地下室の格闘戦
部屋の中には少女と男が1人、それを確認した瞬間にアッシュは先手を仕掛けた。当たれば猛牛の首も両断する白虹刀レディアントの一撃は、男が寸前で屈んだことでその真価を発揮しないままに刃に込められた魔力を霧散させた。前転の要領で距離を置いてこちらに向き直る男と対峙し、矛を構えて動きを牽制する。リーベに目に見える傷が無く、自分が男とリーベに挟まれる位置にいることを視界の端で確認する。
「リオ、リーベちゃんを頼む。それと、他の子供は多分通路の奥だ。俺はこの金髪をやる」
「気を付けて、こいつ、今までのとは雰囲気が違う」
言われなくても分かってらあ、と返答しつつ、目の前の敵から目を離さない。ここからは互いに観察の時間だ。相手の仕草、持ち物、癖、視線の全てが相手を倒す材料になる。今まで戦った敵や蓄えた知識の記憶を呼び覚まし、戦闘スタイルを予測する。
肩まで伸びた金髪を後ろで結わえてその身をダークスーツに包んだ男は、ファンディングポーズでこちらを威嚇している。薄暗い照明の下でも艶が見える辺り丁寧な防刃加工が加えられているのか、余程の高級品なのか、あるいはその両方だろう。目に付く武装は手の甲に翡翠色の宝石が付いたグローブのみ。新緑を思わせる仄かな輝きは、それが単なる装飾ではない事を意味している。魔石をグローブに装着するのは珍しいが、身内が魔石を磨り潰したネイルを使うおかげで戦闘様式は想像し易かった。
要は素手での敵戦力無力化を目的にした近接格闘術の達人。閉所での工作員としては最上級、比較的大振りな武器を扱うアッシュからすれば相性の悪い相手だ。苛立つ気持ちを抑えられずに矛を握る手に力が籠る。怒りだけではないか。
リーベを誘拐した相手を正面から叩き潰せるという喜び。まだ見ぬ強者と相まみえる事への好奇心。何よりも、本来守られるべき子供の生活を大人が脅かすという大悪、少女の尊厳が奪われる瞬間に居合わせた哀しみ。喜怒哀楽が身体の中で暴れ狂い、その全てが目の前の男を殺せと叫ぶ。様々な感情が脳を巡る中、アッシュの思考は一周回ってフラットに戻っていた。自分のペースで行こうと心中で意識する。初対面の相手にどう関わるべきか。まずは気さくな挨拶だ。
「ようクソ野郎。家に帰る前に襲うか?普通。嫌だねえ、性欲で動く輩ってのは」
「随分な物言いじゃないかね。君と私は初対面の筈だと思うんだが。軽口一つにも信頼関係の構築は必須科目だよ」
「そりゃ相手次第だろ。少なくとも、変態ロリコン野郎に遠慮する理由はねぇな」
「私はロリコンではない」
「現行犯だろコラ、そこ言い逃れされちゃ話進まねえよ」
「違うと言ったら違う。何だね君は、こんな所まで追いかけて来ておいて。文句を言いたいだけなら後にしてくれたまえよ。ただでさえ人手が足りない、なんなら用心棒として雇われてくれるかね。損はさせないよ」
「言ってくれるな。いいぜ、ちょうどこっちには騎士団がいるんだ、ロリコン罪で逮捕だ、逮捕」
「やってみたまえ」
突如として金髪男は両腕を開き、アッシュに対して真正面を向く姿勢で飛び出した。武器を持った相手に正気とは思えない判断だ。自分が素手の時は常に周囲の環境から武器を探して相手の隙を探し、後の先を意識して反撃を狙う。アッシュの経験にこびりついたセオリーが、金髪への反応を一瞬遅らせた。
アッシュが矛を振り下ろすよりも早く懐に入り込み、腰に抱きつく形で体重を乗せてきた。このまま床に倒れれば、下半身を固定されタコ殴りにされて終わりだ。アッシュは咄嗟に矛を投げ出して膝を自分から曲げ、背中が接地する瞬間に体を捻って拘束を逃れる。
一歩退いて立ち上がるアッシュに対して金髪の攻撃は止まらない。即座に腕を組みかえるとアッシュの襟と袖を掴み、慣れた手つきで筋肉質な背にアッシュを乗せる。投げ出されたアッシュの身体は宙を一回転舞って床に叩きつけられる。ひんやりとした床は無機質にアッシュの背を受け止め、電撃のような痛みが身体を巡る。
だが不平を漏らす暇は無い。眼前に迫る貫手を腕で払い、空いたもう片方の手で腰に据え付けたナイフを金髪の鼻先目掛けて振り上げる。金髪は冷静に刃先を摘まんでナイフを奪い、明後日の方に放る。せっかく手に入れた武器を捨てる理由が理解できなかったが、それならそれで構わない。こちらが体勢を整える時間が稼げればいい。肘打ちで腹を狙うも相手の腕に阻まれ、再び繰り出される貫手をいなすと、金髪は再びこちらの懐に入り込む予備動作を見せた。この流れを繰り返すは具合が悪い。即座に腰を落として相手の動きに一瞬の待ち時間を与え、その隙を逃さず渾身のアッパーを放つ。
立ち上がる勢いを乗せて右拳を振り上げるが、交差した両腕に阻まれ顔面を捉えることはかなわない。反撃のキックを敢えて脛で受け、勢いに従って横転し距離をおく。戦闘開始前と互いの位置を入れ替えた形になる。投げ捨てた矛が足下にあるのを確認しつつ、アッシュは記憶する限りの格闘流派をリストアップした。先程の戦法は単なるケンカ染みた戦法に見えるが、どうも動きがこなれている。アッシュの知る技の中に近い戦法さえあれば対策も考えやすいというものだ。
「東大陸出身のバーニーが使ってたのとは違うな。どっちかっていうと旧マシマル国軍のスパイのやり口か?でも一番近いのは熊人族のシャケ捕り舞踊だな」
「君はおしゃべりで博学なんだな。だが、そのどれでもない。この剣と魔法の世界でこんな泥臭い方法を好むのは私くらいだよ」
「まあ実戦で流行りはしないな。モンスター相手じゃ危険が勝つし、殺し合いなら武器なり、そのグローブについた魔石を使えばいい」
一連の戦闘の中、金髪が魔法を使用する素振りも見せないことは少し疑問だった。実は装飾品である可能性もあるかと考えたが、金髪が否定しない辺り魔石であることは間違いないらしい。
「間違いないね。この世界じゃあ、格闘技の経験なんて見世物にもならない。ここに来たばかりの頃は全く困ったものさ」
「思わせぶりなこと言ってる時に悪いが、俺はあんたの昔話に興味はない。その珍しい格闘技とやらの出自は気になるけど、後で格子越しに聞けば済む話だ。勿論牢屋側に立つのはお前。質問するのも俺だ」
「そうか、私は君に興味があったんだが。君の戦闘への躊躇の無さというか、手段を選ばない点については惹かれるものがある。そうだ、名前を聞いてもいいかい?」
「あ!?……アッシュだよ。アッシュ。お前は?」
「レイモンドだ。君の事は気に入ったし仲良くしていきたい、気軽にレイと呼んでくれ」
「オッケー、ロリコン。言っとくがお前の事は嫌いだし殺すつもりだからよろしく」
「ふふふ、やはり面白い。だがお喋りで時間を潰すのもそろそろ限界かな?」
その一言を第二ラウンドのゴング代わりに、両者は再び、今度は同時に足を敵へ向けて踏み出した。
アッシュとレイモンドが拳を交えるのと同時刻、リオは小部屋の更に奥の薄暗い廊下を先へ走っていた。リーベは横にはいない。彼女はリオ達が来た道を逆行し、廃墟の1階部分に隠れてもらうことにした。この先に待ち受ける危険を考えれば、一人にすることで彼女が抱える不安を差し引いても、合理的な案だと思ったからだ。幸い1階部分にはモンスター避けの芳香剤の備蓄もあり、そもそも廃墟の周囲に目立ったモンスターの痕跡は無かった。とはいえ年端もいかない、しかも直前まで誘拐されていた少女を再び孤独に追いやったことは我ながら情けない。
いや、この一件だけではないか、と考え直す。ここ最近のリオは無力感を実感するばかりだ。サマナでもされるがまま、昨日のチューリップだってリオに実力があれば花畑を壊さず凍結できたかもしれないのに。いいやリオよ、ネガティブに捉えてはいけない。なんたってお前はまだ15歳、騎士団ではまだまだひよっ子だ。それに本部団員でもないのに、自分に求める実力が高すぎやしないか?自分で自分に問いかけ、無理やり思考を上向きに修正する。ほらほら、見て御覧よ目の前を。明るい光が見えるだろう?あれはただ明るいだけじゃない、お前の行く眩しい将来そのものなのさ。
「いや、あれは出口だよ。外の日の光だ。廃墟からはそんなに離れてなさそうかな。……、てあれ?今誰かと話してた?」
気のせいだろうか、自分の中にもう一つの人格が有るような、浮遊するような感覚が脳を抜けていったような。気の迷いの類だと良いな、なにせ徹夜明けだ。そんな事を考えながら古びた石の門の出口をくぐると、広がっていたのは廃墟周辺とさほど変わらないやや傾斜のついた森の風景だった。廃墟周辺より人の手が入っていない地域らしく、人の通った形跡はない。足元ではリオを避けるように蜥蜴が這いまわっている。そして木々の合間に隠れるような迷彩色の幌の馬車を目にとめた瞬間、自身の鼓動が早まっていくのを感じた。
周囲には子供の小さな足跡。あれが逃走用の馬車なのだろう。そこまで考えた所で、甲高い音が周囲に響いてリオの視界が暗闇一色に染まった。この感覚には覚えがある。つい先日、サマナで感じた不快感と全く同じものだ。
「はーい、そこまで。何日かぶりね、君の顔は覚えてるよ、サマナにいた騎士でしょう」
「くそっ、目が見えない。その声は知ってるぞ、シオンがそこにいるのか?なんでこんな所に!?」
「ん?そうそう、シオンで~す。アッシュは早速私を追いかけてここまで来たわけだ。んで君は特対者のお付きって所かな。ついてきたのは君だけ?もしそうなら拍子抜けだけど」
「そう言ってられるのも今だけさ。騎士団はお前等カルテッロの動きを重く見てる。本部の大部隊が今まさにこっちに向かってるんだぜ」
根拠は全く無い。自分が厄介払いのために任務を課されている事も自覚の上。それでも目の前の標的に少しでも動揺を与える。そのためのハッタリだ。
「そりゃ街を4つも襲えばねえ。それにビトーニヤ潰すって宣言したっしょ?より大舞台になるのは大歓迎」
「よ、4つ!?」
動揺を与えられたのはリオの方だった。
「うん。最初がサマナでしょ。次にバリミアとフシャーミー。昨日の夜にナハトがデネボリアをやった筈だからそれで4つ」
「そんな馬鹿な……」
敵の規模がそれなりに大きいことは予想していた。騎士団本部を襲った中で確認できたのは目の前にいるシオンに本館を破壊したナハトの2人のみ。とはいえ街に火を放ち大規模火災を引き起こした工作員もいる筈で、国家権力を襲うやり口からして愉快犯の類ではないだろう。質と量を兼ね備えた組織による計画的犯行、というのがリオの見方だったが、まさか1週間の内にそのまでの被害を出しているとは考えていなかった。
「あなた達が顔を知ってるのがナハトさんと私ってだけ。仲間は他にいるし、まだまだ半分も終わってないよ。いやー、休む暇もないね」
恐らく側に座り込んでいるのだろうシオンは、週末に詰め込んだ用事を片付けるように軽い口調で語った。
「なぜ騎士団を襲う?何か伝いたい主義主張でもあるのか?」
「それは秘密」
「ビトーニヤが最終目標って言ってたな。狙いは祭か?それともそこに集まる人か?」
「ん〜、それは半分正解っていうか、また別件っていうか。まあ私も祭に行くし、アッシュと遊ぶのもいいかなって気分。で、なんでここにいるのって質問に答えてなかったね。本当びっくりしたよ、昨日の夜中に妙な魔力の気配を感じてパッシェに寄ったら、大っきなチューリップは暴れてるしなんか子供が拐われてるしで。いろいろ起こっててヤバいなーって思って。てか何ブツブツ言ってるの?相槌になってないよ、ソレ」
シオンが油断して話し続けてくれたのは都合が良かった。相手の術中に呆気なく嵌る、遥かに格下のリオだからこそ隙を作り、敵の計画の一部を聞き出すことができた。ある意味アッシュには出来ない芸当だな、と自嘲しながらリオは詠唱を口元で完成させ、体内に迸る魔力を周囲に拡散させた。
「シェロピウス・フリージョン!!」
リオの周囲に雪の結晶を模した魔法陣が複数展開し、反時計周りに回転しながら冷気を振りまく。冷気に触れた物体はその表面を薄い氷の膜で覆われ、微動だにしない氷像と化してゆく。土を、草を、木を、小動物を。全てを飲み込み凍結させる魔力の激流は放射状に広がり、リオのすぐ傍に座り込んでいたであろうシオンも容赦なく飲み込んだ。直接敵に触れない魔法使いであっても、手応えというものはある。
「思ったより氷の回りが早いね。なるほどぉ、私が話してる間に詠唱してたのか、油断してたなあ」
「君が目を見えなくさせてくる事は分かってたからね。周囲を丸ごと凍らせれば関係ないって訳さ」
「馬車には子供がいるんだぜ?子供に当たったらどうするのさ」
「この魔法は拘束用だ。当たっても致命傷にはならないし、それにアッシュが追い付いてくる。氷漬けにした君を捕まえるのは簡単だろうね」
「ふぅん、致命傷にならない、か。まあいいわ。大味だけど理にかなってるんじゃない?」
どこまで本気なのか分からないが、氷を通して伝わってくる感覚ではシオンが暴れ出す様子もない。肩から下が凍り付いている筈だろうに随分と落ち着いた口調だ。視力の効かない今となっては、氷の感覚と彼女の言葉を信じるしかない。あの金髪は強そうだったけど、早く倒して駆け付けてくれよ。見えもしない朝日の方へ顔を向け、リオは友の無事を願った。




