第15話 ドイツ少女に殴られる生物兵器
「アイゼン・ヴァイスベルク。ドイツ連邦魔導技術庁直属の特別留学生だ。魔法系統は構造解析と強化系。以上だ」
リュミエールと入れ違う形で全員の前に立つと、彼女は軍隊の休めの姿勢のまま、短く簡素な自己紹介を述べた。そこには感情の起伏が、まるで存在しない。
自己紹介として、最低限の情報だけを提示して終わらせたような感じだ。
教室内が一瞬だけ静まり返る。それから、反応が分かれた。
「か、かっこいい!」
「あの前腕の装備、もしかしてMAGか?」
「目が、なんか怖い……。でも整ってる……」
「これが本物の軍人の圧力……すげぇや……」
男子生徒側から様々な反応の声が上がる。
「なんか近づきにくいかも……」
「でも存在感がすごい!怖いけど!」
「あの傷跡、本物の戦闘経験があるってこと?」
女子生徒側は、リュミエールの時とは違う反応の温度だ。
「二名とも今日から一組の生徒となる。席は空いている場所を使え。以上、余計な話は授業後にしろ」
行事的な転入生の紹介を、早々に終わらせるべく、冬華が教壇から冷めた声で吐く。
それは実に彼女らしい簡潔さだった。
リュミエールは微笑みながら軽い会釈をし、空いている席へと向かう。
アイゼンは会釈せず、無表情のまま最短経路で、空き席に移動した。
ネメシスは二人が着席する過程を観察する。そして並行して、データの照合を始めた。
まずはフランス人のリュミエール・アルノー。
フランス政府・魔法庁公認留学生。光と精神干渉系。フランス魔法界の表の名門、アルノー家。
魔力波長を確認した。穏やかで均一な波長である。
攻撃的な起伏がなく、周囲に影響を与えながらも、侵入しない性質の魔力だ。
感覚増幅光と共鳴照射という術式の特性と一致する。戦闘特化ではない。調律特化だ。
(なるほど、後方支援型というわけか)
ネメシスは心中にて独り言を漏らす。そして次にドイツ人へと意識を向ける。
アイゼン・ヴァイスベルク。
ドイツ連邦魔導技術庁直属特別留学生。構造解析と強化系。前腕部の装甲デバイス。
魔力波長を確認した。重く、密度が高かい。
圧力を持つ波長で、周囲の空間に無言の圧を与えていた。リュミエールの波長とは対照的である。
右目の人工魔眼が、起動していない状態でも、微弱な魔力を放っていた。
構造透視演算に関係する器官だと推測できる
(ふむ、こっちは少々厄介な相手かも知れんな)
心中にてネメシスは重たい声を漏らす。午前九時十四分。
一時限目が始まってから、二十三分が経過していた。雨は止んでいない。
窓の外の雨粒が細かいまま、一定の密度で降り続けていた。
中庭の石畳は完全に濡れており、植木の葉が重みで垂れている。
教室内の照明が、曇り空による光量不足を補って、白く点灯していた。
気温は九度のままで、廊下側の壁が冷えている。授業は魔法理論の基礎だ。
担当教員が黒板に、魔力回路の基本構造を書きながら、説明を続けている。
生徒の大半がノートを取っていた。ネメシスはノートを取っていない。
板書の内容は、すでに把握していた。
視覚から取得した情報が、神経回路に直接記録される。紙に書く必要がない。
その代わりに、教室内の観察を続けていた。アイゼンは窓側の後方に着席している。
ノートを取っていなかった。ネメシスと同じ理由か、どうかは判断できなかったが、板書を見ておらず、教員の声にも反応していない。灰青色の左目が、教室内を一定間隔で動いていた。
彼は彼女の視線の軌道を追跡する。
黒板、教員、前列の生徒、中列の生徒、後列の生徒。
それを繰り返していたが、ネメシスに視線が来る頻度が他の生徒より高かった。
止まる時間も異様に長い。それが意味ることは紛れもなく観察だ。
視線の質が、昨日の正科生や、上級生のものとは違う。
興味や好奇心ではなく、対象の構造を測ろうとしている目だ。
(構造透視演算、か)
彼は声に出さずに思考した。アイゼンの右目、人工魔眼が起動していない状態でも、左目だけで相手の構造を観察しようとしている。魔眼なしで、どこまで取得できるかを試している可能性があると。
あるいは、魔眼を使う前の事前観察段階かもしれない。
いずれにしても、彼女はネメシスを測っていた。
一方でリュミエールは、前列の中央付近に着席している。
授業を真面目に受けており、ノートを取っていた。
しかし、二十分に一度程度、後方のネメシスに視線を向けている。
視線が来るたびに、微笑みが向けられた。
計算された微笑みではなく、習慣として微笑む人間の自然な表情である。
蜂蜜色の瞳が、後方を確認してから前に戻る。その動作が規則的だ。
「ふむ、観測しているな」
そう彼は判断した。アイゼンが構造を測るなら、リュミエールは反応を測っている。
視線を向けた時のネメシスの反応を、記録しようとしていると。
二人の観察方法が、完全に対照的だ。午前九時三十七分。
授業の終盤、教員が演習問題を出した。
「各自、魔力回路の基本図を描き、自分の得意系統の流路を追加して提出してください。時間は十分、始め!」
腕時計を確認しながら教員が言うと、教室内が一斉に紙を取り出す音で動く。
しかし、そこへ突如としてアイゼンが席を立ち上がった。
教員への申告もなく、機敏な動きで席を離れる。
そして異変を察知して教員が顔を上げた。
「ヴァイスベルクさん! 今は授業中ですよ! 勝手に席を立ってはいけません!」
「ああ、理解している。ただの提出物の確認だ」
それだけ言うと彼女は、教室の中央通路を淡々と歩き始める。
しかし、方向が提出箱のある前方ではなかった。なぜか逆の後方なのである。
そう、それはネメシスの方向だ。
教室内の生徒全員の視線が、彼女の動きを追い始める。
そしてアイゼンは、彼の席の横で足を止めた。その距離は五十センチ程である。
ネメシスは彼女を見上げた。灰青色の左目が、真上から彼を見下ろしていた。
視線に感情がない。対象を測っている目だ。
右目の前髪が、室内の空気でわずかに動き、人工魔眼の端が見える。
そして二秒が経過、何も起きない。だが次の瞬間、アイゼンが右腕を引いた。
その刹那、拳が飛ぶ。それは異常に早く、まるで砲丸のような圧を纏う。
通常の人間の反射速度を超えていた。
構造強化系の魔法が、発動と同時に動作に組み込まれている。
その軌道をネメシスは、接触の零点二秒前に把握していた。
つまり余裕で回避できたのである。だがしかし彼は動かない。
アイゼンの拳を意図的に受ける事を選んだ。そして彼女の右拳が、ネメシスの左頬に直撃する。
頭が右に大きく動いた。衝撃が首から肩に抜ける。局所重力が付与された一撃だ。
通常の打撃の数倍の質量が、接触点に集中している。そして彼は椅子から弾き落とされて床に倒れた。
教室内が一斉に静まり返る。一秒の静寂が訪れた。
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