作戦シグマ
びしょ濡れの幾瀬を無理やり連れて来たんだからそれくらい予想出来た筈なのに、想像以上の生々しさを感じて俺は思わず生唾を飲み込んだ。
「……覗いたりするんじゃないわよ?」
俺の顔色が変わったのに気付いたか、母さんが言わなくて良い事を言って煽る。極めて楽しそうである。
「しねぇし!」
そう吐き捨て、俺はしばし二階の自室へ籠った。
そうだ、そもそも幾瀬を無理やり家へ上がらせたのはあり得ないラッキースケベを期待しての事じゃない。幾瀬をあのまま放っておけなかったってのが第一だが、とにかくブルマを見られたからと言ってそれはそこまで重大な事じゃないんだって分かってもらわないといけないんだ。
幾瀬との今後を今のうちから母さんに公認してもらう為でももちろんないのであんなに上機嫌になってもらっても困る。
さてどうしたのもか……。
着替えを済ませて今後の行動を慎重に考えていたところへ、濡れた学生カバンの中からスマホのバイブ音が鳴り続けているのに気が付いた。
発信者は田中友城。俺の親友からだった。
「もしも……」
『色は?』
「紺」
『ラインは?』
「二本」
『体操着は?』
「ブルマ!」
『ブルーマ~~~!』
「うえーい」
『うえ~い』
「いやうえーいじゃない! 何だよ友城、俺は今ちょっと取り込み中でだな……」
『なぁお前もううち着いたろ? オンゲ繋げようぜ?』
惰性でいつもの一連をやり取りした後、友城が俺をゲームへと誘ってくる。今二人でハマっているオンラインゲームだ。ああ、もちろん休校が決まった時点で今日は散々遊ぶつもりでいたさ! 俺にこのゲームをやる以外に優先しなきゃならない事なんてないと思っていたさ!
「悪い友城! 今それどころじゃないんだ、理由は……言えたら言う! じゃあな!」
まだ友城が何か言い掛けているのは分かっていたが俺は一方的にスマホを切ってしまった。
すまない……友城……お前は俺の一番の親友だ、それに間違いはない。でも今本当にそれどころじゃないんだ。それにもし……もし俺だけが本物のブルマを見たなんて言ったら俺達の友情にヒビが入らないだろうか。……っ馬鹿な! 友城はそんなケチな男じゃない! もっとあいつを信じるんだ! じゃない! 今考えなきゃいけないのはそう言う事じゃない! どうやって幾瀬の誤解を解くかなんだ!
「奏介ーっ! 小春ちゃん温まったからあんたもシャワーしちゃいなさ~い?」
結局考えは纏まらないまま、一階から母さんの声が聞こえてきた。思ってたよりもずっと早い。遠慮してろくに温まらなかったんじゃないか……? ところで今母さん幾瀬の事小春ちゃんとか呼んでた? 何グイグイ距離詰めてんだよ。
のろのろと下へ降りてリビングを覗くと、幾瀬が母さんのだせぇトレーナーを着せられてちょこんとソファーに座っていた。初めて母さんが着ているのを見た時は、なんだそのトレーナーくっそだせぇと思ったものだったが……こうしてみると悪くないと思える。ポップなコーヒーカップのイラストの上に、ブルーマウンテンとプリントしてある。なるほどな、今気付いた。悪くないよそれ、ブルーマウンテン。
「さ、どうぞ小春ちゃん。ミルクティー煎れたから内側からもちゃあんと温まってね」
「あ……ありがとうございます……」
母さんが要人用だと言って決して使おうとしなかったティーカップを幾瀬に出してやっている。うちにいつ要人が来るんだよと思っていたが今がその時らしい。てかそこはミルクティーじゃなくてブルーマウンテン、略してブルマンじゃないのかよ。
「奏介、何ボーっとしてんの。後であんたにも煎れてあげるから早くシャワー行ってきなさいよ」
「ああ、ちゃんと拭いたし、俺別にシャワー良いよ」
「ダメッ! 風邪ひく!」
母さんが大声を出して断固俺のシャワー拒否を許さない。そしてリビングの入り口で佇んだままの俺にカサカサと近寄って来て先程の大声とは対極に耳元でこう囁いた。
「入ってる間に勝手に送ってったりしないから安心しなさい! 母さんちゃんと引き止め作戦シグマ決行してるからっ!」
「……後でちゃんと二人きりにしてくれよな」
「ぷふーっっ!! ぶふふっ……りょ!」
耳元で吹き出されて、りょ! とか言われて、ちっちゃく敬礼ポーズまでされて極めて鬱陶しいがここは大人しく従うか。作戦シグマが何なのか、どうしてシグマなのかは面倒臭いのでスルー。




