第13話 貴方!責任を取りなさい!
「あら~、軽度ですね。回復薬を塗布しますか~?」
「不要だ。記録だけ頼む」
「はーい、分かりました~」
軽い返事をすると教員は、再び端末に入力を始めた。
その時、奥のカーテンが不意に動く。カーテンの一枚が勢いよく引かれた。
そして――ルクレツィアが姿を現す。
姫騎士風の戦装束から、保健室の予備の上着に着替えていた。
薄いグレーの上着が、彼女の細身の体型の上では少し大きい。
金色の波打つ髪が乱れており、完全には整えられていなかった。
サファイアブルーの瞳が、部屋の入口方向を向いた瞬間に、ネメシスを捉える。
二人の視線が交差した。ルクレツィアの表情が、一瞬だけ止まる。
「……あなた」
「ふむ、意識が戻ったか」
淡々とした声で、ネメシスが応じる。
「いつから、そこに……?」
怪訝そうにルクレツィアは、静か彼を見つめた。
「今来たばかりだ。偶然ここで鉢合わせただけで、貴様に用があったわけじゃない」
抑揚のない声色で彼は、事実のみを直球的に告げる。
だが、シャツは捲れたままの状態であり、右の脇腹の赤みが見えていた。
「怪我をしておられますの……?」
「ああ、まあな。ただの軽度だ。気にするな」
「……あの触手を展開した時の、反動ですの?」
「まあ、そんな感じだ。……あまり見るな。恥ずかしいぞ」
そう言うとネメシスは、捲られていたシャツを下げて患部を隠す。
「……少し、席を外していただけますか?」
僅かな間を置いてから、ルクレツィアは保健の教員に向けて尋ねる。
「んー、患者さんが二人いる状況ですからね~……」
教員が顔を上げると、眉を八の字にして困り顔を晒す。
「俺は構わない。そして男女の間違いが起きることもないとだけ言っておく。理由は俺が無性愛者だからだ」
腕を組みながら堂々たる口調で、一つの嘘を高らかにネメシスは言い放つ。
そして保健教員は、二人の顔を交互に見た。それから端末を閉じて、静かに席を立ち移動する。
「五分だけですからね~。何かあればナースコールを~」
人差し指で時計とナースコールを主張してから、教員は保健室から出ていき扉が閉められた。
そして保健室は、二人だけとなる。足を進めてルクレツィアが彼の前に立つ。
距離は一メートルほど。昨日の教室での距離と同じだ。
しかし今日は、二人の状況が全くと言えるほど昨日とは違う。
「なぜ保健室に来たのか、本当の理由を言いなさい」
表情を強張らせると、ルクレツィアは声に覇気を込めて問う。
その声には普段、彼女が身にまとっている芝居がかった高飛車な響きが、完全に削ぎ落とされていた。
「言った通りだ。ただ傷を治療しに来ただけだ」
「嘘ですわ」
「なぜ、そう思う?」
「貴方のあの異常な再生能力なら、その程度の炎症はここに来ずとも処理できるはずですわ。わざわざ保健室に足を運ぶ必要など、どこにもありませんもの」
「ふむ、鋭い観察だ」
手を自分の顎下に当てながら、ネメシスは少し間を置いてから返す。
「……答えなさい」
「はぁ……やれやれだな。まあ、貴様になら言ってもいいだろう。これを言ったところで別に然したる障害でもなし。……俺が保健室に来た理由は、ただ一つ。それは上層部の判断だ。学校に在籍する通常の生徒として振る舞うために、敢えて医療記録を残しておく必要がある」
「それは……本当のことのようね」
「ああ、そうだ」
「でも、私がここにいることは知らなかったのかしら?」
「そうだな。知らなかった」
小さく頷きながら彼は答える。そしてネメシスの言葉を聞いて、ルクレツィアは視線を下げた。
自分の手を見る。指先の痺れは、ほとんど消えていた。
しかし、魔力回路の空白感は、まだ残っている。
「一つ、聞いてもいいかしら?」
「なんだ?」
「貴方は、私に何をしたと思っていらっしゃいますの?」
「決闘で勝った。貴様の魔力回路に接続した。そして、ワクチンを投与した」
彼はルクレツィアを静かに見下ろした。
「……それだけ? 本当にそれだけですの?」
「事実として、それだけだ」
「っ……! 私の体に初めての敗北を刻んだのは貴方ですのよ!」
俯かせていた顔を彼女は勢いよく上げる。
そのサファイアブルーの瞳が、真っ直ぐにネメシスを射抜く。
そこには普段、彼女が見せるような、余裕に満ちた色は微塵もない。
計算も演出もない、ただ剥き出しの感情だけが激しく混在していた。
「……まあ、そうかも知れんな」
「私の術式が初めて通じなかった相手も、貴方ですわ」
「そうなのか?」
「私の魔力回路に初めて触れた存在も、貴方」
「ふむ……そうなのか」
「私に初めて恐怖を与えた男性も、貴方ですわ」
「…………」
腕を組んだ状態で、ネメシスは口を閉ざし答えない。
「そしてワクチンという名目で、貴方の細胞由来のものを私の体内に入れたのも……貴方」
声を震わせながらも、ルクレツィアは淡々と話を続けた。
「ただの医療行為だ。そんなに重たく気に留めるな」
「ええ、勿論分かっていますわ。……でも、クロウフォード家の人間として、これだけの初めてを一人の男性に持っていかれましたのなら――――」
先ほどまで震えていた口が途端に止まると、彼女の声色が僅かに変化する。
「……ったく、貴様は一体何が言いたい?」
「責任を取りなさい!」
右手を自身の胸に添えながらルクレツィアは叫ぶ。だがその直後、自分の言葉の破廉恥な響きに気づいたのか彼女は、一瞬で耳の裏まで真っ赤に染めて大きく震えだした。
保健室の白い照明が、二人を均一に照らしている。
「……責任の定義を明確にしろ」
ルクレツィアを見つつも、反応に困るように、ネメシスは右手で頭を抱えた。
「英国の伝統では……っ!」
「英国の伝統は俺には適用されない」
「ですが……!」
「俺が取れる責任の範囲を言え」
「……貴方は、私のことが嫌いではございませんでしょう?」
少し間を置いてから、彼女は口を開いて首を傾げる。
サファイアブルーの瞳が、ネメシスを見たまま動かない。
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