第10話 術式の解体
「……え?」
気の抜ける声を篠原が出した。しかし次の瞬間、困惑が顔全体に広がる。
「防壁が、消えた……。壊れたんじゃない……消えた。魔力残量が減っていない……。術式が解除された感覚もない……。なのに……ない……」
「な、なにをした……。なにをしたんだ! 不破――ッ!」
声帯を震わせる勢いで月城が叫んだ。
「お前は何をした! 篠原の防壁に、何もしていないように見えたのに、なぜ消えた!?」
「単純なことだ。術式の核に干渉した。演算の構造を書き換えた。防壁を維持する命令が、存在しないことになった」
肩を竦めながらネメシスが律儀に淡々と答える。その声は穏やかそのものだ。
「……そんな、そんなことができるのか……。術式の核に直接干渉するなんて……どれだけの精度が必要だと思っているんだ……」
「精度の問題ではない。俺の神経回路が、術式の構造を認識して接触した。ただ、それだけだ」
「それだけ、だと……?」
彼の言葉に精神的な衝撃を受けたのか、篠原は全身の力が抜けるように膝が折れ、その場に崩れる。そして月城が前へと出た。防壁が消えた今、距離を取り続けても意味がないからである。
「雷撃で一気に仕留めてやるッ! 食らってみろッ!」
グローブ型MAGに彼は、自身の全ての魔力を注ぐ。
雷動系の最大出力が、両手のグローブに収束した。
フィールドの空気が、放電前の張り詰めた密度になる。
「雷霆一閃ッ!」
下唇を噛み締めながら、月城が前に踏み出すと、そのまま右ストレートを繰り出す。
雷撃がネメシスに向けて解放された。直線の光が、フィールドを横断する。
「よし! これは必ず当たる!」
「触手魔に直撃する。……ふっ、あの余裕の態度が崩れるところが楽しみだぜぇ!」
観客席から歓声が僅かに上がった。しかし、目の前に魔法が迫り来ても、ネメシスは動かない。
右手を前に出したままの姿勢で、雷撃の軌道上に立ち尽くしていた。
そして――雷撃がネメシスの指先に接触した瞬間、跡形もなく消滅する。
瞬く間に観客席が静まり返った。
「き……消えた……?」
誰かが絞り出すような声で呟く。
「雷撃が……消えた……まじかよ……」
「吸収したのか……それとも……」
「……いや、吸収じゃない。あの光の消え方は……術式が途中で解体された消え方だ……」
「雷撃を空中で解体した……?」
「指先一本で……? そんなの理論上不可能なはずでしょ……」
上級生の区画が、混乱した声に包まれている。
そしてフィールド上では、月城が立ち止まっていた。
グローブ型MAGから魔力が抜けてゆく。
「な、なぜだ……なぜ……俺の雷撃が消えた……。あれは最大出力だった……。一発で壁を貫く威力があった……。それがなぜ……指一本で……」
月城が震える口で、その言葉を捻り出す。
「術式の核を解体した。発動後でも、核が存在する間は干渉できる」
「そんな……そんなことが人間にできるのか……」
「人間かどうかは関係ない。俺の神経回路が、術式の構造を認識できる。それができれば、後は干渉するだけだ」
「っ”! 化け物だ! お前は人間なんかじゃない! ただの化け物だぁぁぁぁあッ!」
両手で頭を抱えると、月城は現実が受け入れられないようで、その場で甲高い叫び声を撒き散らした。
その声には、怒りの感情は込められておらず、本物の恐怖のみが滲む。
「……お前は人間じゃない。そんな能力を持った人間が……同じ学年にいるはずがない……。俺たちと同じ土台で戦っているふりをして……最初から次元が違う場所にいたんだろ……」
「人間かどうかは、俺にも分からない。ただ、貴様の術式は今の俺には届かない。それは事実だ」
月城に視線を交えながらネメシスは、慰めの言葉ではなく現実を突きつけた。
漆黒に近い濃紫の瞳が、真っ直ぐに彼の姿を捉え続ける。
「くそ、くそっ……! くそがああああああっ!」
叫び声を上げながら月城が、再びグローブに魔力を込め始めた。
「まだ俺はやれる……! まだ終わっていない! 篠原、後ろに下がれ! 俺が前で撃ち続ける! そうすれば、いつかは必ず通る! アイツだって無敵ではないはずだ!」
「……辞めておけ、月城。俺の防壁が消えた時点で、勝ち目はない。あの干渉能力に対して、俺には対抗手段がない。防壁を張っても消される。防壁なしで俺が戦える相手じゃない」
彼の肩に手を乗せながら、篠原は顔を静かに左右に振る。その声は極めて平静だ。
「……諦めるのか」
「諦めじゃない。現実だ。このまま続けても、俺たちが一方的に傷つくだけだ」
「……そうか、分かった。俺たちは、ここまでという事だな……」
その言葉と共に、先ほどまで月城が維持していた戦闘態勢が、完全に解除された。
グローブから一気に魔力が抜けてゆく。そして彼は審判員へと視線を向ける。
「棄権する」
その声には悔しさと諦めが混在していた。
「月城蒼也・篠原瑛二ペア、棄権の申告。第三試合、不破ネメシス・蛇ノ目ミサキペアの勝利っ!」
棄権申告を受理して大きく頷くと、審判員が手を天へと突き上げる。
観客席が一斉に動いた。今度は拍手ではない。声だった。
「術式干渉……」
「発動した術式を空中で解体した……?」
「指先一本で、防壁を消して、雷撃を消した……」
「あれは本当に魔法なのか? そもそも……魔法の範疇に入るのか……?」
「術式展開の痕跡がない……。デバイスの反応もない……」
「先週の触手と同じだ。術式でも、デバイスでもない、何か別のものだ……」
観客席の温度が、再び変化する。興奮ではなかった。畏怖そのものである。
一方で教師陣の専用席も静寂に包まれていた。冬華が腕を組んだまま、フィールドを見ている。
切れ長の目が、ネメシスを捉えていた。
「神宮寺先生、今の術式干渉は……」
隣の教師が震える声で尋ねる。
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