第3話 正科生と予科生の格差
「医療棟は表向き軽症専門だが、搬送記録を学校内で管理する理由は、事故の隠蔽を容易にするためか」
顎下に手を当てながら、彼は神妙な声色を出しながら呟く。
「うん、そうだね」
淡々と頷きながらミサキは返す。
「毎年何件か表に出ない事故がある。特に実技訓練の期間中は増えるね。でも公式の事故報告数は毎年ほぼゼロ……ってわけ」
「……なるほどな」
それだけ言うとネメシスは、視線を最も外周に近い部分に向けた。
そこだけ、建物の密度が低い。
広い緑地帯が設けられており、一見すると休憩スペースのように見える。
しかし結界の密度が、その区画だけ明らかに違った。
少なくとも五層以上の結界が重ねられており、それぞれが独立したシステムとして機能している。
管理・隔離区画。
公式の学校案内図に、この区画は存在しない。
表向きの説明は、医療とカウンセリングの補助施設だ。
魔法訓練による精神的ダメージを受けた生徒の回復を支援する、安全のための施設として一部の資料には記載がある。
しかし実態は、暴走した魔法師の収容と、排除判断を行う施設だ。
内側から出られない設計になっている。
外側から見ると緑地帯の向こうに低い建物が見えるだけだが、地下に本体がある可能性が高いとデータが打ち出していた。
「あの区画に送られた生徒がいるのか?」
唐突に顔をミサキに向けながらネメシスは尋ねる。
すると彼女は少し間を置いた。
「……いる。毎年、数人」
「戻ってくるか?」
「……軽度の場合は戻ってくる。重度の場合は転校という形で処理される」
「転校先は?」
「ない」
断言するように、彼女は強く言い切る。
その答えをネメシスは情報として処理した。
感情的な反応を持つには、まだ彼には参照すべきものが少ない。
ただ、この場所が持つ構造の全体像が、少しずつ明確になっていった。
教育する施設であると同時に管理する施設。
育てながら選別し、選別から外れた者を処理する。
表向きの目的と実際の機能が、二重構造をなしていた。
「結論を言う。ここは学校ではない。都市だ。それも、入ることより出ることの方が難しい都市だ」
指を鳴らしながら徐に口を開くと、それをネメシスは静かに告げる。
それに対してミサキは、何も言わずただ聞き流した。
そして次に彼の意識は、制服の徽章へと惹かれた。
全員が同じ濃紺のジャケットを着ている。
しかし、胸元の徽章だけが違う。
金色の縁取りを持つものと、銀色の縁取りを持つもの。
中央の徽章の意匠も微妙に異なっていた。
金は翼を広げた完全な形、銀は翼が片方省略された簡略形だ。
「徽章が二種類ある」
ミサキの制服を凝視しながら、ネメシスは独り言を吐く。
「正科と予科の区分け。入学のガイダンスでも説明されるけど、実物を見た方が早いよね」
自身の金色の徽章を、人差し指で主張しながら彼女は返す。
「金色が正科ということか」
「そうだよ、入試の時に魔法演算領域の適性評価で上位に入った生徒。それと、これは言わなくても分かると思うけど、銀色が予科で補欠枠に近い扱い。まっ、当然! 私は正科だけどね!」
「視覚的な区別を制服に組み込む理由は?」
「管理しやすいから。誰が上で誰が下か、一目で分かる方が都合がいい人間がいるんだよ」
それだけ言うと、ミサキは視線を逸らして、別の方へと顔を向けた。
その答えを処理するように、ネメシスは両の瞼を閉じる。
だがその直後、二人の背後から騒々しい喋り声を響かせる四人組が近づいてきた。
その全員が金の徽章を付けており、歩き方に何処か余裕が滲んでいる。
歩幅が広く、視線が高い。
周囲への注意が薄いのではなく、周囲を見る必要がないと判断している歩き方だ。
自分たちが、この場所の中心にいることを、当然と思っている人間の動き方である。
「おい、聞いたか? 今年の予科、また増えたらしいぞ! 入学者の四割って聞いたぜ!」
四人組の中の一人が、より一層大きな声を出して話し掛けていた。
「四割も補欠って意味あんの? どうせ半分は一年で消えるっつうのに」
「練習台じゃないの? 正科が実技で使う為のさ!」
四人組の一人が嫌味な笑みを浮かべて言うと、全員が一斉に笑い声を上げて騒音を奏でる。
その中には手を叩いて、過剰に反応する者もいた。
だが悪意がある声ではない。それが問題だとネメシスは判断した。
悪意があれば、意識がある。しかし、これは意識のない発言だ。
当然のことを当然として話しているだけの声である。
その四人組の進行方向に、銀の徽章を付けた二人組がいた。
二人組は四人組の存在に気がつく。だが何も言わなかった。
ただ、少し早足になって横に避ける。四人組の通路を空けるように、自然に、しかし確かに意図して。
四人組は二人組を見なかった。
視界に入っていない。入れる必要がないと判断している。それだけのことだった。
その五秒の出来事を、ネメシスは完全に記録する。
「ねえ、今の見た?」
小声でミサキが耳打ちした。
「ああ、すべて見た」
「あれが日常だよ、ここの」
「予科側が避けた。接触を避けることを、すでに学習している」
「入学初日だけどね。でも中学の段階で魔法科に通ってた子は、ああいう構造を知ってる。知った上で来てる」
「諦めを前提に入学している、ということか」
「そういうこと」
ネメシスの言葉に、彼女は淡々と小さく頷く。
そして別の場所では、より明示的なやり取りが起きていた。
中央校舎の石段前で、二つのグループが鉢合わせていたのである。
金の徽章の三人組と、銀の徽章の一人だ。
「ちょっと、そこ邪魔なんだけど」
三人組の中の一人が、それだけ短く言い放つ。
その声のトーンは穏やかだった。
怒鳴っていない。ただ、邪魔、という言葉を選んだ。
「す、すみません!」
謝りながら銀の徽章の生徒が、慌てて直ぐに脇へと退く。
三人組は何も言わずに石段を上った。礼もなく、確認もなく、当然のように通過する。
銀の徽章の生徒は、三人組の背中を見ていた。
怒っていない。悲しんでもいなかった。ただ、仕方がないという表情をしている。
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