第11話 貴重なサンプル
「おい! それは俺たちが足を引っ張るって言いてえのか? このブリカスアマがッ!」
後方の予科生の一人が、机上を拳で叩き、怒気を孕んだ声で言い放つ。
「そんなひどいこと、申し上げておりませんわ。わたくしはただ、リソースの最適配分の話をしておりますの。個人の能力のお話ではなくて、システムの設計のお話ですわ」
不敵な笑みを残したまま、ルクレツィアは優雅な口調で返す。
その言葉の選び方は実に巧妙だ。直接的な侮辱は一言も言っていない。
しかし言っていることの意味は、予科生には基礎に未達の生徒という評価を与えており、同じ教室にいること自体が非効率だという主張だった。
(面白い魔法を持っているな。英国の魔法師候補生は)
ネメシスは声に出さずに心中にて呟く。嘘をつかない。ただ真実の見せ方を変える。
それが情報系の魔法使いの発想だ。しかし今のは魔法ではなく、言葉だけで同じことをやっている。
「ルクレツィアさん」
突如として前列から、お淑やかな声が上がった。神代美弥である。振り返らずに言った。
しかし、声のトーンが他人を等しく無関心に見るという、普段のものと違う。
「その発言は、このクラスの皆様に対して失礼だと思います」
徐に席を立ち上がると美弥は振り返り、ルクレツィアと視線を交わし、右手を大きく振り予科生を主張した。そして、教室内は瞬く間に静まり返る。
「神代美弥さん、お名前は伺っておりますわ。新入生代表挨拶、素晴らしかったですもの。ですが、わたくしの発言のどこが失礼に当たりますの? 実力差は客観的な事実にございますわ」
美弥を視界に収めて僅かに口角を上げると、彼女は静かに肩を竦めて反論を行う。
「事実を武器にした発言は、事実だから許容されるわけではありません」
その声は穏やかであり、美弥は眉を潜めると、凛とした態度を貫く。
感情の起伏が少なく、澄んだ声のままだ。しかし、その言葉の輪郭が、普段より鮮明である。
「あら、哲学的ですのね」
「哲学ではなく、礼儀の話です」
そう言い切ると、美弥は視線を鋭くさせて、睨むような仕草を見せた。
教室内の空気が更に悪化する。
正科生と予科の間に存在した緊張とは別の、新しい種類の緊張が生まれていた。
ネメシスはルクレツィアを観察する。笑みが変わっていなかった。
挑発が通じたことへの満足でも、美弥の反論への動揺でもなく、ただ笑みという記号が貼り付いたままである。これは計算だ、とネメシスは判断した。
午前十時五十八分。ルクレツィアと美弥の衝突で沈黙した教室が、三秒後に再び動き始めた。
春の光が窓から差し込み、教室の空気は表面上は静かである。
しかし水面下では、先ほどのルクレツィアの発言と美弥の反論が残した熱が、まだ消えていなかった。
予科生の数名が下を向いており、正科生の一部がルクレツィアの方を見ている。
「次の連絡事項に移る」
全員が自己紹介を終えて、大人しく席に着いていることを確認してから、冬華は教壇で端末に視線を落とした。だがその時、ネメシスが唐突に口を開く。
「すまない、一つ聞いてもいいか?」
右手を挙げながら、彼は静かな声で放つ。感情の起伏がないが、しかしよく通る。
教室の後方から前方まで、均一に届く声だ。全員がネメシスへと顔を向ける。
冬華も端末から顔を上げた。
「なんだ?」
「先ほどの留学生の発言についてだ」
ルクレツィアを見ながらネメシスは呟く。
標本を見る目ではなく、今この瞬間だけは、純粋に確認する目で。
「リソースの最適配分の話をしていると言っていた。英国の教育機関では基礎に未達の生徒は別カリキュラムに移行する、とも」
「ええ、そうですわ。大変合理的な設計だと思いますけれど、何か?」
淡々とした口調で彼女が答えた。不敵な笑みは未だ変わらず健在である。
「一つだけ確認したい。英国王立魔導院の留学生が、来日初日に他国の教育制度を公開の場で批判する理由は何だ?」
腕を組みながらネメシスは、率直な疑問を相手に投げ掛けた。
「批判などと、人聞きの悪い。わたくしがしておりますのは、客観的な観察と最適な提案ですわ」
「観察と提案を、当事者がいる場所で当事者に向けて行うことを、英国では別の言葉で呼ぶのか?」
更なる疑問をルクレツィアに向けて口にする彼だが、組んでいた腕を解くと今度は自身の顎下を触る。
だがネメシスの問い掛けに対して、彼女の笑みがわずかに変化した。
固まったのではない。種類が変わった。
形式的な笑みから、本当に面白いものを見つけた時の笑みに。
「あら、貴方も予科生側だから、そんなに必死に怒っていらっしゃいますの? ふふっ、面白いですわね」
「ふっ、勘違いするな。俺は怒ってはいない。ただ、貴様の発言の目的を確認したかった。観察と提案なら、なぜ返答を求める形で発言したのか。相手の反応を引き出そうとしていたなら、それは観察と提案ではなく実験だ」
そう言い放つと今度はネメシスが、ルクレツィアの反応を値踏みするように、その双眸をまっすぐに見据えた。
「実験……ですか?」
「ああ、そうだ。このクラスの反応地図を初日に作ろうとしていた。そのための発言だ」
「……ふっ、ふふっ。素晴らしい、素晴らしいですわ! 予科生でそこまで見抜ける方が、この日本にいらっしゃるなんて思いもよりませんでしたわ!」
少し間を置いてからルクレツィアは反応を見せると、そこから一気に盛大な笑い声を上げて全身で歓喜を露にする。それは芝居がかった笑いではなかった。本物の笑いである。
「予科かどうかは関係ない」
「そうですわね。ですが日本の魔法社会において、予科という記号はある種の認識フィルターになっておりますの。……そのフィルターを貴方がお持ちでないことはよく分かりましたわ。本当に、貴重なサンプルですこと」
「ふっ、サンプルか」
ネメシスは薄い笑みを零す。
「俺も同じことを思っていた! 流石だ! クロウフォードさん!」
唐突に前列から声が上がり拍手の音も響く。その正体は如月颯太である。
「それに、さっきから聞いていれば予科生風情が何をぬけぬけと! 予科が留学生に説教をするとは一体どういうことだ! クロウフォードさんの言ってることは全てが正しいんだぞ! 正科と予科が同じ授業を受けることの非効率さは、実際に問題だろう!」
正科生としての誇りが彼を鼓舞しているのか、席を勢いよく立ち上がると、そのまま怒気を孕んだ言葉を吐き捨てた。
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