第13話 観測反射
「ほう、やはり強いな……」
僅かに口元を歪ませるネメシス。それは驚きではなく、確認の声だ。
「お前も強い。俺の打撃を諸に受けて、そのまま立っている人間は多くない」
「再生があるから痛みを無視できる」
「痛みを無視して戦うのか?」
「ああ、そうだ。有利な条件だ」
小さく肩を竦めてネメシスは答える。そして矢継ぎ早に恒一が二撃目を放った。今度は速度が違う。
因果加速を局所的に適用した打撃だ。
拳が到達する因果の連鎖を速めることで、通常の反射速度では対応できない速度の一撃が生まれる。
ネメシスが後退した。完全には防げない。そして恒一の拳は右肩に直撃した。
すると観客席が一斉に声を上げて沸く。
「あの触手魔が後退したぞ!」
「神代恒一は体術に因果加速を組み込んでいる……。あれは止められないだろ……」
「打撃の因果を速めるなら、どんなに反射速度を上げても意味がない! 見えた時には既に当たっている!」
「例の触手魔が押されているとはな……」
驚きと歓喜の声が入り混じり、それらは観客席全体を熱狂的に包み込む。
観客席は三千人以上が総立ちのままで、声が途切れることなく続いていた。
気温は二十八度まで上がっており、フィールドの地面から熱気が立ち昇る。
依然として神代兄妹の猛攻が続いていた。
ネメシスは因果加速による恒一の打撃を受け続け、再生しながら情報を集めている。
ミサキは因果縛の制限と、美弥の観測補正の先読みに対抗しながら、ヨルムンガンドの射程に恒一を捉えようとしていた。だが攻めきれていない。しかしネメシスの収集が、完成に近づいていた。
そして彼が動きを変える。後退するのをやめた。
恒一の因果加速の打撃を、今度は受けるのではなく、横に流す。彼の拳が、ネメシスの肩を掠める。
「お前の動きが変わったな……」
短い言葉で恒一が呟く。
「ああ、まあな。たった今、収集が終わった」
僅かに白い歯を見せながらネメシスは返す。
「一体何を収集した?」
「貴様の因果加速の適用タイミングと、美弥の観測術式が情報を送るタイミングの間隔だ。情報が送られてから恒一が動くまでに、〇・三秒の遅延がある」
「……〇・三秒を分析したのか」
少し間を置いてから恒一が口を開く。
「十一分かかった。次からは〇・三秒先に動く」
「ふっ、面白い。やってみろ」
そう言うと彼が因果加速を発動した。だがネメシスが〇・三秒前に動く。打撃が空を切る。
恒一が初めて、打撃を完全に外した。
「……当たらないだと」
起伏のない彼の声が漏れる。その言葉には驚きが混じる珍しい声だ。
「因果演算で動線を予測しても、俺の内部が読めない以上、外見の動作から予測するしかない。外見の動作が〇・三秒先行していれば、予測が追いつかない」
「……なるほど、そういうことか。それなら……こちらも変えるまでだ」
そう言うと恒一の目が一段と鋭くなる。その時、ネメシスとミサキの間で合図が交わされた。
それは言葉ではない、ただの視線のみ。ミサキがネメシスを見た。彼が静かに頷く。
「分断する」
ミサキが呟く。それは小声だったが、確信を持った声だ。
そして彼女が、美弥に向けて動いた。恒一ではなく、美弥に向けて。
「美弥を先に落とす。全域走査がなくなれば、恒一の先読みの精度が下がるからな」
「ミサキさんが私に向かってまいります、お兄様!」
彼女の行動に逸早く気づくと、美弥が透き通る声を出して、即座に報告を行う。
「……ああ、追うぞ」
大きく頷くと、恒一が動こうとした。だがその時、ネメシスが彼の前に入る。
「おい、何処へ行く気だ? 貴様の相手は俺だぞ」
「美弥を守りに行けない状況を作る気か……」
口元を歪ませながら、苛立ちの雰囲気を滲ませると、恒一の動きは停止した。
「ああ、そうだ。ここに俺がいる限り、ここで貴様は戦わなければならない」
「っ……すまない美弥」
一秒ほど考えた末に、彼は謝罪の言葉を吐く。
「……いいえ、大丈夫ですわ。お兄様。私だけの力で、なんとかこの場を乗り切ってみせます!」
小さく頭を左右に振りながら美弥は返すと、覚悟を決めたように強き光を滲ませた瞳を晒す。
「ですから! お兄様は不破くんに集中してください!」
「……無理をするなよ」
「無理ではございません。……しかし、どうか早く終わらせてくださいませ、お兄様」
「ああ、分かった」
美弥の言葉に淡々とした口調で恒一は答えるが、その声には明確に覇気が込められており、その態度からして本気の様子。そしてフィールドが、二つの戦場に分断された。ミサキ対美弥の戦いが始まる。
「全域走査の範囲を絞ります! ミサキさん、お一人に集中いたします!」
手鏡型デバイスを彼女は正面に向けた。観測補正の全情報が、ミサキの動作解析に向けられる。彼女の動線が、リアルタイムで更新され続けた。
「参ります、右からッ!」
美弥が自分に言い聞かせる。しかし、情報を送る相手が恒一ではなく、自分自身になっていた。
観測補正は情報を提供する術式。しかし美弥自身が戦闘特化の、魔法師候補生ではなかった。
情報があっても、その情報を元に戦う身体能力と戦闘技術が、ミサキとは釣り合っていない。
「分かっております。ですが……私はお兄様の観測装置ではございません。私自身も、お兄様と共にお戦いできます!」
誰に言うでもなく美弥が、その言葉を叫ぶように言い放つ。
「……観測反射ッ!」
その術式を口にすると同時に、彼女が手鏡型デバイスを使用する。
それは観測した情報を、術式として返す能力。
ミサキの動線データが、美弥のデバイスを通じて、光の束として返射された。
彼女の予測動線を、逆算して生成された光の壁が、ミサキの前方を塞いだ。
「凄いな……そんな使い方もできるのか……」
壁を目の当たりにして、即座に彼女が動きを止める。
「観測した情報を攻撃に転換しているな。あの光は私の動線予測から生成されている。……つまり、私が動こうとした方向に、常に壁がある」
「ええ、そういうことです!」
相手の冷静な分析を聞きながらも美弥は、全神経を集中させて魔法を維持する。
「私はお兄様を補助するだけの存在じゃない! 観測補正系の魔法師候補生として、観測した情報を武器にすることができる!」
「……ふむ、素晴らしい術式だ」
口角を上げて僅かに、白い歯を晒すミサキ。だが、それは本気の声だ。
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