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カウンセラーかお前は

 壁で弾みをつけて放たれる飛び蹴りを身体を捻って避け、返しの回し蹴りで相手の体勢を崩す。バク転の要領で衝撃を柔らげて着地するレイに追撃を放つも、視界の下から放たれる右拳への対処に追われて攻めに回ることができない。さっきからこんな事の繰り返しだ。


 互いに有効打を与えることができないまま、疲労と決着を焦る焦燥感が溢れてくる。額から垂れる汗を袖で拭い、生温い息を吹いて呼吸を整える。当初は相手の戦法に混乱したが、慣れればむしろ対応しやすい。


 レイモンドの戦法は相手の虚を生み付けこむ事に終始している。先程の飛び蹴りもそうだ。敢えて隙の多い動きを見せて反撃を誘うことで、アッシュの次の行動の選択肢を狭めている。ならばそれに乗るだけだ。


 レイモンドの想定する動きに乗り、次の次の行動を予測する。そこでレイモンドの描いた動きを越える攻撃さえできれば、一気にレイモンドの体勢を突き崩して勝負を決められる筈だ。問題は、そこまでにアッシュの体力が保つかどうか。依然としてシビアな状況に変わりない。目の前の男に対する怒りも未だ胸中で燻っている。焦りと怒りが渦巻く中、不意に漏れ出た文句の口調は存外朗らかだった。


「あ~あ、やることはシンプルなのになあ!困るぜ全く!」

「私もさ。中々尻尾を掴ませない男だよ、君は」

「疲れたら早く言えよ。一撃で意識飛ばして終わらせてやるから」

「その言葉はそのまま返そう。私は早くこの場を去りたいのだよ。このままでは文字通り骨折り損のくたびれ儲けになりかねん」


 アッシュは袖をまくり、腕回りの身軽さを確保した。先の戦いの中で拾い直した矛を握り直して感触を確かめ直し、左手で頬を叩いて気合を入れ直す。それに応えるようにレイモンドは漆黒のジャケット脱ぎ捨て、シャツの袖をまくるラフなスタイルになった。皺一つない純白のシャツが露わになったことで、場に不釣り合いな程の清潔感と、服の上からでも分かっていた恵体が更に主張を増した。精悍にも見えるレイモンドの姿を見た時、アッシュはリーベの宿で立てた推論を思い出した。リオの前では口に出しにくい内容だったが、今の相対しているのは犯人の、恐らくは主犯格だ。別に気を使う必要もないだろう。


「首を撥ねる前に、単刀直入に聞いとくぞ。お前等、パッシェ支部の騎士団を買収しただろう」

「……何故そう思う?」


 レイモンドは一瞬だが表情を崩し、目を見開いた。その反応だけで答え合わせは充分だ。


「その反応は正解みたいだな。まさかとは思ったけど、マジなのかよ」

「一応推理を聞いておこうか」

「チューリップが暴れ出してから1週間って聞いた。ギルドの連中は疲れ切ってる。宿屋の親父まで駆り出すくらいだからな。そんな状況で騎士団が他の街に救援を送らないってのはやっぱり不自然だ。サマナでの襲撃事件と時期が被って人手が足りないってのも考えたが、そもそもサマナから馬で一日走れば帝都のクルシアだ。本部隊が来ない理由がねえ。それでも救援に来ないんなら、最初から呼んでないんだろうな」

「君は騎士団を買収したと言うがね。国家権力が民を裏切る行為というのは、その後のリスクに見合うのかな」


「知るか。お前等の実態だって俺は掴んでる訳じゃねえんだ。まあリスクは少ないんじゃねえの。副町長も観光資源第一って言ってたし、大事にしたくなかったとか言えば救援を呼ばなかった言い訳も一応立つ。それに子供を安心させるために目隠しの魔法を使ってたろ。あの金は街側が払うらしいな。パッシェ支部の連中からしたらいい小遣い稼ぎだ」

「ふむ、概ね正解だよ。ブラボー!君の推理力は何か人の為に活かすべきだ」

「活かされたよ現在進行形で!それに大した謎でもねえ!そもそも最初に違和感があったのは誘拐グループの雑さなんだよ!」

「そうだったか。確かに街が疲弊しきるタイミングを待った分おざなりにした部分はあったな。とはいえホームズ君、今それが分かってどうなるね?君は合理的な考えをするタイプと見えるが、目の前の敵を放り出して事実を知らせに行くかい?」

「誰だよホームズて。お前をしっかり殺してから戻るさ。早く終わらせたいから迅速に殺されろ」

「そうだ、終わらせよう、アッシュ。手段の限りを尽くし、互いの目的を阻む最大の障壁を打ち砕こうではないか」


 レイモンドはネクタイを少し緩めるやいなや背面がこちらから見える程に姿勢をかがめ、一飛びで距離を詰めてくる。最初と同じくこちらの体勢を崩す動きか、そう判断したことでレイモンドを飛び越えて迫る漆黒のジャケットへの対処が遅れた。何故ただの上着が宙を舞う?その疑問に答えるようにレイモンドの左手から伸びた細い糸が光る。


 テグスか何かを仕込んでいたか。顔全体を厚い布と微かな香水の香りが包み、視界からレイモンドが消え失せる。一瞬遅れてジャケットを引っぺがすも、堀りの深い顔面はすぐ目の前まで近づいていた。クロスチョップが無防備な首筋へ直撃し、脳が揺れで意識が飛びそうになる。息苦しさを実感する前に背中を地面に叩きつけられ、退避しようと反射的に反転し立ち上がりかけた所で背後から首を絞められた。


 再び地面に倒れ、今度こそ息苦しさと首筋への痛みが体中を突き抜ける。相手は全体重をかけてアッシュの身体を抑えつけている。口内を鉛味の不快な液体で満ちる不快感が襲う。不意を突かれて舌を噛んでしまったか。レイモンドが先程なりふり構わず、と発言した意味をようやく理解した。こいつの勝利への貪欲さは一級品だ。


「汚い、とは言うなよ。君を認めたからこそだ」


 レイモンドは左手で首を拘束しながら右手を自身の胸元へやり、燦然と輝くネクタイピンを指で摘まむように構えた。この輝きは単に光を反射しているからではない。凶器として用いるのが可能なレベルまで先端を研いだからこその物だ。刺すのは目玉か、頸動脈か。どちらにせよ、アッシュを黙らせるには充分だ。こちらを向く鋭利なピンを見つめながら、アッシュは今言われたばかりの言葉を繰り返した。


「汚ねえなんて言うなよ。お前を認めたからこそだ。ベビーフレイム!」


 叫ぶと同時に口から火を吹き、警戒などまるでしていないレイモンドの右腕を炎で包んでやる。一瞬遅れて頭上から悲鳴が上がり、弛んだ腕の中をするりと抜けて前方へ駆け出し、踏み出すついでに高く伸びた鼻先を踵で小突く。


 アッシュの炎魔法の威力はそこまで高いものではない。本来の用途も相手を驚かせて隙を作る、ただそれだけのものだ。だからこそ奥の手として使うタイミングを選ぶ必要があったし、事実、危機を脱する際にはこれ以上ない貢献を見せてくれた。人間がどれだけ進歩して火を使いこなす事があろうとも、原始的、本能的な恐怖を完全に捨て去ることはできない。ましてや利き手を燃やしてやったのだ。傷は火傷程度だろうが、喰らった本人からすれば実際以上のダメージと衝撃だろう。口内が灼けて更に湧き出た血を横に吹き出しながら、アッシュはレイモンドに向き直った。


「俺の隠し芸さ。これを見せるのは中々レアなんだぜ」

「ああ、あああああああああ!!僕の、僕の手が。焼ける、熱い、熱いよ!」

「ここまで効くとは思って無かったけどな。よく見ろよ、燃え移った訳でもないし、傷も残る程じゃねえ」

「ぬううううううううう!!!どうしてだケビン!!一緒に帰ろうって……、また釣りに行こうって約束したじゃないか!」

「……?どうやら傷つけたのは古傷の方らしいな、それも心の。悪いことをしたな。……今楽にしてやるよ」


 今のレイモンドは隙だらけだ。思うが侭に叫び散らし、薄灰色に色づいた右腕を擦り続けている。カチカチと不規則に響く歯ぎしりや見開いた瞳孔からはむしろ悲壮感さえ漂う。へたり込んだまま抵抗の意思を見せない大男の首筋に矛を立て、一撃で終わらせるべくゆっくりと振りかぶった。レイモンドの動きに異変が見えたのは、アッシュが矛を天井すれすれまで振り上げた時だった。


「ケビン、ああケビン。聞こえるよ。ぼく、ぼ、うぼ、わ私はまだ、まだ帰る家を見つけていない」


 錯乱したのかうわ言を呟きながら、レイモンドはこれまでに無い俊敏さで駆け出し、無我夢中で部屋の外へ飛び出した。アッシュも追いかけようと走るが、中々足は思うように動かず追い付くには至らない。首を絞められたせいで脳に充分な血液が巡っていない。


 暴れる肺を抑えるように深呼吸をしながら、元来た螺旋階段を一歩ずつ確実に上る。混乱したレイモンドが階段を踏み外して落ちてきてくれれば楽だったが、そう都合よくはいかず気配が近づく様子は無い。さて、どうしたものか。敵の行先は3つ。


 1階部分に潜伏するか、表か裏口から外に出るか。選択肢は浮かんだが、アッシュの次の行動は考えるまでも無かった。奴が冷静に立て直しを図っているとして、アッシュにとって一番厄介なのは屋内に潜伏されることだ。隠し芸まで見せた以上、再び閉所で接敵するのは具合は悪い。アッシュとしては外に陣取りたいところだ。


 表から出れば何の変哲もない森の中。流石に長物を持ったアッシュが有利になるがレイモンドは乗ってこないだろう。となると選択肢は消去法で裏口が残る。子供を誘拐した馬車が放置されているのは既に確認済みだ。馬車が借り物なら馬の特徴や馬車の形状から敵の本拠地を追う足掛かりになるし、敵組織の所有物であるならば、雑な計画を実行する一団のことだ、手がかりの1つはあるだろう。何にせよ、馬車の確保はこちらの優位に繋がる。相手がそれを防ごうと向かってくるなら殺せばいい。


 そう考えて螺旋階段を登り切り、裏口へ続く廊下を慎重に駆け抜けるが、誰かに襲われることも無く外へ出ることができた。馬車は突入前と同様に裏口から丘を下った空き地に放置されており、結ばれた二頭の馬は朝日を浴びて気持ちよさげに鼻を鳴らしている。


 全くいい気な奴等だ。呑気にこちらを見つめる純朴な目と視線が合うとつい気が緩みそうになるが、今は落ち着いている場合ではない。軽く幌の中を覗いてそれらしい証拠品が無いことにがっかりしつつ、最低限の目標達成を果たした。


「つーか、別にあいつを殺さなくてもいいんだよな」


 馬の背を撫でながら当初の目的を再確認する。最優先事項は子供の救出。それが主犯格らしきロリコンを先に見つけたために、アッシュは殺してでもレイモンドを無力化することを選んだ。リーベの無事を確認し、リオが残りの子供を追いかける今となっては、アッシュの役割は殿として露払いをするのみだ。パティがパッシェの住民と共に援護に駆け付けるにはもう少しかかるだろうが、時間稼ぎ程度なら余裕だろう。レイモンドの殺害はアッシュの気持ちの問題でしかないのだ。


 アッシュは迷った。レイモンドが心的外傷で再起不能になっている可能性に賭けてリオの後を追うのも選択肢としてはアリだ。かといって、せっかく確保した馬車を再度放置するのも抵抗がある。馬車の斡旋元が敵の全容を掴む糸口になるのもそうだが、レイモンドに馬に乗って逃げられるのも癪だ。結局感情で物事を判断している。あまり良くない傾向だ。


「一応馬の足を折っとくか」

「そんな事をしなくても君の宿願は目の前に現れるさ。まだまだ語らおうじゃないか」

「……!よう、持ち直したみたいだな。幕引きがあれじゃあ後腐れが残るってもんだ」


 背後からかけられた声に振り向くと、レイモンドが扉の向こうから半身を覗かせていた。表情は初めて会った時とさほど変わらないが、取り乱した様子が衝撃的だったせいか、余計に落ち着いた印象を受けた。


「その節はどうも。取り乱したことを謝罪しなくてはいけないね。さぞ見苦しかったことだろう」

「誰にも言わねえから安心しな。大の大人が泣き出したなんて笑い話にもならん」

「ふむ、君については心配していないんだがね。彼女に見られてしまったのが残念なのだよ。ほら、大人が喚く姿は子供には少々刺激が強い。年不相応な経験はその後の発育に不健全な影響を及ぼす可能性もあるからねえ」


 大げさな手振りで、まるで演説でもしているかのような話しぶりだ。何をそんなに余裕ぶっている?その自信の根拠はすぐに分かった。大舞台で歓声を浴びるように朝日の下に足を伸ばしたレイモンドとは対照的に、この世の全てに怯えるような儚い足取りで、少女が姿を現した。陽光を照り返して細やかな赤毛が輝く反面、生気の無い肌の青白さと両手を結ぶ縄の焦げ茶色が嫌でも目を引く。


「リーベ……なんでそんなところに!」

「ご、ごめんなさい。中に隠れてたんだけど、この人に見つかって」

「彼女を責めるのはやめてやってくれよ、アッシュ。事態を治めるには同行してもらうのがベストだと思ってね。私が一緒に来るようお願いしたのだ」

「テメェ……!チビッ子縛って連れまわすやつに諭される言われはねえぞ!」

「人を変態の様に言うんじゃない。私が彼女を横に置く理由を察せられるのならば、大人しく従う事をお勧めするよ」

「いいからリーベを離せ、ロリコン。ぶっ殺すぞ」

「君ね、挑発をするには状況がよくないとは思わないかね。ほら、君が一歩踏み出すよりも早く、私はこの子の喉元に手が届くんだぜ」

「ぶっ殺すって言ってんだよ。今度は顔面燃やして馬の餌にしてやる」

「……、さっきとは立場が真逆だな。頭に血が昇ってまともな判断ができないでいるらしい。意外だよアッシュ、君はもう少し客観的に物事を見るタイプだと思っていた」

「子供の人生ぶっ壊そうって奴が、人様の気持ちを分かった気になるんじゃねえよ、ダボが。お前みたいな人種が一番気に入らねえ」

「子供の人生……、子供ね。やっぱりアンバランスだな。年に似合わぬ豊富な実戦経験や開口一番首を狙う冷徹さを持つあたり、綺麗なだけの世界で生きてきた訳じゃないだろうに。こういう人質を取られるシチュエーションだって初めてじゃないだろう?思春期の少年のような青臭い正義感は捨てるべきだよ。未だにそれを捨てきれないでいるのは、何か深い経験に基づくのかい?子供、というのがキーワードかな」


 レイモンドの放つ言葉の一つ一つが、脳を転がされるような感覚でアッシュを襲う。鼓動が早まり、瞬きを忘れた眼球を刺す空気に煩わしさを覚えるが、眼輪筋はいう事を聞かず少女の青白い肌から視線が動かない。嗚呼、あの死人の様な肌には見覚えがある。片時も忘れたことはない、頭のいつでも取り出せる部分に置いてある景色だ。あの日あの時似たような朝日の下で、あいつ等も同じ色で俺の腕の中にいた。我を忘れて脳裏に浮かぶ情景に身を委ねるアッシュに、レイモンドは同情するように呟いた。


「その衝動は君のトラウマに基づいているのかい?……君も同じなのだな、アッシュ。私達は同じ空間を共有しながらも、全く異なる風景を見ていたんだ」


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