第6話 英国少女の降参
「……っ、わたくしたちの……負け、ですわ……っ」
状況を冷静に見極めたルクレツィアは、これ以上の戦闘は危険と判断する。
静かな降参宣言がフィールドに響き、審判は神代恒一・神代美弥ペアの勝利を宣言した。
会場は大歓声と拍手に包まれる。
優勝候補と目されたルクレツィア・如月ペアを無傷で破った神代兄妹。
その完璧な連携と、『因果操作』と『観測補正』が噛み合った圧倒的な実力を、観客全員が目の当たりにする一戦となった。
午前十時十一分。第一試合の終了から、十九分が経過していた。
施設内の照明が変わらず白く点灯している。
春の光がバリアを通して差し込み、第一試合の余韻が観客席にまだ残っていた。
気温は施設内で二十二度まで上がっており、三千人以上の体温と魔力の気配が空間を満たしている。
次の試合の準備が行われている間、出場待ちの生徒は臨時の控室エリアに待機していた。
そのエリアは、フィールドの外周に沿った廊下に面した区画だ。
長椅子が壁面に沿って並んでおり、各ペアが試合前の準備をする場所。
天井に換気システムが稼働しており、フィールドの熱気が直接届かない温度に保たれていた。
ネメシスは長椅子に座っている。制服のまま、背筋を伸ばした姿勢で、正面の壁を見ていた。
第一試合の情報を神経回路で処理している。ミサキが彼の隣に座っていた。
金色の髪が肩から流れており、灰色の瞳が端末の画面を見ている。
第一試合の映像記録を確認していた。だがそこへ、一つの足音が二人の元に近づく。
そう、その足音の正体はルクレツィアだ。
専用の戦装束を着用したまま、廊下を歩いている。金色の波打く髪が、歩く動作で肩の上を揺れた。
サファイアブルーの瞳が、ネメシスを捉えている。だが、そこに如月の姿はなく、一人で来ていた。
そしてルクレツィアは、彼の前で足を止める。その距離は一メートル程だった。
「少し、お話できて?」
「ああ、構わない」
「第一試合を、ご覧になっていて?」
壁に背を預けながら、ルクレツィアが静かに尋ねる。
ネメシスの正面ではなく、少し角度を付けた位置に彼女は立つ。
フィールド方向を眺めながら、彼とも話せる立ち位置だ。
「当然だ。しっかりと見ていたぞ。貴様と如月が敗北する瞬間もな」
「――っ……! 相変わらずストレートに物を仰るお方ですのね。……ですが、事実ですから構いませんわ。それよりも率直に伺いたいですの。神代兄妹の戦い方について、あなたはどう分析なさいましたかしら?」
「貴様が先に言え。分析を聞いてから俺の分析と照合する」
少しの間を空けてから、ネメシスは答える。
「相変わらず正直ですのね。……ええ、よろしくてよ」
ルクレツィアが少し笑った。芝居がかっていない笑みである。
「――あれは、競技の戦い方などではありませんわ」
フィールドへと視線を向けたまま彼女は声を落とした。
「どういう意味だ?」
「観技の戦闘というのは、フィールドの中で完結するものですわ。相手を倒すか、時間切れか、戦闘継続不能になるか……その三つのどれかで終わりますの。フィールドの外への影響など、考えなくてよろしくてよ」
「ああ、そうだな」
「ですが、神代恒一の戦い方は違いましたわ。あれは……フィールドの外にまで、戦場が広がっている前提の戦い方ですのよ」
「ほう、興味深いな。説明しろ」
ネメシスが少し目を細める。
「因果断絶、因果縛、因果転換……あの術式の使い方は、相手の行動を制限することに特化しておりましたわ。倒すのではなく、無力化する。戦闘不能にするのではなく、行動の選択肢を奪う。そして、神代美弥の観測補正は、常にフィールド全体の情報を収集し続けておりました。一対一ではなく、初めから複数の敵が存在する前提の情報収集ですのよ」
「つまり――――」
「あの兄妹は、一対一のトーナメントを戦っていたわけではありませんわ。複数の敵が存在する実戦を想定した戦術で動いておいででした。競技のルールの中で、本物の『戦場の論理』で戦っていたのですわ」
「ふむ、さすがルクレツィアだな。正確な分析だ」
腕を組みながらネメシスは、小さく頷きながら返す。
「貴方も同じ結論でして?」
「そうだ。加えて、恒一の因果演算は戦闘中に学習していた。最初の三発の弾道と最後の対処を比較すると、恒一の動作が精度を上げていた。一試合の中で戦術を更新する能力がある」
「――それは、わたくしも感じましたわ。最後の方は、こちらの手が読まれているだけでなく、先に答えを出されているような感覚がありましたの」
右手を自身の顎下に当てながら、ルクレツィアは神妙な面持ちで呟く。
「そうだ。観測補正が現在の情報を提供し、因果演算がその情報から未来を先読みする。二つの術式が連動して、相手の行動を現在形で把握している」
「戦場で、それを相手にするということの意味を……。本物の戦場で、あの兄妹が敵側にいたとしたら……どの時点で詰んでいるのか、それすら見えませんわ」
ルクレツィアの声が、一段と低くなった。
「発見した時点で既に詰んでいる可能性がある」
「そういうことですわね。それと、貴方にとっても今日の試合で一番警戒すべき相手は、神代兄妹ですわ。――念のために申し上げておきますけれど」
鋭く細められたルクレツィアの視線がネメシスを見る。
サファイアブルーの瞳に、警告の光が滲んでいた。
「ああ、どうやらそうみたいだな」
「それで? 貴方は警戒した上で、どう対処するおつもりなの?」
「まだ決めていない」
「まだ、ですの?」
「実際に向き合ってみないと分からない部分がある」
「貴方らしいお答えね。……ですが、神代家の血統が何であるか、あなたはご存じ?」
少し間を空けてからルクレツィアは、人差し指を立たせながら問う。その声は、一段低くなった。
「聖統院序列一位の家系だ。因果・血統・領域支配の系統を持つ」
「それだけではありませんわ。英国の魔法機関の資料に、神代家についての記述がございますの。公式のものではなく、過去の戦争記録の中に埋もれていた記述ですけれど。第一次魔法戦争当時、神代家の先代は単独で戦場の因果を書き換えましたわ。――味方の死を、起きなかったことにしたのです。敵の勝利を、最初から存在しなかった事実にしてしまいましたのよ」
立たせていた指を下げると、彼女は額に脂汗を滲ませながら、それらの事を語る。
「因果を書き換えた、とはどういう意味だ?」
「文字通りですわ。過去に起きた事象の因果を、遡って変更いたしましたの。死んだはずの人間が生きており、負けたはずの戦闘が最初から行われていなかった状態に……。目撃者の記憶まで変わっていたという記録が残されていますわ」
「それは、現在の恒一でも使用可能な魔法か?」
小さく息を吐き捨てた後、ネメシスは指の骨を鳴らしながら問う。
「分かりませんわ。ですが神代家の血統は、それを可能にする素地を持っていますの。恒一様が本日お見せになったものは、その素地の表面部分に過ぎない可能性がある……ということですわ。……さて、警告として一応お伝えいたしました。これらの情報の使い方は、あとは貴方が決めることですわ」
姿勢を正しながらルクレツィアは答える。
最後まで読んで頂きまして誠にありがとうございます。
宜しければ評価とブックマーク登録をお願い致します。
活動の励みとなり更新が維持出来ます。




