第8話 速戦即決
「速いっ!? 速すぎる!」
朱音が叫んだ。彼女は光収束系の術式を展開しようとしたが、ミサキがすでに射程の内側に入っていた。即座に朱音は判断する。杖型MAGを前方に突き出し、詠唱不要の光刃を展開しようとした。
「……ふっ、そこよ」
短くミサキが呟く。その声には感情が乗っていた。冷静だが、確信がある声。
ヨルムンガンドの主機能、神経侵食が発動した。
彼女の右手の指輪が光る。
対象の魔力回路を、神経網として上書きする汚染術式が、朱音の体内に走った。
「っ”……!?」
彼女が息を呑む。
「何が……何が起きているの……。術式の命令を出しているのに体が応答しない……。魔法回路に、変な感覚がある……。自分の回路なのに、自分のものじゃない感覚が……」
「貴様の魔力回路が、今は私の神経網として上書きされている。術式を使おうとする意志はある。でも使う経路が、今は私の管理下にある。ただ、それだけのこと」
「そ……そんな術式が……存在するの……」
「ええ、存在する。そしてそれは今、貴様の中で動いている」
「っ……魔法が使えない。体が動かない……。それだけじゃなくて……なんか、変な感覚がある……。平衡感覚がおかしい……。地面が傾いているような……」
段々と朱音の顔が蒼白に染まり唇も震え始めた。
「感覚錯乱も入っている。回路を上書きする時に、平衡感覚と触覚が一時的に乱れる」
律儀にミサキが説明を口にしながら、余裕の態度を見せるかのように肩を竦める。
だがその時、橘が左から動いた。ミサキが朱音に集中している隙を狙った判断である。
しかし、彼女は振り返らなかった。
ヨルムンガンドの蛇縛が、後方への範囲展開で発動する。
魔力で形成された疑似神経の鎖が、橘の運動命令系に侵食した。
橘の足が、六歩目で止まる。転んだのではなかった。動けなくなったのでもなかった。
動こうとする命令が、体に届かないのである。
「えっ……なに……? なんで……?」
息が抜けるような、か細い声を橘が漏らす。それは本物の恐怖が混じる声だ。
「足が動かない……。動かそうとしているのに……動かない……。さっき白鷺さんに使ったのと同じ魔法……? ……でも触れていない。貴女は私に触れていないのに……なんで動けないの……」
「蛇縛の射程は五メートル。貴様が今いる位置は、射程の内側よ。体を拘束しているわけじゃない。貴様の脳から体への運動命令を遮断している。動けない理由が分からないのは、拘束されていないからよ」
「……そ、そんな……そんな理不尽な……」
「理不尽じゃない。これが戦闘というものよ」
ミサキの声は淡々としている。しかし言葉の選び方が、冷たさとは違った。
そして結果的に、二人が同時に動きを止める。ミサキが二人から距離を取り、元の位置に戻った。
開始から、二十一秒である。観客席が静まり返った。完全な静寂が、四秒ほど続く。
それから、一気に爆発した。
「二……二十一秒……だと……」
「……触手魔は一歩も動かなかった……」
「蛇ノ目一人で……正科生二人を制圧した……」
「あのデバイス……一体なんだ? イヤーカフと指輪に見えたんだが……」
「装飾品に見えるデバイスで、神経干渉を行った……?」
「白鷺が光刃を出せなかったのは……魔力回路そのものを上書きされたからか……」
「……橘には接触なしで動きを止めた。射程五メートルで神経干渉が可能なのか……」
「正科生の女子二人が、完全に何もできないまま終わった……」
大勢の上級生たちの驚愕の声が重なり、それは瞬く間に観客席全体へと広がる。
「やはり、あの不破と常に一緒に居るだけのことはある! 蛇ノ目さんも、例外なく規格外だ!」
「だが、その肝心な不破は動かなかったな。また一歩も動いていない」
「正科生相手でも、観察しているだけだったぞ……」
一方で予科生の区画からは、多くの拍手が上がり、ミサキを称える声が止まらない。
そして正科生の、とある区画が動いた。
一回目の試合で敗北し、観客席で試合を眺めていた如月が、勢いよく立ち上がる。
その顔には明確な怒りが滲んでいた。
「ちょっと待ってくれ! 白鷺は俺たちの仲間だ! 正科生だ! それがあんな形で終わって、触手魔は一歩も動いていない! これは紛れもなく! 俺たちを完全に舐めているということじゃないのかッ!」
如月が声を荒げる。
「舐めているんじゃなくて、必要がなかったんだろ」
唐突に上級生の予科生が反論を飛ばした。
「必要がなかった、だと? 正科生が相手なのに必要がないって言うのか! それのどこが舐めていないんだ!」
「神代兄妹の試合でも、恒一さんは最後まで全力を出していなかった可能性がある。でも誰も文句を言わなかった。基準が違うんじゃないか?」
「それとこれとは違う! 神代は正科生だ。触手魔は予科生だ!」
「徽章の色で基準を変えるのか?」
「そういう意味じゃない! 俺が怒っているのは、白鷺が戦えなかったことだ! 術式を展開しようとして、体が動かなくなって、何が起きたかも分からないまま終わった。魔法師として、それは屈辱的じゃないのか! あんな形で勝つことが、本当に正しいのか!」
怒気を強めると共に、如月の声量も大きくなってゆく。
すると観客席のざわめきも、それに比例して大きくなる。
午前十一時〇二分。第三試合が始まる前の準備時間。施設内の照明が白く点灯し続けていた。
春の光がバリアを通して差し込んでいたが、正午に近づくにつれて光の角度が変わり、フィールドの中央部を直接照らすようになっている。
気温は施設内で二十四度まで上がっており、三千人以上の観客の熱気が空間に飽和していた。
第二試合の余韻が、観客席にまだ残る。
蛇ノ目ミサキという名前が、ネットワーク上で触手魔と並んで、急速に広まっていた。
神経干渉特化デバイスの情報は公開されていないため、あのデバイスは何かという投稿が乱立している。スクリーンに第三試合の組み合わせが表示された。
『不破ネメシス × 蛇ノ目ミサキVS月城蒼也 × 篠原瑛二』
観客席から声が一斉に上がる。
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