表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/58

第2話 覚醒

「今夜の覚醒シーケンスについてですが、念のため確認したいことがあります」

「言いなさい」

「NEMESISの基本設計思想について、チームの新メンバー、全員に共有されていません。今夜に限って言えば、覚醒後の行動予測が――」

「必要ないわ。覚醒後の彼に、行動予測は意味をなさない。それがこのプロジェクトの出発点でしょう」


 右手を大きく振りながらアキラ博士は遮った。


「しかし万が一、制御が――」

「制御する必要がないように設計した。それがNMSウイルスの役割よ」


 はっきりと断言するように彼女は言い切る。


 NMSウイルス。正式名称《Neuro-Magic Suppression Virus》、神経魔法抑制ウイルス。

 現代社会において、魔法は実在する。


 術式展開による物理法則の書き換え、精神干渉、空間操作――それらを可能にする”魔法師”と呼ばれる人間たちが存在し、軍事的・政治的な影響力を持つに至っている。


 そして魔法師は、通常の兵器では対処が難しい。

 NEMESISプロジェクトは、その問題への回答として立ち上げられた。


 魔法を持たず、しかし魔法に対して絶対的な優位性を持つ存在の人工的な創造。

 通常の人間に、NMSウイルスを遺伝子レベルで組み込むことで、魔法術式を神経レベルで認識・干渉・

 解体する能力を持たせる。しかし実験は失敗し続けた。


 通常の人間にNMSウイルスを接種すると、神経系が耐えられない。

 接続率が六十を超えた時点で被験体は廃人化し、八十を超えると脳が溶ける。

 九十を超えた者は、過去に一人もいなかった。


 だから少年は、最初から培養ポットの中で作られる。

 通常の受精卵から始まり、ウイルスとともに育てられた。

 細胞の一つひとつが、NMSウイルスと共存するように調整されながら。十六年間、ずっと。


「神経接続率九十九パーセント到達は、人類史上初の記録です」


 古参の研究員が静かに言った。その声には、感慨とも恐怖ともつかない響きがある。


「……ええ。だから彼は、NEMESISよ」


 アキラ博士は大きく頷いた。端末のアラームが短く鳴る。


「神経接続率、九十九・〇達成。目標値クリア」

「NMSウイルス統合安定値、全パラメーター正常範囲内」

「培養ポット、排液シーケンス開始準備完了」

「最終覚醒プロセス、開始します」


 オペレーターの声が、一段と張り詰めた。

 研究員たちは端末から目を離さず、それぞれのモニターに映し出される数値を追い続けている。


 誰も言葉を発していない。

 スピーカーからオペレーターの読み上げだけが、無機質に空間を満たしていた。


「培養液残量、二十パーセント」

「バイタル、全項目安定」

「神経接続率、九十九・〇で固定中」


 ポットの中で少年(ネメシス)の体が、完全に液体から露出しつつあった。

 濃紺の髪が重力に従って垂れ下がり、毛先から培養液が細く滴っている。


 白い肌に無数の電極端子が貼り付いたまま、まだ直立に近い姿勢をネメシスは保っていた。

 胸郭はわずかに動いているが、それは機械的な補助呼吸システムによるものである。

 自発呼吸は、まだ始まっていない。


「液体残量、五パーセント」


 古参の研究員が、手元のタブレットを握り直した。

 アキラ博士は腕を組んだまま、ポットの正面で彼を見つめている。その表情は読めない。

 

 研究者としての冷静さと、十六年間この少年を”育てた”という事実の間で、何かが拮抗しているように見えた。


「排液、完了」


 研究員の言葉と共に、ポットの内部が完全に空になる。

 ネメシスは今、ガラスと鋼鉄に囲まれた空間の中に、むき出しで立っていた。

 最初に動いたのは、指先である。


 右手の中指が、ほんのわずかに曲がった。

 次いで薬指、人差し指。

 まるでピアノの鍵盤を確認するように、順番に、ゆっくりと。


「指先に随意運動、確認」


 オペレーターの声が、わずかに上ずった。

 続いて首が動く。正面を向いていた頭部が、数ミリだけ右に傾いた。

 まるで何かの音を聞こうとするように。そして――瞼が、動いた。


 ぴくり、と。上瞼の縁が震える。完璧に形成された睫毛が、わずかに持ち上がりかけて、また落ちた。

 もう一度、今度はもう少し大きく。室内の全員が、息を止めた。


 補助呼吸システムのチューブが、自動切断の準備段階に入ったことを示すランプが点灯する。

 ネメシスの胸郭が膨らんだ。

 機械的なリズムとは違う、不規則で、しかし力強い収縮。


 肋骨の下で横隔膜が動くのが、薄い皮膚越しに見て取れた。

 胸が大きく開き、喉が動き、そして空気が、肺に入る。

 初めての、自発呼吸。


 その瞬間、補助システムが自動切断され、接続チューブが抜け落ちた。

 彼の喉から、短く、しかし鮮明な息の音が漏れる。

 苦しそうではなかった。まるで長い眠りから覚めたように、自然で静かな呼吸である。


「自発呼吸、確認」


 オペレーターの声が震えていた。誰かが小さく、言葉にならない声を上げる。

 古参の研究員は、タブレットを持つ手が小刻みに震えていることに気づいたが、止められなかった。


 アキラ博士だけが、動かない。ただそれを見ていた。

 ネメシスの瞼が、開いた。完全に。

 深い闇色の瞳が、世界を捉えた。


 漆黒に近い濃紫。光の加減によって底に淡い光紋が浮かぶその瞳が、ゆっくりと焦点を結んでいく。

 最初は虚ろだった視線が、次第に鋭さを取り戻し、正面のガラス越しに研究員たちを捉えた。


 そこにいる全員が、同じ感覚を覚える。

 見られている、ではない。すでに調べ終わっている。

最後まで読んで頂きまして誠にありがとうございます。

宜しければ評価とブックマーク登録をお願い致します。

活動の励みとなり更新が維持出来ます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ