第19話 三つの国家
「今は、それだけだよ。でも、もし何か窮屈になったら、僕に話してほしいな」
「ふん、貴様に話す理由なんぞ――」
「大丈夫だよ。理由は後から出来るものだからさ」
そう言うとネメシスの顔を覗き込むように小さく微笑み、彼女は小悪魔のように人差し指を口元に当ててみせる。
そしてリュミエールは全てを話し終えて満足したのか、椅子から腰を上げると自分の席へと戻るべくゆっくり歩を進めた。そらから時刻は瞬く間に進み、今現在は午後四時五十三分。
三日目の授業が全て終わる。雨は午後になり完全に止んでいた。
しかし空は晴れておらず、厚い灰色の雲が低く垂れ込めたままである。
雨上がりの冷気が廊下の窓から染み込んでおり、気温は八度まで下がっていた。
濡れた石畳が照明の光を反射して、中庭が暗く光っている。
放課後の校舎に、生徒の足音が散っていた。
ネメシスは、一年一組の教室に、一人で残っている。他の生徒は全員退室していた。
ミサキは別件で、ミネルヴァへの報告連絡が入ったと言って先に出ている。教員も去っていた。
夕方の照明が、教室を均一に照らしており、窓の外の暗い空と対比して、室内だけが明るい。
ネメシスは自分の席で、今日一日で取得した情報を整理していた。
特筆すべきは三人。今日だけで、三人の外国人留学生が揃った。
ルクレツィア・クロウフォード。英国王立魔導院・対外戦略局付属。
リュミエール・アルノー。フランス政府・魔法庁公認。
アイゼン・ヴァイスベルク。ドイツ連邦魔導技術庁直属。
三人が、ほとんど同じタイミングで、同じクラスに集まった事実は、ただの偶然ではなかった。
しかし三人の行動様式が、全く異なっている。その差異が、それぞれの目的を示していた。
まずはルクレツィアの行動を振り返った。
初日の挑発的な発言。予科生への侮辱に見せかけたクラスの反応地図作成。
決闘の提案。王印弾の蓄積による状況支配。無言の戴冠による行動制御の試み。
全ての行動が、一つの方向を向いていた。対象を自分の術中に収める。
王冠口径の設計思想そのものだ。
引き金を引くことは契約を成立させることであり、対象を王の法に組み込むことである。
ルクレツィアがネメシスに対して、やろうとしていたことを言葉で表現するなら、それは『操作』だった。
対話を通じて情報を引き出し、状況を作り、最終的に彼の行動選択を、彼女の側が制御できる状態に持っていく。決闘は、その最初の試みだった。
昨夜の保健室での会話も、その文脈に置けば意味が変わってくる。
『責任を取れ』という発言は、感情的な反応だけではなかった。
ネメシスとの間に、何らかの契約関係に近い状況を作ろうとしている可能性がある。
(英国の目的は、操作だな)
彼は声に出さずに結論を出した。次に、アイゼンの行動を整理する。
転入初日に授業中の実力行使。規定違反のペナルティを計算済みで、それでも実行した。
目的は耐久力の確認。しかし耐久力の確認が目的であれば、それは兵器としての性能評価と同義だ。
アイゼンの本当の任務が、ネメシスの構造と能力と成長性の完全解析、再現可能性の検証であるとすれば『兵器化』という言葉が、その目的の核心にあった。
彼という存在を分解して、その原理を理解して、再現する。
あるいは再現できないとしても、ネメシスをより効率的に使用するための情報を収集した。
アイゼンが持つ、デバイスの設計思想が、その目的と一致している。
対象を構造として捉え、数値として処理し、最適な対処法を導き出す。
戦場を計算結果の集合体として見る思想が、ネメシスに向けられていた。
(ドイツの目的は、兵器化だな)
心中にて彼は結論を出す。最後に、リュミエールの行動を整理した。
今日の会話の内容を反芻する。『敵ではない』という明示的な意思表示。
ネメシスの人間性への肯定。オレンジジュースのエピソードへの言及。
『外に出る選択肢』という言葉。『窮屈になったら話してほしい』という申し出。
それらを繋ぐと、一つの方向性が浮かぶ。
リュミエールは、現在の状況からネメシスを引き出そうとしている。
ミネルヴァの管理下から。学校という閉鎖空間から。日本という国家の支配から。
『外に出る選択肢がある』という言葉が持つ意味は、中立的な情報提供ではなかった。
フランス側がネメシスに対して、何らかの形での保護か受け入れか、あるいは別の関係性を提案する準備をしている。その言葉を別の言い方にするなら『亡命』だった。
フランスは、ネメシスを日本から、ミネルヴァから切り離して、フランスの影響下に置こうとしている。その方法として、敵対ではなく共存を選んでいた。
力でねじ伏せるのではなく、ネメシス自身が選択することを促す形で。
(フランスの目的は、共存だ。しかしその共存は、対等ではない)
独り言を漏らすように、心中にて彼は結論を出した。
三つの目的が、教室の空気の中で整列した。
英国は操作。
フランスは共存という名の囲い込み。
ドイツは兵器化。
三つの方向性が全て、一点に収束していた。
不破ネメシスという存在を、自国の側に引き込むこと。
しかし、引き込む方法が三者三様だった。
ルクレツィアは、術中に収めようとする。
リュミエールは、選択肢を与えることで、自発的に動かそうとする。
アイゼンは性能を把握した上で、強制的に組み込もうとする。
「ふむ……盤上の駒、というやつか」
ネメシスは声に出して吐き捨てた。誰もいない教室に、静かに声が落ちる。
ミサキが以前言った言葉があった。『ここは戦場だ』
学校都市は教育機関ではなく、権力の縮図である。
その縮図の中で、自分は既に複数の国家の目的物になっていた。
入学三日目で、三つの国家が手を伸ばしてきている状況。
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