第5話 入学式
「……正科と予科で付き合うって……めめ、珍しいね……」
中央の男が、ようやく口を開いた。露骨に声のトーンが下がっている。
攻撃的な入り方から、やや引いた形に変化していた。
「そう? 別に徽章で付き合う相手決めないし。そもそも私は、私が好きな人と一緒にいるだけだよ。それって変なこと?」
小さく肩を竦めながら、ミサキが口角を僅かに上げた。
それに対して男は、もう何も言える状況ではない。
変なこと、と聞かれた瞬間に、どう答えても自分が狭量に見える構造になっていた。
その瞬間、ギャルの見た目をした女子が、男の袖を軽く引く。
「ね、ねえ……もう行こ」
か細い声で彼女が呟くと、三人組が何処か気まずそうに歩き出した。
その足取りは、この場から一刻も早く逃げたのか妙に早い。
周囲の生徒たちも、足を戻して流れ始めた。
小さなざわめきが、十秒ほどで消える
「彼氏……とはな」
ミサキを見ながら、ネメシスは呟く。
「設定の話だよ。本気にしないで」
表情一つ変えず、あっさりとした声で答えた。その口調には照れも動揺もない。
「幼馴染の設定は使った。だから、そこから自然に出る言葉として、一番有効だった。あれ以上、追撃しにくい形にするには、あの返答が最短だったから」
「それは計算か?」
「半分はね」
「半分は、か」
「……反射。あの手の人間に対する、条件反射みたいなもの」
彼女は僅かに視線を逸らした。その答えをネメシスは処理する。
「なるほど、確かに有効だった」
「ねっ、そうでしょ!」
そう言うとミサキは軽快に歩き出した。そして極自然な流れでネメシスが横に並ぶ。
「にしても……ネメシス、全然動じなかったね。普通あの状況だったら、多少は反応するもんだけど」
「観察していた」
「私に彼氏って言われたのに?」
「設定の話だろう」
「……まあ、そうだけど」
少し間を置いてからミサキは答えるが、その唇はアヒルのように尖っている。
そして二人は歩みを進めると、中央校舎の正面玄関が、春の光の中に大きく開いていた。
午前九時〇〇分。入学式が、始まろうとしていた。
中央校舎の大講堂は、外から想像するより遥かに広い。
収容人数は千人を超える設計で、天井高は十二メートルある。
床は緩やかな傾斜を持つ劇場型で、前方の壇上が全席から見やすい構造になっていた。
壁面は防音と魔力遮断を兼ねた素材で覆われており、淡いグレーと白の組み合わせが空間を清潔に見せている。
高い位置に設けられた横長の窓から、春の朝の光が斜めに差し込み、埃の一粒すら見えないほど整備された床面を照らしていた。
白い折り畳み椅子が整然と並ぶ生徒席は、すでに大半が埋まっている。
数百人の新入生が、思い思いの表情で着席していた。
緊張した顔、余裕のある顔、周囲を観察している顔。
金の徽章と銀の徽章が混在しているが、自然に同じ徽章同士が固まる傾向があった。
壇上には演台と、教師陣の席が設けられている。
十数名が横一列に並んでいた。
ネメシスはミサキと並んで、中央よりやや後方の席に座っている。
壇上全体と、生徒席の大半を視野に収められる、観察に適した位置だ。
「うん、実に良い席だね」
小声でミサキが耳打ちする。
「意図的だ」
そう言うとネメシスは、壇上の教師陣を、一人ずつ視線で流した。
しかし、その視線が壇上の左端で止まる。最初に気づいたのは、姿勢だった。
他の教師陣が『そこに立っている』のに対して、その女だけが『そこを占有している』という印象を持つ。直立しているだけで、空間に楔を打ち込むような存在感がある。
身長は百七十センチ前後。
女性としては高めだが、それ以上に立ち方が異様だ。
重心が完璧に安定しており、どこから攻撃を受けても即座に対応できる姿勢を、無意識に保っている。
訓練の結果ではなく、それが呼吸と同じレベルで、体に刻み込まれている立ち方だ。
漆黒の長髪が、肩甲骨のあたりまで伸びていた。艶がある。
ストレートの髪が重力に従って真下に流れ、僅かな動作でも最小限にしか乱れない。
今日は低い位置で一つに束ねており、束ねた先端が背中の中央に垂れていた。
式典用に整えているわけでなく、これが彼女の通常の状態なのだと分かる。
顔立ちは、整いすぎない硬質な美形だ。
鼻筋が通り、顎がシャープで、輪郭に余計な線がない。
美人という言葉が先に来ない。強い女という印象が最初に来て、その後で近寄りがたい美しさに気づく類の顔だ。
切れ長の目が常に半眼気味で、感情が一切読めない。
瞳の色は濃いグレーに近い黒で、その目が向いた方向の空気が微妙に変わる。
笑顔がない。無表情なのに、怒っているように見える。
肌は色白で、血色が控えめだ。露出している部分には傷跡が見当たらないが、それは傷がないのではなく、見えない位置にあるのだと直感的に分かる。
服装は教官服だ。軍服を思わせるシンプルな設計で、体のラインを崩さない仕立てになっている。
無駄な装飾が一切なく、動きやすさを最優先にした裁断だ。
足元は低めのブーツで、ヒールがない。
即座に動けることを前提とした選択だ。
体型は細身だが、脂肪が一切ない。鍛え抜かれた、という言葉だけが正確だ。
教官服越しでも、動作のたびに筋肉の走り方が分かる。
そして教官服の胸元が、他の部分の引き締まった印象と対照的に、豊満な膨らみを主張していた。
本人が、それを意識している様子はまったくなく、ただ重力と布地が事実を示している。
腰から脚にかけての線は戦闘に最適化された均整を持ち、全体として『鍛え抜かれた女の体』という言葉以外で表現しにくいシルエットを作っていた。
壇上の周囲では、男子生徒の複数が無意識に背筋を伸ばしている。
その女をネメシスは、三秒間ほど観察した。
NMSウイルスによる神経回路が、自動的に分析を開始する。
姿勢制御の精度。重心の位置。筋肉の緊張パターン。
呼吸の深さとリズム。視線の走り方と、視野の広さの推定値。MAGへの依存度の推定。
結論が出るのに、四秒かかった。
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