第6話 触手を生成する生物兵器
(……ふっ、面白いな。まさか、お嬢様が脳筋寄りの考え方をするとはな)
彼は声に出さずに心中にて呟く。そしてネメシスが僅かに笑みを零すと同時に、ルクレツィアが人差し指に力を込め連続して引き金を引いた。
銃口から無数の弾丸が放たれた瞬間に、フィールド全体へと不可視の波紋が広がる。
夜儀弾と組み合わせた複合術式の同時展開――感覚歪曲フィールドの起動だ。
距離感が歪み、反応速度を狂わせる濃密な結界がフィールドを包み込む。
観客席からは見えていないが、内側の空気の質は変化していた。
歪んだ空間の中、必死に回避を試みるネメシスの肉体へ、容赦のない弾幕が突き刺さる。
追撃の王印弾が立て続けにその身を穿ち、さらに彼の回避行動そのものを鎖へと変える契約弾が立て続けに二度、その肌に魔術的な刻印を刻みつけた。
――王印弾、計十発以上の命中。――契約弾、二回の成立。
乱射された全ての弾丸は、この一瞬で特定の術式を発動する条件を満たすための冷徹な布石。
ついに条件は、すべて揃う。ルクレツィアは静かに王冠口径を下ろした。
それは無言の戴冠を発動する絶対な支配を象徴する仕草。――撃たない。ただ、許可する。
対象の術式発動順と行動選択を、一定時間、彼女の承認制に移行する。
ルクレツィアが否と言えば指一本動かすことすら許されない、完全なる詰みの檻が起動した。勝利を確信し、彼女は冷徹な笑みを深めようとする。しかし――何も起きなかった。
縛り上げたはずのネメシスは、未だに不気味なほど自由な魔力を漂わせている。
「……どいうことですの?」
ルクレツィアの美しい目が、驚愕にわずかに細くなった。
術式が対象に接続されていない。十発分の王印弾の刻印が、機能していない。
「……あなた、まさか――――」
その言葉を彼女が言いかけた瞬間、ネメシスが疾風の如く動いた。
加速が人間の動作として成立する速度の外にある。
足が地面を蹴り上げた瞬間、上昇の軌道を取った。
FLYデバイスを使用していない。肉体の出力だけで、垂直方向に八メートルの距離を詰めた。
その一瞬の出来事に、ルクレツィアは呆気に取られ僅かに反応が遅れるが、それでも必死に王冠口径を向け直そうとする。しかし、間に合わない。ネメシスが彼女の射程の内側に入り滞空する。
その瞬間、彼の背中から何かが飛び出すように現れた。
その異様な光景に、観客席が静まり返る。完全な静寂だった。
二千人以上が、同時に言葉を失う。
そう、何故ならネメシスの背中から現れたのは、紛うこと無き触手だからだ。
彼の背部から、有機質の触手が複数本、生成されて展開する。
肌と同じ白に近い色をしていたが、先端に向かうにつれて透明度が上がっていた。
動きが速く、滑らかで、生き物として完全に機能している。
一本がルクレツィアの右手首を捕捉した。王冠口径を持つ手首を、完全に固定する。
別の一本が、彼女の左腕を捕捉した。
さらに別の一本が、ルクレツィアの腰部の、FLYデバイスに接触する。
FLYデバイスの回路に、触手を通じてNMSウイルスの干渉が走った。
デバイスの制御系が、一瞬だけ乱れる。浮力が不安定になり、彼女の体が僅かに下がった。
ネメシスが触手を通じて、ルクレツィアの体を支えながら、同時に拘束を完成させる。
彼女は上空八メートルで、完全に動きを止めていた。
観客席の静寂が続いている。二十秒。誰も声を出せなかった。
正科生の前列で、如月颯太が立ち上がりかけて、止まる。
「何が……何が起きてるんだ……!?」
誰かが引きつった声で呟いた。
「触手って……おい、あれ何だよ……!」
「あれ、肉体から直に生えてるのか!? 嘘だろ!?」
「特殊な術式じゃないのか……!?」
「術式の展開が、どこにもない! MAGだって使ってないぞ!」
上級生たちの集団が、総立ちになりフィールドを凝視している。
「おい、あれは何だ……何なんだよ一体!」
「肉体改造系の魔法か!? いや、でも魔力や術式の痕跡が――」
「ない。どこを探しても術式が全く見えない。どうやってあの質量を顕現させてるんだ……!?」
先ほどまで、ネメシスを嘲笑っていた正科生たちも、一転して顔を青ざめさせていた。
フィールドの魔力計測端末が、異常な数値を示している。
審判員が端末を確認し硬直した。ネメシスの魔力消費量が、ほぼゼロだからである。
触手の生成に、魔力が使われていない。ルクレツィアは動けない状態のまま彼を見ていた。
距離は三十センチ。上空八メートルで、二人が向き合っていた。
彼女の金色の髪が、触手による拘束の中で流れている。蒼玉の瞳が、ネメシスを見ていた。
驚愕ではない。驚愕の先にある、純粋な好奇心と、そして――――
「……王印弾が、最初から機能していなかったのね」
ルクレツィアが、ぽつりと呟く。その声は、恐ろしいほどに静かだ。
「連射した分も含めて、すべてだ」
「いつから無効化していましたの?」
「最初からだ」
「……つまり、貴方がわざと弾道に身を晒していたのは……」
ネメシスの短い返答に、彼女はわずかに息を呑み、静かに間を置く。
「術式の構造を内部から分析するためだ。着弾した王印弾が神経回路にどう接続を試みるか、どの段階で遅延効果が発動するのか。そして、複数の刻印が重なった時にどんな相互作用を引き起こすか――実際にその身で喰らった方が、情報の回収が早かった」
「分析が完了したから、動いた。……そういうことですのね」
敗北を受け入れるように、ゆっくりとルクレツィアは視線を下げた。
しかし、触手は依然として彼女の甘美な身体に複雑に絡んでいる。
有機質の感触。ルクレツィアは動きを完全に制限されている状態。
しかし痛みはない。必要最低限の力で、必要な部位だけを押さえていた。
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