第14話 神代家との接触
「それ、美味しいか?」
唐突に背後から男性の声がした。反射的にネメシスは振り返る。
そこには張り付いたような笑みを零す神代恒一が立っていた。
いつの間に入ってきたのか、まるで足音がない。
エントランスから廊下に入る動作が完全に無音だった。
暗めのグレーの目が、ネメシスを見ていた。視線が鋭いわけではない。
しかし、一切の迷いがない。誰かを見ているようで、実際には対象を観測しているだけの目だ。
「ふむ、まあまあといった所だな」
敢えて思案する素振りを見せながらネメシスは答えた。
「まさか、初めて飲んだのか?」
「ああ、そうだ。親が甘味を毒と言うタイプでな」
軽い冗談を交えながら彼は返すと警戒心を僅かに上げ、視線だけは恒一の動きを確実に全て捉える。
それを聞いて彼は僅かに微笑みながらも、静かな足取りで自動販売機の前に立つ。
しばらく悩んで末に、ボタンを押して飲み物を選び、緑茶を取り出した。
「ふっ、随分と変わった親だな。まあ、俺も人の事は言えないかもだが。……それよりも、今日の朝のこと聞いたぞ」
「なにをだ?」
「校門前で正科の三人組と揉めたことをな」
緑茶の蓋に手を掛けながら恒一は口を開く。
「……ふっ。まったく、早い情報だな」
わずかにネメシスは目を細めた。
「一組は狭い。午後には全員が知っていたな」
「そうなのか? ならば今後は気を付けるとしよう」
「ああ、そうするといい。……ところで、これは今俺が一番気になっていることなんだが、ルクレツィアからの決闘を受けた理由はなんだ?」
緑茶の蓋を開けると同時に恒一は、その質問を投げ掛けてから一口だけ飲む。
彼の表情は変わらず、飲んだという事実だけがある。
「ルクレツィアが何者かを確認したかった。ただ、それだけのこと」
「……本当に、それだけの理由で?」
「他に何がある」
「……お前が予科生を代表して戦う義理はないだろ」
少し間を置いてから恒一は、切り込むような言葉を放つ。
「義理の話ではない」
静かにネメシスは断言した。
「ルクレツィアの発言は、このクラスの反応地図を作るための実験だった。俺はその実験の被験体になることを断り、代わりに実験者を観察する立場を取った。それが合理的だと判断した」
「実験者を観察する方法として、敢えて決闘を選んだということか?」
「実戦の中でしか分からない情報もあるからな」
腕を組みながら彼は頷いて答える。それに対して恒一は彼を見た。一秒。二秒。
その視線が、わずかに変化した。ほんの一瞬だけ、視線の温度が変わる。
観測する目から、何かを測る目に。軍人が敵の戦力を見積もる目に似ていた。
しかし、それは一瞬で消える。恒一の口元が、少し動いた。笑顔である。
感情のない笑顔ではなく、作られた笑顔でもなく、しかし自然かどうかも判断しにくい笑顔だった。
「そうか。同じ予科生として、期待しているぞ」
そう言うと何処か気の抜けた態度を晒し、彼は緑茶を飲んで喉を鳴らす。
「ああ、期待しておけ。存分にな」
親指を上げながら淡々とした口調でネメシスは返した。
「……ふっ、実に頼もしい奴だな」
少し間を置いてから鼻で笑うように恒一は反応する。
それだけ言うと彼は廊下を歩き出した。やはり足音はない。
エレベーターの前で止まり、それに乗った。扉が閉まる。
ネメシスは廊下で一人となった。恒一の自室は四階の端である。
特別寮の個室棟に割り当てられており、一般の二人部屋より広い。
六畳ほどの居室に、机と棚とベッドが配置されている。
壁面は魔力遮断素材で、天井に監視術式が重ねられているのを、ネメシスはすでに把握していた。
そして彼は徐に止めていた足を進めて、窓の前に立つと学校の夕焼けを見る。
入学式の朝に見た景色が、今は別の色をしていた。
教育棟の窓が明かりを持ち、研究棟の一部が煌々と光っている。
宿舎区画の窓に、生徒の影が映っていた。
学内コンビニの看板が白く光り、食堂棟の入口に人の流れが見える。
外周結界が、夜の中で薄く光っていた。昼間より視認しやすくなっている。
内側から見ると光の揺らぎが分かり、何層もの結界が重なっていることを示していた。
上空では警備FLYユニットが巡回しており、その軌道が光の点として動いている。
美しい景色だった。しかし美しいと感じる感情的な回路が、ネメシスにはまだ揃っていない。
ただ情報として処理した。監視カメラの配置。夜間の人の動線。警備の巡回パターンの時間変化。
結界の強度と分布。それらが夕方の学校という、視覚情報の中に重なって見えた。
「だがしかし、ここは戦場だ」
気持ちを引き締めるように、彼は短く吐き捨てる。
そして、オレンジジュースの缶が、まだ手の中にあった。
中身は半分ほど、まだ残されている。
ネメシスは、もう一口飲んだ。甘みと酸味が、また神経回路を通る。
「やはり……悪くないな」
慣れないジュースの味を堪能するように彼は呟いた。
そして窓の外では、外周結界の光が静かに揺れている。
夕陽に包まれる第一国立魔法科高等学校が、最初の一日を終えようとしていた。
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