空を泳ぐ
雲の上から海の中へ。山を越え谷を越え、リオは空を飛んでいた。周囲を構成する世界は前触れも無くその形を変化させるが、違和感は感じない。僕は世界を跨ぎ全てを知ろうとしている。そんな全能感と淡い幸福感が頭を突く。体感時間で数時間程空中浮遊しただろうか。宝石をばら撒いたかのような満天の夜空の下、海岸線の端にリオは立っていた。
いつか本で読んだ、星座図の見本通りの空だった。優美かつ絢爛豪華な星空はリオの目を奪い、背後に広がる陸地に目を向けるまで時間がかかった。
「空と陸で随分な差だ。汚い海岸だなあ」
砂浜には防波堤代わりなのか辛うじて三角錐を保ったテントが立ち並び、夜風に吹かれてがあがあと揺れている。色とりどりのテントの質は素人のリオの目から見ても粗悪であり、布を切り貼りした後が嫌に目立つ。汚らしいのはテントだけではない。半端に折れた木材やら、中身のよく分からない壺が雑然と散らばっている。
「虹の子が近くにいたからね。君の夢と混ざったんだ」
リオの影に隠れるように、女が浜に座っていた。爪先を襲う波を意に介さず、女は足を投げ出して空を見ていた。
「夢?」
「そう夢。これは失敗だ。少なくとも、あの子が見る夢はこんな汚い空をしていなかったよ」
「汚い?こんなに綺麗なのに」
「綺麗なもんか。私は嫌いだよ。お前のことがね。それでも私は君を呼んだ。私が入るのに具合がよかったからな」
「はあ」
酷く掠れているが、不思議と聞き取りやすい声だった。それでも言いたい事は分からなかったが、快く思われていないのは伝わった。
「それでも力を腐らせるのは居心地が悪い。もしもと思って機会を設けたわけだが……、やはり切にすべきは経験だな」
「さっきから何を言ってるんです?」
「君の世界の話だよ、君。星を夢見る祈り子よ、せめて星を掴むことを願いたまえ」
女はそう吐き捨てると、宙に手を伸ばして物を摘まむ仕草をした。女の指先には、天空にあった筈の星が1つ、心なしか控えめに輝いている。
「自分の夢だ、自分で選んでくれ」
「それは、空に浮いていた星?やっぱり綺麗だなあ」
「そう、1つならいいんだ」
女は一歩進んで砂に足を沈めると、心地よさそうに目を細めた。ふと夜空を見上げると、不揃いに並べられた星が巨大化しているように見えた。
「君の時間を奪った礼だ、力を得る手助けくらいはしてやるよ」
「力?」
答えながらもリオの視線は空から離れない。星は大きくなっているのではない。近づいてきている。最初に星が着弾したのは海岸の片隅のテントだった。砂埃や布は舞い上がることは無く、抉れた地面は星のない夜のような黒に染まった。
「名前を呼ぶんだよ。その時になれば、名前のほうから呼ばれにくる」
女は淡々と続ける。降り注ぐ星は勢いを増していく。いつしか周囲の全てを漆黒の空間が支配し、小粒の星がリオの手に命中する。
「痛っ。手が……」
周囲の風景と同様に、リオの身体が黒に浸食されていく。星は覆いかぶさるように頭上から降り注ぎ、その度に鈍い痛みが襲う。
「行く星を決めたのならまた会おう。私は『与える者』。お前は覚えていられないだろうが」
その言葉を最後に、女の声は聞こえなくなった。
「いたっ、痛いよ、もうちょっとソフトに。いっ、いたた、痛いってば!」
「ようやく目が覚めたみたいですねぇ、リオさん」
「へあ、海は?」
「覚めてます?これ。あなた、自分の年齢と所属は言えます?」
「リ、リオ・アーネス17歳。クルシア帝国騎士団サマナ支部所属です」
「うん、事前情報通りね。私は本部カナン隊のシンシア」
「同じく副隊長のプリシッラですぅ。リオさん、お話の前に氷を解いてくださいね」
未だに焦点の合わない目をこらして周囲を見渡すと、厚さ数センチの氷が一面に敷き詰められている。リオはその中心で氷を纏うように眠っていたようだ。魔法を解く瞬間、ちょうどシンシアの立つ地面が不自然に露出しているのが目に付いた。
昼になって上昇した気温で溶けたにしては局所的だ。そう思って初めて、リオは気を失う寸前まで会話していた相手の存在を思い出した。
「そうだ、シオンがここにいた筈です!彼女はどこに」
「話は氷を解いてから!」
氷魔法を解除しながらプリシッラが話してくれた内容によると、カナン達はシオン達によるサマナを初めとした連続襲撃事件のために駆り出され、リオ達を追って北上していたらしい。そこでパッシェに迫る巨大チューリップを発見し、更に誘拐事件が発生していることを知らされたのだという。
「パティさんの助言で私達はリオさん達の助勢に。そして残念なことですが、パッシェ支部の団員の一部が誘拐犯に買収されていたのは事実のようでした」
「それで追いかけて来てみたら子供の乗った馬車の横であなたが氷漬けになってたとか、意味分かんないんですけど」
「ですから、シオンがここにいたんですってば!」
シンシアの立つ地面を指さしながら、リオは彼女との会話について説明した。プリシッラのほうは頷きながら親身に聞いている様子だったが、内容が進むにつれてシンシアの表情はどんどんと険しくなっていった。
「じゃあ結局のところ、一番の標的と遭遇したのに道連れ覚悟の大技から脱出されて、あなたは気を失って昼まで倒れてたと」
「子供を運ぶ間もぐっすりでしたねえ。シンシアちゃんがほっぺた叩いてやっと起きてくれましたから」
「向こうとの落差が酷いですよ。アッシュさんは金髪の主犯をしっかり倒して、隊長に状況を話した後に眠ったらしいですから」
どうやらアッシュも無事らしい。それは勿論喜ばしい報せだが、どうもそれを伝えるシンシアの言葉には棘がある。リオとは初対面で且つ彼女を怒らせるような対応をした覚えはないが、何かが琴線に触れたのだろうか。そう考える間にも、シンシアの口は止まらない。
「どれだけ自信があったか知らないけどさあ、実力の底が見えない敵相手に自滅寸前の技打つとか危機感ってもんが無いよね。相手が誘拐犯の仲間じゃなかったから良かったけど、そのまま子供ごと逃亡してた線もあったわけじゃない。あり得ないわー」
「そりゃ悪かったですよ。でもこっちは視覚を奪われてたんです。結果的には逃げられましたけど、あの状況じゃベストな判断だったと思いますけどね」
珍しくカチンときた。直接戦ったわけでもないくせに随分一方的な物言いだ。外野という奴は当事者でもないのに理想論や勝手な文句を振りかざすものだ。彼女等が外野かはともかく、リオはそう感じた。
「じゃあシンシアさんが戦えば良かったんじゃないです?シオンに勝てるのか知りませんけど」
「何それ!子供みたいなこと言って!そういう所が浮かれてるのよ!特対者のお付きを1人で勤めてるって聞いた時は期待したのに、まさかこんなガキんちょだとはね!」
「元はと言えば上の采配のせいじゃないですか!本部の教育とかどうなってるんです!?」
「ちょっと」
プリシッラの一言に反応したシンシアが一瞬で押し黙る。口の端を震わせてきをつけをするシンシアの表情は、常にうっすらと笑みを浮かべるプリッシラと対照的だ。これだけで2人の上下関係が伝わってくる。
「それ以上は団員同士の私闘になるからね。ルール違反は駄目って、二人なら分かりますよねぇ?」
「すみません、プリシッラさん。……いや、ルールっていうなら、責任者の許可を得た決闘なら問題ないってことですよね!?」
「ええ!?まあそれなら文句はないけど。今回の責任者はカナン隊長かな」
「ちょっと、どういうつもりですか」
話の風向きが変わった。
「どっちが正しいかは実力で決めてやろうっていう話。私は別にいいけど?あんたが怖いってんならそう言いなさいよ」
「やってやりますよ!本部だかなんだか知りませんがね?目にもの見せてやりますよ」
「そうか、そうか……。成程なぁ」
事の発端を聞いたカナンは空を仰ぎ、ため息と共にそう呟いた。カナン隊がテロリストのよる連続襲撃事件の捜索に駆り出されたのは昨日の早朝のことだった。騎士団、民間人共に甚大な被害を出している事態を重く見た帝国議会は緊急の対策を騎士団に命じ、丁度よくビトーニヤの行事を警護する予定だったカナン隊は先だって犯人を追跡している特対者アッシュ一行との合流を目指した。
帝都から一晩馬を飛ばしてきたカナン達を出迎えたのは街を襲う巨大チューリップ、子供の大量誘拐、騎士団の汚職。その処理もひと段落着いて1日を終えようというタイミングで決闘!?それは今じゃなきゃ駄目なのか?そう文句を言ってやりたいが、瞳に火を灯して睨み合う2人が大人しく引き下がるとは思えない。
「決闘はルール上では認められているものだけどね。実際に行われるケースは稀なんだ。今それをしている暇があるのかちゃんと考えたかい?」
「終わらないと分かっている口論を重ねるよりも、決闘で決着を付けた方が納得がいきます!」
「君がリオ君だね、まあそう勇むな。シンシア、落としどころは見つけられないかな?」
「無理です。私も納得いきませんし、どっちが正しいか決めなきゃ今後の連携に差し障ります」
取り付く島もない。結局のところ、最初からカナンに決闘をさせない選択肢は無いのだ。今後どこかで2人の我慢の限界が来るのが確定している以上、せめてカナンの目の届く範囲で発散させておく必要がある。頭に血が昇った2人と接して他の騎士に指揮を下げられても困る。
「……明日の昼に廃墟前の空き地でやってくれ。シンシアは事故防止のために練習用の木製剣を使うように。立ち合いはプリシッラに任せよう」
「「ありがとうございます!」」
息の揃った返事を返し、リオとシンシアは街の奥へ消えていった。きっと決闘の準備でもしにいったのだろう。嵐の過ぎ去ったように静寂が訪れた門の下で、カナンは肺の息を全て吐き出す勢いで深呼吸した。
一連の会話を黙って聞いていたアッシュは顔を上げ、労うようにカナンの肩を叩いた。
「大変なんだなあ隊長ってのも。苦労するぜ」
「うむ」
パッシェの花の種を調味料に加えた料理はいずれも仄かに甘みを感じる温かい仕上がりになっていて、一口味わう度に身体の疲れが表面から飛んでいくような感覚を覚えた。流れるように料理を口に運び続けるアッシュとパティを見て、宿屋の主人は眼を細めて感激した。
「良い食べっぷりですなぁ。あなた方のおかげで街も、娘も救われた。その調子で好きなだけ味わってください」
「ありがとうございます、リーベちゃんのお父様。でも騎士団の到着までこの街が保ったのは町民の皆様の結束の賜物ですわ」
「いえいえとんでもない!花畑がどうにか原型を留めたのも、パティ殿と騎士団の連携があってこそです」
「ふうん、倒したとは聞いたけど、花畑も無事だったんだな。どうやったんだよ」
「騎士団の魔法部隊に打たせた衝撃波で蔓を切って、アタシが空中でキャッチして遠くに放る、ってのをひたすら繰り返したの。順番に枝と花弁も削いでいって、無力化した本体を無理やり引っこ抜いたって寸法よ」
「雑にごり押したな。んで花畑はよく無事だったな」
「そこは本部の魔法使いの腕じゃない?花に影響が無いように上手く威力を相殺してたみたい」
「よく分からんがさすが精鋭ってだけあるな」
魔法が不得手なアッシュとパティには想像もつかない、何か微妙な力加減があるのだろう。宿屋の主人もただ感動したばかりだったらしく、そこからしばらくは駆けつけた騎士団が凛々しかっただとか、応急処置が適切、といった感想話にシフトしていった。
ひとしきり話を終えて卓上の皿が空になった頃、パティは腕を枕にしてテーブルに突っ伏して寝ていた。そんな様子を横目で確認し、アッシュは声色を低くして主人に話しかけた。
「リーベちゃんの様子はどうです?」
「……良くありません。目に見えて大きな怪我はありませんが、やはり子供には相当重い出来事だったようです」
「まあ普通の経験じゃないですからね、回復には時間がかかるかもしれません」
「様子を見つつ対策を考えます。そうだ、アッシュさんに言伝があったんだ。カナンと言ったかな、騎士団本部の隊長さんからです」
昼間に会った桃色髪の騎士団員だ。直接会った昼に言わなかった辺り、緊急の要件だろうか。黙って頷き、主人の次の言葉を促す。
「アッシュさん1人に伝えるよう釘をさされてまして。明日の昼、廃墟の地下道を抜けた先で待っているとのことです。なんか不自然ですよねえ、わざわざ街の外まで」
「違和感しかないじゃない。私も行く」
どうやら狸寝入りだったらしい。パティは俊敏な動きで顔を上げると、半分残っていたグラスの中身を喉に流し込んだ。
「起きてたのか。一応1人で来いって暗に言われてるんだけど」
「だって怪しいでしょ。そして私は食休みをしていただけ!乙女は人前で眠りこけない!」
「乙女は人前で突っ伏さねえよ。お前は明日のリオの決闘を見届けてやってくれ」
「意見の違いも割り切れないしょーもない子供の喧嘩に興味はなーい!今日は寝る!おやすみ!」
「おやすみ。……あそこまで言いますかね?」
「私の妹も若い頃はあんな感じでしたよ。今は多少ましですけど」
「そういうもんなんすねえ……」




