第12話 因果加速
「観測展開、全域走査」
術式名を美弥が口にした時、デバイスから光が広がる。フィールド全域を覆う観測術式が展開された。
光の層がフィールドの地面から天井まで広がり、全ての空間の情報が美弥のデバイスに収集され始める。
「見えました。不破くんの不審な位置、蛇ノ目さんの魔力密度と移動速度の推移……そのすべてが頭の中に流れ込んできます。――お兄様、今お送りいたします」
「ああ、受け取った」
恒一が数珠を手の中で握り、光を放たせた。情報が美弥から彼へと、リアルタイムで流れ始める。
そして、ミサキが前に出た。
数々の試合と同じ速度で、ヨルムンガンドの神経接続が身体能力を、最適化した動作で前方に踏み込む。しかし、今度は違った。美弥の観測術式が、ミサキの動線を開始前に把握している。
「蛇ノ目さんが来ます! 右から入ります!」
彼女が叫ぶ。その声は冷静だった。しかし、その冷静さの中に全域走査が提供する情報の確度がある。
恒一が右に一歩動いた。ミサキが踏み込んだ先に彼がいる。
「っ”……なんで……もう予測されている……」
表情を歪ませながら彼女が止まった。
「美弥の全域走査は、術式展開の準備段階から情報を取得する。お前が前に出ようとした瞬間、既に動線が割り出されていた」
抑揚のない声で、恒一が淡々と説明する。
「そして……因果縛」
その言葉を彼が呟くと同時に数珠が光った。
ミサキが次の動作に向けて、収束させていた魔力が、その因果により縛られる。
前方への突進という行動が、発動する前に制限された。
「足が重い……動きたいのに……思うように進めない……」
額に脂汗を滲ませながら、ミサキは歯を食いしばる。
「だが……なるほどな。ヨルムンガンドで身体補正を上げても、因果を縛られると意味がない……。この感覚は初めてだ……。嫌いな感覚だが……面白いな」
「ほう、随分と余裕があるな」
手を自身の顎下に当てながら、恒一は鋭い視線を向ける。
「余裕ではない。ただ……私は諦めるのが嫌いなだけだ」
額から流れ落ちる汗を、手の甲で拭いながら、ミサキは僅かに笑みを零す。
だが、その間に美弥が動いた。手鏡型デバイスを、ネメシスに向ける。
「不破くんの魔力回路を観測いたします! NMSウイルスの神経回路の構造さえ見えれば、お兄様の因果演算の精度がさらに上がります!」
「ふむ、面白そうだな。やってみろ」
仁王立ちのまま腕を組むネメシスは、笑みを晒す事で軽い挑発を行う。
そして美弥の観測術式が、彼の体内に向けて走査を開始する。
しかし三秒後、彼女の表情が僅かに変化した。
「えっ!? ――構造が、読み取れませんわ!」
「……どういうことだ?」
美弥の驚愕の声を聞いて、即座に恒一が聞き返す。
「NMSウイルスの神経回路が、観測術式に対して一切応答いたしません……。通常の魔力回路であれば、観測に対して固有のパターンを返しますのに……。不破くんの回路は、観測しようとした瞬間に情報が途絶えてしまいます……」
「ふん……観測を拒絶しているのか」
「拒絶というよりは、そもそも観測の対象になっていない感覚です……。確かに存在はしておりますのに、観測術式の網に、どうしても引っ掛かりません……」
「NMSウイルスの神経回路は、魔力体系とは別の基盤を持つ。観測術式が魔力の特性を対象にしている場合、俺の回路は対象にならない」
二人のやり取りを流し聞いていたネメシスが、律儀に補足を与えるように話す。
「……つまり、私の全域走査では不破くんの内部情報は掴めない……」
「そうだ。外見の動作情報は取れる。しかし、術式の準備段階は見えない」
「……それでは、お兄様の因果演算に影響を及ぼしてしまいます。因果演算は因果の連鎖を読み解く術式……不破くんの内部情報が見えなければ、先読みの精度が落ちてしまいます……」
少し間を置いてから、冷や汗を頬に伝わせながら、美弥が重たい声で呟く。
「半分の情報で戦うということか」
「はい、そういうことです……」
「なるほど、面白い構造をしているな」
鋭い視線をネメシスに向けながら恒一は呟く。珍しく、その声には感情が混じる。
戦闘中に感情を出すことのない彼が、この瞬間だけは本物の興味を声に乗せていた。
「お前の内部が見えない。因果演算の精度が落ちる。それが分かった上で聞く、不破。お前はこれをどう戦うつもりだ?」
「ふっ、愚問だな。今から試す。それが答えだ」
鼻で笑うように、ネメシスは反応すると、口角を吊り上げる。
「試す? 作戦がないということか?」
「作戦は相手を見てから作る。なんせ貴様とは、初めて向き合う相手だ。だから今から作る」
「……俺と同じ考え方だな」
少し間を置いてから目を細めると、恒一は小さく呟いた。
「そうなのか?」
「ここに来て俺も、初めてお前と向き合った。事前の計算より、今ここで見たものを優先する」
「それが因果演算の本質か」
「ああ、そうだ。未来を先読みするのではない。今の因果の連鎖を把握して、最も高確率な結果に向けて動く」
「なるほど、理解した」
そう言うと今日初めて、ネメシスは戦闘の構えを取り前に出る。
「……因果加速」
彼の構えを見て、恒一は数珠を光らせた。それは今日、初めて聞く術式名である。
彼の体が一瞬で間合いを詰めた。移動の因果により加速される。
出発点から到達点への因果の連鎖が、通常の時間軸より速く展開した。
FLYデバイスではなく、因果の速度変更による移動。
「神代家の血統は、そこまで使えるのか。凄まじいな」
素直な驚愕により、ネメシスの動きは、完全に停止している。そして恒一が、彼の間合いに入った。
そのまま彼は、体術を繰り出す。恒一の打撃が、速く、正確だった。
魔法の補助なしに、純粋な身体能力と、戦闘技術で構成された動作である。
だがネメシスは、相手の攻撃を避けることなく、敢えて受け止める事を選んだ。
瞬時に左腕を動かし攻撃を防ぐ。衝撃が腕から肩に突き抜けた。
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