第1話 海外勢
四月七日、午前八時十二分。春の朝だった。
空は高く、薄い雲が西から東へ、ゆっくりと流れている。
昨夜の雨が嘘のように晴れ渡り、朝の光が街路樹の新芽を透かして、アスファルトの上に細かい影を落としていた。気温は十三度。
上着が必要な程度の冷たさで、風が吹くたびに桜の散り際の花びらが舞い、路面に薄く積もる。
四月の朝の、どこにでもある景色だ。
しかし、正面に広がる光景は、どこにでもあるものではない。
第一国立魔法科高等学校。
正門前に立ったネメシスは、まず全体を一度だけ視線で流す。
正門は石造りの門柱が左右に聳え、高さは七メートルを超えていた。
門柱の表面には魔法的な紋様が刻まれており、それが単なる装飾ではなく認証システムの一部であることは、近づくだけで分かる。
門柱の頂部に、学校の紋章が金属で象嵌されていた。
翼を広げた鳥と、術式記号を組み合わせたデザインで、朝の光を受けて鈍く輝いている。
門の奥に続く並木道の先に、中央校舎が見えた。
石材と強化鉄骨を組み合わせた重厚な建築で、正面ファサードは左右対称、中央に五層分の吹き抜けを持つ巨大なアーチ窓が設けられている。
両翼に伸びる校舎が回廊で繋がり、その奥にさらに専門棟が続いていた。
左手遠方には研究棟と思われる背の高い建物群が、右手には実技訓練棟の広い平屋建てが見える。
そして、上空だ。学校全体を覆う結界が、朝の光の中で薄く揺らいでいた。
一層ではない。近くで見れば分かる。
少なくとも三層以上の結界が重ねられており、それぞれが異なる波長で振動していた。
最外層は物理的な侵入を阻む障壁、中層は魔法的な干渉を検知するセンサー網、最内層は……おそらく、封鎖用である。
内側から出られなくするための備えが、最初から組み込まれていた。
上空を三機のFLYユニットが巡回している。
警備用と判断できる。移動パターンが規則的すぎた。
人間の動きではなく、プログラムされた軌道である。
全天を六十秒サイクルで、カバーするように設計されており、死角がほぼない。
ネメシスは正門前で、それらすべてを、三十秒で把握した。
そして彼の隣には、ミサキが立っている。
今日の彼女は、学校の制服を着ていた。
濃紺のジャケットに同色のスカート。
白いシャツのカラーが清潔に整えられており、ジャケットの胸ポケットに学校の徽章が刺繍されている。制服は標準的な仕様だが着る人間により、ここまで印象が変わるのかと思わせるシルエットだ。
百七十三センチの長身が、制服のラインを完全に引き出している。
肩から腰にかけての直線的なライン。
しかし胸元だけが、その直線を大きく裏切っていた。
制服のジャケットのボタンが、胸部で生地を微妙に引っ張っている。
本人は、それを全く気にしていない様子で、視線は正面の校門に向いていた。
今日は金色の髪が片側で緩く纏められている。
完全には結ばず、肩から流れ落ちる部分が残っていた。
女子高校生として、不自然でない範囲の自然な仕上がりだ。
サングラスは外している。素顔のミサキの目が、春の朝の光の中にあった。
瞳の色は薄い灰色である。
感情の起伏が読みにくい色で、しかし光の加減次第では青みがかって見えた。
伏し目がちに見えるが視野は広い。全方位を同時に把握する訓練が染み込んだ目の使い方だ。
サングラスのチェーンは、今日はジャケットのポケットに収まる。
首元には何もない。白い首筋が、春の光の中に素直に見えていた。
ネメシスは制服姿のミサキを一度だけ見る。それ以上は見なかった。
そして彼自身も、また当然の如く制服を着ている。
同じ濃紺のジャケットとスラックス。
白いシャツのカラーが、濃紺の髪と白い肌のコントラストを際立たせていた。
制服は標準的な男子仕様だが、体格に対して肩幅が少し広めに仕立てられており、着こなしが自然だ。
前髪が目元に影を落とし、口元には薄い笑みが浮かんでいる。
端正で中性的な顔立ちが、制服という記号を着ることで、一見すれば普通の男子高校生に見えた。
「ここ、めちゃくちゃ大きいね!」
ミサキが言った。口調が変化している。
それは業務的な声ではなく、年相応の女子高校生のそれだ。
少し高めのトーンで、語尾が柔らかい。
「事前データと一致するな」
正門を見ながらネメシスは言った。
「そういう感想じゃなくてさ……」
ミサキが横目で彼を見る。
「私たち今日から学生なんだよ! もうちょっと雰囲気出してよ!」
「雰囲気?」
「そう。幼馴染が一緒に入学する、ってやつ。緊張してるとか、楽しみとか、そういう」
「俺にはない」
「知ってる。でも演じてって言ってるの!」
「貴様も演じているのか、今」
静かにネメシスは彼女を見た。
するとミサキは、わずかに視線を逸らす。
「……練習中」
「そうか」
そう言うとネメシスは、正門に視線を戻した。
「では俺も努力しよう」
「その返し方が既に不自然だから!」
大きく溜息を吐き捨てながら、ミサキは眉間を手で抑える。
そして正門前では、同じタイミングで入学する生徒たちが列を作っていた。
入門ゲートに組み込まれた魔力スキャナーを通過するための順番待ちである。
十数人が並んでおり、一人ずつゲートを通過していた。
ネメシスは列を観察する。そこには様々な生徒がいた。
緊張した様子の生徒、余裕のある様子の生徒。
制服の着こなしが完璧な生徒、まだ慣れていない生徒。
そして、明らかに日本人ではない顔立ちの生徒が複数いた。
金髪、赤髪、褐色の肌。服装は同じ制服でも、雰囲気が異なる。
留学生だと判断できた。
複数の言語が断片的に聞こえてくる。英語、中国語、何語か判断しにくい言語も一つ。
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