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第7話 ついに戦う、監視官

「ふむ……。まあ一応、情報の礼だけは言っておこう」

「お礼は貴方が、お勝ちになった後に伺いますわ」


 それだけ言うと、彼女は右手を軽やかに振りながら、廊下を歩き始めた。

 足音が静かに遠ざかってゆく。


「ん……全部、ちゃんと聞いてたよ。安心して」


 ネメシスの傍で端末を操作していたミサキが唐突に顔を上げた。


「ああ、そうだろうな」

「……あのルクレツィアが態々警告を持ってきた。それ自体が貴重な情報だね」

「まあ、そうかも知れんな」

「どういう意味だと思う?」

「ルクレツィアは今日負けた。神代兄妹に。その負けた相手についての情報を俺に持ってきた」


 少し考えた末に、彼は静かに口を開く。


「敵の敵を利用しようとしている、ということ?」

「ルクレツィアの目的は俺の操作だ。俺が神代兄妹と当たる前に、神代家の情報を持っておくことで、俺への影響力を確保しようとしている」

「情報提供という形の投資……」

「そうだ。だがそれとは別に、情報の内容自体は正確だと判断できる。ルクレツィアが嘘をつかないことは先週の決闘で確認している。真実の見せ方を変えるのがアイツの本質だ。今回は見せ方を変える必要がない情報を持ってきた」

「つまり、神代家の血統についての情報は信頼できる」

「そういうことだな」

「……ネメシス、ここから先の質問には正直に答えろ。嘘を含めば組織への反逆と見なす」


 端末を閉じると先ほどまでの軽い口調と雰囲気が一変し、ミサキの全てがミネルヴァに属する者の態度となる。そして彼女の灰色の瞳が、彼の顔に向けられた。


「なんだ?」

「神代恒一と対戦した場合、お前は勝てるか?」

「条件によるな」


 両目を閉じながら天を仰ぎ、ネメシスは答える。


「どんな条件だ?」

「恒一が今日見せた戦術の範囲で動くなら対処はできる。しかし、ルクレツィアが言った因果の書き換えが可能なら、その前提が崩れる」

「NMSウイルスの神経回路も、因果を書き換えられたら機能しなくなるか?」

「分からない。ウイルスの神経回路は因果に依存しない生物的な基盤を持つ。しかし因果の書き換えが過去にまで遡るなら、神経回路の存在自体が変更される可能性がある」

「それは……」

「最悪のシナリオだ。だが、そのシナリオが成立するかどうかは、実際に恒一と戦わないと分からない」

「最悪のシナリオが訪れる可能性があるとしても……貴様は戦うつもりなのか……」


 少しの間を空けて表情を僅かに強張らせながらミサキは呟く。


「ああ、そうだ」

「理由は……?」

「確認しなければならないことがある。恒一が本当に、それだけの血統を持っているなら、この学校にいる真の理由が分かる。予科を選んだ理由が分かる。この試験を経て何を確認しようとしているかが分かる」

「つまり、確認のために戦うと……」

「まあ、そういうことだな」

「……わかった、全て把握した」


 眉間に手の甲を当てながらミサキは、それだけ言うと静かに両目を閉じた。

 その声のトーンは業務的ではない。

 だがその数秒後に瞼を開けると、彼女は端末を再び開き、神代家の関連情報を検索し始めた。


 控室の照明が白く、二人を照らしている。次の試合開始を告げるアナウンスが廊下に流れた。

 春の光がバリアを通して、フィールドに差し込み続けている。


 午前十時三十七分。第二試合が始まる直前だった。施設内の照明が、白く点灯し続けている。

 春の光がバリアを通して差し込み、フィールドの地面に光の矩形を作っていた。


 第一試合の神代兄妹の圧勝が観客席の熱量を引き上げており、第二試合への期待が空間に充満している。気温は施設内で二十三度まで上がっていた。スクリーンに第二試合の組み合わせが表示されている。


『不破ネメシス × 蛇ノ目ミサキVS白鷺朱音 × 橘凛』


 観客席から一斉に熱の宿る暑い声が上がった。


「ついに触手魔の試合だ!」

「相手は白鷺朱音か。光輪院の分家だぞ」

「入学試験の成績が上位の正科生だ。光収束系の魔法師として期待されている」

「わくわくするじゃねぇか! 蛇ノ目の実力が、今日初めて見られるしな!」

「不破が動くかどうかも分からない。先週の決闘みたいに制服姿のまま、突っ立っているだけかもしれない」


 それらの歓声が会場内に響き渡る中、フィールド内に四人が粛々と入場する。

 ネメシスとミサキが左側に立つ。(ネメシス)は制服のままだ。

 ジャケットのボタンを、通常通りに留めた姿勢で、対面を静かに見ている。


 漆黒に近い濃紫の瞳が、相手二人を順番に捉えた。表情に変化はない。

 ミサキがネメシスの隣に立った。自前の戦闘服が、施設の照明を受けて黒く光る。


 金色の髪が肩から流れており、灰色の瞳が対面の二人を冷静に捉えていた。

 彼女のデバイスは、左耳のイヤーカフと、右手の中指の指輪。


 それらは二つの装飾品にしか見えなかった。金属の輝きが照明を受けており、学校の入学検査を通過した一般的な装飾品としか認識できない外見である。

 一方でネメシスたちの対面に立つ白鷺朱音は、女子用の軽量スーツを着用していた。


 淡い灰色の髪が肩まで伸びており、きちんと整えられている。

 目の色は薄い金色で、今日は緊張がわずかに滲んでいた。

 光収束系のMAGは細身の杖型で、右手に握られている。


 密着した女子用スーツが、細身の体型の輪郭を素材越しに示していた。

 隣に立つ橘も女子用スーツを着用している。


 朱音より少し背が高く、茶色の髪を後ろで一つに結んでいた。

 茶色の瞳に、闘志と緊張が混在している。


「白鷺さん、どう動く?」


 橘が小声で聞いた。その声には緊張が滲んでいる。


「不破が触手を出す前に終わらせる。私が光術式で前方を制圧して、橘さんは右から回り込んで。蛇ノ目さんを牽制してくれれば、私が不破を狙う」

「分かった。でも、蛇ノ目さんのデバイスって何? 全然分からない。あの装飾品みたいなもの?」

「情報がない。だから先手を取ることだけ考えて」


 朱音の声には覚悟と不安が同居している様子。


「第二試合、開始ッ!」


 審判員が手を上げて下げると同時に、試合開始の合図が下された。

 そして試合が始まると、逸早くミサキが動く。ネメシスは動かなかった。

 彼女だけが、開始と同時に前方に出たのである。その速度が、観客席の予測を外れた。


 ヨルムンガンドの神経接続機能が、ミサキ自身の神経系に最適化された出力補正を行う。

 脳幹への微弱な魔力フィードバックが、彼女の運動命令を演算して最短の動線を導き出した。

 通常の補助魔法とは根本的に異なる、神経そのものへの介入による加速である。

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