらも、ネメシスは尚も歩みを止めない。
七歩目。霧の中心が近づいていた。赤黒い光が、霧の奥に見える。人工魔眼の残光だ。
「もうすぐだ」
ネメシスが呟いた瞬間、霧が一点に収束する。
アイゼンの神経系から放出される暴走魔力が、彼という侵入者に向けて集中した。
本能的な防衛反応だ。意図ではない。しかし結果として、霧の全エネルギーが、ネメシスに向かう。
衝撃波が正面から来た。それを諸に受け、彼は吹き飛ぶ。
全身を壁に叩きつけられた。通路の壁が、衝突の影響を受けて凹む。
背中を壁に擦らせながら、ネメシスが地面に落ちた。
制服の上半身が、大部分が焼け落ちている。胸から腹にかけて、皮膚が焼けていた。
左腕の筋肉層の損傷が、皮膚の下で進行している。
「ネメシスくん……大丈夫!? 返事をして……っ」
彼の背後から突如として、リュミエールの叫び声が届く。
「……ああ、問題ない」
皮膚を焼かれようとも顔色一つ変えず、ネメシスは地面に伏せたまま返す。
「問題ないって、今の衝撃を受けてそんな……っ!」
「騒ぐな。既に再生は始まっている」
負傷箇所を手で抑えながら、ネメシスは意識を全身の細胞に巡らせた。
実際に再生は始まっている。焼けた皮膚の下で、神経回路が再生命令を走らせた。
細胞が損傷部位に向けて移動し始める。
胸の焦げた皮膚が、内側から押し上げられるように、回復し始めた。
左腕の筋肉層の損傷が、逆行し始める。
「うむ、問題なく再生している。だが……これは流石に時間がかかるな」
「どのくらい……?」
「今受けた損傷を、完全に回復するには、三分かかる」
「三分も待てないよ……っ。霧が、また広がっているんだ!」
「ああ、分かっている」
徐にネメシスが地面に手をついた。そのまま上半身を起こして立ち上がる。
焼けた制服の残骸が、ひらりと地面に落ちた。上半身が露出する。
再生中の皮膚が内側から、発光するような色をしていた。
損傷が回復していく過程で、細胞の活性化が表面に光として滲んでいる。
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