第15話 生物兵器、死す
「不破ネメシス。お前は今日、俺に多くのことを見せてくれた。術式干渉、触手、NMSウイルスの神経回路。それらは全て、お前が人工的に作られた存在であることを示している」
「……ふっ、そうだな」
「しかし俺は今、お前を人工物として見ていない」
「ほう? ならば何として見ている?」
「俺と同格の強者として見ている。そして――これは八つ当たりだが、美弥を倒した相手としても見ている」
恒一の声が、一段と変化する。そして、その言葉が放たれたと同時に、数珠が最大の光を放つ。
「因果書換、第二段階。終焉の帰結」
術式の名を粛々とした声で彼が口にすると、フィールド上の空気が完全に変化した。
空気の密度ではない。因果の密度が変化したのである。
ネメシスが右手を前に突き出す。術式の核に干渉しようとした。
NMSウイルスの神経回路が、因果書換の演算構造を走査する。
見つかった。核の位置を特定した。しかし遅かった。
走査が完了する前に、核が展開を終えている。
因果書換が完成した瞬間、ネメシスの体に何かが走った。
痛みではなかった。存在の連続性が、一瞬だけ断絶した感覚。
自分が、ここに存在するための因果の連鎖の、ある一点が書き換えられた。
ネメシスの体が、前方に崩れる。そのまま膝がついた。右手が地面についた。
視界が、白一色に染められてゆく。
「ネメシス……! ネメシス、返事をしなさい!」
切迫した様子のミサキの声が遠くから届いた。しかしネメシスは、それに答えられない。
神経回路が、応答できていなかった。NMSウイルスの再生機能が、書き換えられた因果の修正を試みていたが、因果の書き換えは物理的な損傷ではないため、再生が対象を特定できていない。
(一体……なに起きた……。……死ぬのか……俺は……)
声を出さずにネメシスは思考した。しかし答えは出ない。そして地面についていた手足すらも、糸が切れた人形のように脱力して関節が折れると、彼の全身は盛大に地面へと転がり伏せた。
視界が白いまま、思考だけが微かに続いている。
それからネメシスが倒れて微動だにせず瞬く間に数分が経過すると、神妙な面持ちを晒した医療班がフィールド内に入ろうとしていた。
「医療班! 不破くんの状態確認を! 急いでくれ!」
現在の状況を重く見たのか、審判員が声を荒げて、医療班に合図を送る。
すると試合は自ずと一時的に中断されて、医療班の一人が前に出た。
しかし、フィールドに足を踏み入れた瞬間、その者の動きが止まる。
そう、ネメシスが動いたからだ。
倒れていた体が起き上がり、彼の両手が地面の表目に触れる。
次に膝が曲がり、安定した姿勢を取った。
そして、ゆっくりと、しかし確実な動作で、ネメシスが立ち上がる。
ジャケットの袖が、地面に擦れた影響で汚れていた。それ以外に目立つ変化はない。
彼は制服の乱れを手で軽く直した。
漆黒に近い濃紫の瞳が、視界を確認するように、一度フィールド全体を見渡す。
次に、正面を向いた。恒一が、そこに呆然とした様子で立ち尽くしている。
フィールドの中央で、ネメシスの立ち上がりを見ていた。
美弥が恒一の隣に立つ。ミサキのヨルムンガンドによる神経干渉が、時間の経過と共に薄れており、自力で立てる状態に戻っていた。
銀白に近い淡い黒髪が、照明の下で静かに光る。氷色の瞳が、ネメシスを見ていた。
四人の視線が、フィールドで交差する。恒一が最初に口を開こうとした。
しかし、言葉が出ない。暗いグレーの瞳が、立ち上がったネメシスを見たまま、動かなかった。
因果演算が処理を行う。目の前の状況を、因果の連鎖として分析しようとしている。
しかし、答えが出なかった。因果書換、終焉の帰結は、存在の連続性を断絶する術式。
今日の試合でネメシスに使用した時、存在の前提となる因果の連鎖の核心部を書き換えた。
物理的な損傷ではない。細胞の破壊でも、魔力回路の停止でもない。
ネメシスという存在が、ここに在る理由そのものを、一時的に消去する。
それが今、完全に回復されていた。五分もかかっていない。
恒一の因果演算が、この状況の説明を求めていた。しかし返ってくる答えがない。
「不破……お前は今、自分で立ったのか?」
まるで幽霊でも見たかのように、彼の声は震えていた。その声は先ほどよりも、また一段と低い。
「ああ、そうだが」
再び腕を組みながら、ネメシスは答えた。その声には、痛みも疲労も混じっていない。
「俺の因果書換が、お前の存在の連続性に干渉した。それは確認している。その干渉を、お前は五分以内に解消した」
「正確には四分五十七秒だがな」
「一体どうやって……」
「因果書換は、俺の存在に至る因果の連鎖の核心を書き換えた。NMSウイルスの神経回路は物理的な損傷を対象とするため、最初は修復対象を特定できなかった」
組んでいた腕を解くと、首に手を当てながらネメシスは、無表情のまま口を開く。
「そうだ。だから効いたはずだ」
「しかし、神経回路は学習する。因果書換が行った変更の内容を、存在の連続性への干渉として認識し直した。物理的な損傷ではなく、情報的な干渉として分類した。情報的な干渉であれば、神経回路は逆算による修復が可能だ」
「……逆算による修復とは、どういうことだ?」
少し間を置いてから恒一が聞き返す。
「書き換えられた因果の内容を読み取り、書き換え前の状態を復元した。因果書換の痕跡を情報として利用した」
「つまり――俺の因果書換の内容を読んで、それを使って自分を修復したと?」
震える声を喉から捻り出しながら、その場で彼は二歩ほど後退りした。
「ああ、まあそういうことになるな」
大きく肩を竦めながら、ネメシスは軽い笑みを零す。
そして美弥が、彼を見ていた。氷色の瞳が、動いていない。
いつもは何かを観測し、分析し、情報を整理している目だ。しかし今は、ただ見ている。
「お兄様の因果書換を……」
酷く掠れた声を出しながら、美弥が頬を引き攣らせた。
「お兄様の因果書換の痕跡を読んで、自己修復した……? つまり不破くんは、お兄様の術式の構造を倒れている間に完全に解析したというのですか……」
驚愕の事実を目の当たりにして美弥は、感情の部分が圧倒的されるが、それでも必死に言葉を続けようとする。だが言葉が出なかった。
観測補正系の魔法師候補生として、今日一日でどれだけのものを観測してきたか。
しかし、ネメシスという存在の観測結果が、美弥の分析体系の外に出ていた。
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