第14話 倒される妹
「だが……一つ問題がある」
「な、なんですか……?」
「貴様の術式は、私の行動を予測して対応する。だが予測を外した行動を取れば?」
「予測を外した行動とは……一体どういうことでございますか?」
張り詰めた表情を見せつつ、少し間を置いてから、美弥は疑問を口にする。
「ヨルムンガンドの神経接続は、私自身の神経系に干渉して動作を最適化する。でも今から逆のことをする。ヨルムンガンドを使わない、生の動作で動く」
「生の動作……?」
「補助なしの純粋な身体能力だけで動く。観測補正が解析するのは魔法師としての私の動作パターンだ。補助なしの動作パターンは、貴様のデータベースに入っていない」
「そ、それは……つまり……」
美弥の目が、わずかに揺れた。
「未収集のデータで動く。予測できないのではなく、予測の基盤がない動き方だ」
そう言い終えると同時に、ミサキが疾風の如く動き始める。
ヨルムンガンドの補助を切断した状態での動作だ。
当然ながら速度は落ちる。補助なしの速度は、補助ありより明らかに遅い。しかし動線が変化した。
魔法師としての最適化された動線ではなく、純粋な人間の動作の動線である。
美弥の観測反射が、生成した光の壁が、ミサキの予測動線を塞いだ。
しかし彼女は、その壁の前で止まることはしない。
補助なしの動作は、最適化されていない分、予測から外れていた。
光の壁と、ミサキの実際の動線が、数十センチずれている。
「なっ!? ずれております……!? 予測と実際の動線が合いません! データが足りない……!」
目を丸くして驚愕の声を漏らす美弥。
「ああ、そういうことだ」
光の壁の隙間をミサキが通り抜けた。美弥との距離が一メートルを切る。
「ヨルムンガンドを再起動する。今度は接触式だ」
動きながら巧みにミサキがMAGを操作すると、左耳のイヤーカフが僅かに鈍い光を放つ。
そして美弥の右腕に、彼女の左手が触れた。神経侵食が発動する。
「っ”……!?」
苦悶に満ちた声が、美弥から吐かれた。
「魔力回路が上書きされて……術式の命令が通りません……。デバイスも……動かない……」
「貴様の観測補正は強力だった。……ああ、称賛に値するほど本当に強力だった。しかし観測するためには、術式を使わなければならない。術式を使う回路を止めれば、自ずと観測も止まる」
「そんな……でも……!」
「諦めろ、神代美弥。貴様は今日、本当に良い戦いをした。だが今日の勝負は、ここで終わりだ」
己の勝利が確定しているように、腕を組みながらミサキは賛辞の声をかけた。
そして彼女が見せる圧倒的な強者の態度と、自らの状況を察して敗北を受け入れたのか、美弥の膝が静かに折れる。神経系への干渉が、全身の運動命令を遮断していた。
「お兄様……ごめんなさい。私が先に落とされてしまいました……」
綺麗な氷色の瞳に大粒の涙を滲ませながら、彼女は敗北の悔しさを全身に滲ませて肩を震わせる。
「問題ない。それよりも、無事か?」
ネメシスと戦闘中の恒一の声が、フィールドの奥から届いた。
「……はい、無事です。ですが動けません。ヨルムンガンドに回路を上書きされました……。術式が使えません……」
「……そうか、分かった。あとは俺に任せて、美弥は体を休めていてくれ」
彼女の状態を聞いて、抑揚のない口調で彼は返すが、その声色だけが一段と低くなる。
そしてミサキが美弥を抱えて離れた位置に移動し、二人だけになったフィールド上では、恒一とネメシスが正面から向き合っていた。彼の数珠が、今日一番の光を放ち続けている。
美弥の全域走査が消えた今、恒一は自身の因果演算だけで戦っていた。
先読みの精度が落ちていたが、それを補うように魔力の密度が上がっている。
暗いグレーの瞳に、今日初めて見る感情の色が宿った。
「美弥が落とされた……。俺の前で、俺の妹が倒れた。それは初めてのことだ」
怒りなのか動揺なのか恒一は、全身を大きく震わせながら呟く。
その声の温度は、今日の試合を通じて最も低いものだ。
しかし、その声の低さは冷静ではなく、感情を押さえ込んでいるものに近い。
「ああ、どうやらそうみたいだな」
余裕の態度を主張するかのように、腕を組みながらネメシスは答えた。
制服のままで立ち尽くしている。漆黒に近い濃紫の瞳が、恒一を真っ直ぐに見ていた。
「ミサキが撃破した。有効な戦術だったと判断している」
「……判断している、か」
低い声のまま恒一が続く。
「お前は、そういう言い方をする。感情ではなく判断として話す。美弥が倒れたことへの俺の感情を、お前は把握しているか?」
「怒りがある」
「そうだ。珍しいことだが、今俺は怒っている。美弥が試合に負けることへの怒りではない。美弥が俺の前で倒れたことへの怒りだ。それは別物だ」
「その怒りが、これから戦い方に影響するか?」
自身の顎下に手を当てながら、少しの間を空けてからネメシスが尋ねる。
「影響する。俺は今から、この試合で初めて、感情を込めて戦う」
そう宣言すると共に、恒一が装備する数珠の光が、さらに強く増す。
「因果書換」
静かに且つ怒気を孕んだ声で、彼が術式名を口にした。
今日の試合で、まだ一度も使用していない、術式名である。
フィールドの空気が変化した。それをネメシスは敏感に感じ取る。
魔力の波長ではなかった。時間の流れの密度が変化している。
「これは……因果の書き換えだ。現在の状況に至った因果の連鎖を、恒一が別の方向に書き換えようとしている……」
僅かに目を見張ると、ネメシスは歯切れの悪い言葉を呟く。
「どういうことだ、それは……」
離れた位置に移動していたミサキが異変を感じ取ると、即座に彼の傍へと移動して後方から声を掛ける。
「つまり、今この状況が存在するための前提を変える。俺が今ここに立っている因果を書き換えれば、俺の現在の状態が変わる」
「それが可能なのか……?」
「神代家の血統は、第一次魔法戦争で、それを行った。ルクレツィアの警告を覚えているか?」
「……ああ、覚えている。死んだはずの人間が生きており、負けたはずの戦闘が最初から行われていない状態になった……」
「ああ、そのレベルの術式だ。……まったく、チート過ぎるな」
「っ”! ネメシス、逃げなさい!」
「逃げても意味がない。因果の書き換えは対象の位置とは関係がない。俺の存在に至る因果の連鎖を書き換えようとしているなら、どこにいても適用される」
「じゃあ……どうするんだ!」
「干渉する。因果の書き換えにも、演算の核がある。その核に干渉できれば……」
「できれば……?」
「それを今から試す」
組んでいた腕を解くと、ネメシスは表情を引き締め直し、姿勢を僅かに低くした。
そして対面では、恒一が踏み出す。因果加速を使わない移動である。
ゆっくりと、しかし確実な足取りで、ネメシスに向かい歩いてきた。
数珠の光が、恒一の周囲の空間を、書き換え始めている。
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