第18話 選択肢
「はぁ……貴様も中々に面倒な奴だな。……よし、謝罪は受け取った。これで満足か?」
「……受け取った、って言い方、なんだか独特だね。でも、キミらしい言い方だと思うよ」
小さく彼女が笑みを零す。それは困惑と愛おしさが混在したような笑い方だ。
「俺らしい、とはどういう意味だ?」
「感情より事実を優先して、でも相手の気持ちを無視しているわけじゃない。ちゃんと受け取ってくれている……僕は、キミをそういう人だと思っているからさ」
「ふん、たかが三日間の観察で判断できることではない」
酷く淡々とした言葉でネメシスは返す。リュミエールが転入生として、このクラスに来たのは今日だが、実は入学式の時から密かに自分を観察していたことを、彼はとっくに気づいていた。
「ふふっ、例え三日間でも、見ていれば分かることだってあるよ」
目元を細めながら笑う彼女の声は柔らかく穏やかなものである。
押しつけがましくなく、しかし確信を持っていた。
「ふむ、では一つ確認するか」
ネメシスは静かに、リュミエールを見た。
「ん、何かな?」
「貴様の本当の目的は何だ?」
「正直に答えたほうがいいかな?」
少し間を置いてから、彼女は足を組みながら答えた。
蜂蜜色の瞳が、動揺を含まずにネメシスを見ていた。
「ああ、是非ともそうしてくれ」
「んー……表向きは、国際魔法教育交流の研究だよ。それは嘘じゃない」
「本当のことだけ言っているが、全部を言っていない。アイツと同じ答え方だ」
「鋭いね。でも、一つだけ言えることがあるよ」
少しだけリュミエールが目を細める。
「言ってみろ」
「僕は、キミの敵じゃないということさ」
彼女の声と瞳は真っ直ぐであり、そこに濁りや不純物は見受けられない。
「敵ではない、という言葉は、味方であることを意味しない」
「そうだね。でも今は、それだけを伝えたかったんだ」
「なぜ今、そこから始める」
「キミを見ていると、ずっと一人で戦っているように見えるから、かな」
少し間を置いてから、リュミエールは独り言のように呟く。
それから、窓の外の雨を見た。雨粒が窓ガラスを伝い流れ落ちている。
「俺にはミサキがいる」
「ミサキさんは監視官でしょ? 立場が違うよ」
「……その判断は、三日間の観察で出るものではない」
僅かに表情を強張らせながらネメシスは返す。
「そうかもしれないね。でも、間違っているかな?」
小さく微笑む彼女の蜂蜜色の瞳には、彼を見透かすような光が宿っていた。
それに対して、ネメシスは答えない。否定しなかった。そしてリュミエールが話を続ける。
「キミはこの学校で、何かを確認しようとしている。それは分かるよ。でも、キミが人間として扱われているかどうかを、誰かが確認しているかどうかは、別の問題だよ」
「人間として扱われる必要があるかどうかも、別の問題だ」
「キミは人間だよ」
彼女の声が、少し強くなった。穏やかな温度を保ちながら、しかし確信を持つ声である。
「俺は人工的に作られた対魔法干渉兵器だ。その判断は――」
「ん……違うよ。だって、オレンジジュースを飲んで美味しいと思ったり、初めて飲む味に驚いたりするんだ。そういう瑞々しい感情を持つ存在が、人間でなかったら一体何だと言うんだい?」
ネメシスの言葉を、リュミエールが強引に遮ると、人間という部分を強く主張した。
「貴様……そこも見ていたのか?」
オレンジジュースの件を聞いて、彼は一瞬だけ表情を弱いものに変えるが、即座に鋭い視線を彼女に向ける。
「ずっと観察していたからね。キミが寮の自販機の前で立ち止まっていたのをさ」
「はぁ……ったく、勘弁してくれ」
「でも、それは本当にたまたまだよ。……まぁでも、その時のキミの顔が忘れられないんだけどね」
張り詰めていたリュミエールの声が、少しだけ柔らかみを帯びた。
「初めてオレンジジュースを飲んだ時の顔は、どんな設計や目的とも関係のない、ただ純粋な顔だった。心から美味しいと思っている……僕はね、それこそがキミの人間性だと思っているんだ」
まるで大切な宝物を差し出すかのような、ひどく優しく、そして切ない微笑みを彼女は浮かべている。
ネメシスは彼女を見た。リュミエールの蜂蜜色の瞳が、まっすぐに向いている。
演出がなかった。計算がなかった。ただ、そう思っていた。
窓の外の雨が、少しだけ弱くなる。彼女が視線を窓に向けた。
「ねえ、一つ聞いてもいいかな?」
「なんだ?」
「この学校の外の世界を、キミはどう思っている?」
「確認したことがない。入学前は施設の中にいた。この学校こそが、俺にとって初めて外に出た場所だ」
少し間を置いてから、僅かに口角を上げながら、ネメシスは答える。
それを聞いて、リュミエールの表情が、微妙に変化した。
悲しみでも同情でもない。何か、重要なことを聞いた時の顔だ。
「外の世界はね、この学校よりずっと広いんだよ」
「ああ、それは無論知っている」
「知識として、じゃなくてさ。感覚として、心で経験してほしいと思っているんだ」
「……なぜ貴様が、それを望む」
「キミが、ずっとここにいることになるかもしれないから」
少し間を置いてからリュミエールは、真面目な顔を見せながら呟く。
彼女の声のトーンが変化している。穏やかな温度を保ちながら、しかし言葉の重さが変わっていた。
「ずっとここに、とはどういう意味だ?」
「学校は管理された場所だよ。外周結界があって、巡回があって、全寮制で、すべてに記録が残る。そういう場所に、キミはずっといることになるかもしれないんだ」
「それが問題だと言いたいのか?」
「問題かどうかは、キミが決めることさ。でもね……外に出る選択肢が、君にはあってほしいと僕は思っているんだよ」
そう言うとリュミエールの蜂蜜色の瞳には、今まで見せていなかった種類の光が滲む。
「選択肢、とはどういう意味だ?」
眉間を手で抑えながら、ネメシスは一つの疑問を口にする。
それに対して、リュミエールは微笑みで返した。
だが今度の笑みは、少々複雑なものである。
柔らかくて、しかし何かを含んでいた。
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