村上義清の今について
風間影子死亡の報を知り、小僧丸は現場の河原は走る。一行も全員後に従った。野次馬が何十人かいた。確認は小笠原光子と頼貞の姉弟が行い、影子と確認した。小僧丸、功右衛門、宣三ら子供達は、頼貞の家来衆5名の後ろにつかされた。遺体を見せないためである。
小僧丸は震えて泣いた。
「な、な、なんでこうなった? それがしのせいか?」
「ち、ちがいます」功右衛門は慰めた。
宣三は涙ながらに怒った。
「畜生っ、誰がやった!」
ここから野次馬の、男たちの雰囲気がおかしくなった。
「おいこいたつら三階菱だぞ」
「南のスズメどもか!」
誰もが小僧丸たちを嘲笑う。
「大塔では我らに負け、塩尻峠では甲斐の山猿に負け、次は誰に負けたんだ?」「守護のくせに根無草」「南のクズは殺されて当然」
等々、誹謗中傷が飛び交った。小僧丸が気がついたら、野次馬たちに囲まれていた。女子供は後ろの方に下がって、怒り立つ男どもに怯える。小僧丸たちにとっては、身の毛がよだつ。
「よーし、南の負け犬さんがお揃いだ。ご挨拶代わりに大塔合戦の再現でもしようか」
「賛成」「いいね」「痛ぶったれ」等々、全員が獰猛な表情かつ、馬鹿笑いしながら賛同者した。老若男女みなである。野次馬たちは拳を握り出し、棒や足を掴む。要は集団リンチだ。小僧丸一行は小僧丸を守るように円となった。頼貞と5人の家来は鞘に手を当てる。野次馬はそんな脅しに乗らない。
「オレたち斬ったら裁かれるぜ。オレ達がお前らをなぶり殺しにしても無罪になるけどな」
頼貞は警告する。
「今の小笠原と村上は親戚だぞ。触れたら罰せられるぞ!」
野次馬たちは聞かない。
「殿様がいなければどうってことはねぇ! 散歩中に川に溺れて死んだことにしといてやる」
まさに喧嘩になろうとしたその瞬間、揉め事の外側から野次馬に知らせる。
「殿様が帰ってきたぞ! もうそこまで来てる!」
野次馬たちは「は、早すぎる!?」と動揺した。村上勢3000は千曲川対岸まで来ていた。信じられないと疑いながらも旗指物が村上軍のものだから、信じるしかなかった。
野次馬たちは一目散に四散した。
小僧丸たちは助かった。頼貞の家来たちが影子の亡骸を丁重に、寺へ運んだ。
夜、小僧丸は村上義清に呼ばれ、義清の自室で密会する。義清は少し気難しい表情だった。小僧丸は息を呑んだ。
義清は小僧丸を座らせてから、話しを始めた。
「これで援軍の約束は果たした。明日にでも平瀬へ帰ってくれ」
「え?」
「早いとでも?」
「は、はい」
「ま、そうだな。出来れば小笠原再興のために戦いたかったのだが、叶わなかった。理由は2つある。1度しか言わない。書面にもしない。だからよく覚えて、長時殿に伝えろ」
「は、はい……」
「ひとつめは、義利だ……」
「御嫡子さまが、なにか?」
「奴はワシの追放を狙ってる」
「え?」小僧丸は驚いた。
義清は「静かに」と促す。
小僧丸は口を両手で当てながら、頷いた。
「義利は鎌倉幕府滅亡以来、信濃南北180年の争いに終わりに告げさせるために産まれた男だ。いや、そのはずだった。村上と小笠原両方の血を入れた嫡男だからな。しかし義利は頭の固い老人たちの教えや、周りの雰囲気に呑まれてしまった。だからワシと重藤が夢見た信濃一和の希望は、今や虫の息となっている」
「お、小笠原の血があるのにですか?」
「ああ、義利はそのことを恥じている。恨んでもいる。だからこそ奴は余計に、大塔の誇りとやらに固執した。周りの期待に応えるべく、過激にな」
「追放って、武田晴信みたいですね」
「その通りだ。奴はまさに武田晴信がやらかした、天文10年武田信虎追放劇の真似をしたがってる。義利は隠してるつもりだろうが、バレバレなんだよ。ワシが小笠原から嫁を取り、慕い、両家が手を取り合って信濃の平和を目指す。しかし、みんなそれが何より一番許せないというんだ」
「お、大塔の誇りですか?」
「ああ。しかしあんなもの150年前のいくさだろ。生きて事実を伝える者など誰もいない。だから時が経つにつれて、その誇りとやらは奇妙なまでに歪んでしまった」
「ひ、ひどいです……」小僧丸は小声で義清を心配した。
「ワシが活躍して小笠原が再興されたら、ワシの追放先が復活することにもなる。だから平瀬まで来たら目標達成として、すぐに帰った。困った小笠原のために一肌脱いでやろうなんて思いやれる連中など、指で数えられる程度しかいないからな」
「ひ、酷いです!」小僧丸は強い口調で義清を睨んだ。
義清も、そこは認めた。
「そうだな。しかしワシも人の子だ。我が身を守らねばならない。あんな奴らでも、意は汲まねばならん。ワシがこれまで他家との約束を守らなかった1番の理由は、義利と追放派に隙を見せてはいけないためだ。いくら南北の差別が激しくとも、北と南の関係は少しづつ良くなってきたのだ。ワシと重藤が二人三脚で、身を粉なしてここまで築いた。強がる男どもは兎も角、女子供たちの理解が広まってるのだ。だから、未来の芽はちゃんとあるのだ。今更、諦められてたまるものか!」
小僧丸は義清の熱意に押された。小僧丸は理解した。
ーー村上家は蛮族といわれても、義清さまは違うんだ。いろいろと考えておられる。
印象が変わる。確かに豪傑だが、紳士でもあった。義清は話を続ける。
「ワシの追放を最も望んでいるのは義利じゃない。武田晴信だ。義利も古い頭の連中も、そこが分かってない。いや、義利は利用されてるだけで、追放派には既に武田の毒牙に染められてるのかもな。清野清秀のように」
「じ、しゃあ、どうしろと?」
「今ある戦力で踏ん張って、現状を保て。小笠原には我らにはない強みがあるだろ。外交力だよ。長時殿は短気とはいえ顔が広い。そこを活かせ。ワシの強みは武田と2度戦い、2度勝った実績だ。だが、どちらも戦力は削がれた。とくに今回は清野だ。奴は三家老のひとりだぞ」
「…………」小僧丸は言葉が出ない。
「じゃあ、二つ目の理由を言うぞ。心して聞け」
「は、はいっ」小僧丸の肩肘が上がった。
義清は大きく呼吸してから、言った。
「重藤は既に死んでいる。昨年、重い病のせいでな」
「え、えええっ!」
「シーッ」義清は人差し指を小僧丸の唇に当てる。
「あ、はい……」小僧丸は口をへの字に閉じた。
「重藤の遺言なんだよ。三年喪秘してくれってな」
「も、もひ……」
「死んでもあと3年は、嘘でもいいから生きてることにしてくれということだ。この意味、分かるよな?」
「い、いいえ……」
「そうか、まあよい。妻が死んだら盟約は終わりなんだよ」
「え?」
「ならば選択は2つ、盟約を終えるか続けるかだ。続けたければ、ワシが後妻を貰うか、義利に正室を出すかワシが長隆殿に正室を送るかになる。しかしどれも選べないから、非常手段を取ったということだ」
「それが、死んでも生きてることにする三年喪秘……」
「そうだ。義利にも小僧殿のような頭の柔らかさがあればのう……」
「は、はぁ……」
「その3年で盟約を組み直さねばならんのに、まだ始めることすら出来てない。でもな、長時殿は昨年、つまり重藤が病で死んだ同じ年、長棟(長時父)殿の病死を隠さず正直に公表した。あれはダメだ。だから小笠原は滅んだのだ。塩尻峠の負け戦さのみが理由ではない」
「なんで正直が良くないのですか?」
「長棟殿は小笠原中興の祖と讃えられたほどの英傑だぞ。鈴岡の小笠原を復興させたのみならず、人付き合いの悪い木曽義康との仲を良くしたり、武田の先代や越後守護の上杉とも上手くやった。このワシとて正室と高い身分をエサに丸め込まれたほどだ。ま、素直に欲しかったけどな。そんな実績の持ち主だ。死んでないことにすれば、敵も迂闊に手を出せない。みんな長棟殿から貰った貸しを返したくてたまらんのだよ。3年の期間があれば家の再構築くらいできるだろ。そんな大事な時間を長時は、迂闊にも捨ててしまった。これが、嘘でも生きてることにする政治の大切さだ」
「は、はい……」
「長時殿、死んだ長棟殿と比較され、劣ると苦悩している気持ちは分かってるつもりだ。名高き小笠原流の武家礼法も、口うるさいスズメもいいが、政治をやるならもっと腹黒くなれ。ワシがカラスと揶揄されてるようにな」
「む、村上さまは、この後も小笠原家と協力するのですか?」
義清は一息いれてから、はっきり答えた。
「当然だ。そのための三年喪秘なんだぞ。家中の誰もが歪んだ小笠原嫌いのなか、屋代政国が我が方に理解してくれたのは大きい。奴の領地の近くには赤沢の小笠原がいる。渡河場管理の分け合いとか、色々あるからな」
「ああ、なるほど」
「だがな、大塔の歪みは南も同じだ。お互い様だ。小僧殿は幸いにも見られないが、他がしっかり濁ってやがる……」
「ならなぜ、幼い某にこんな難しい話をするのですか? こんなに沢山話されては、村上さまの伝えたいことは父上に伝わりません」
「ワシが人質に指名したのは、そなただ。供の者ではない」
「わ、分かりました。その代わり、父上に伝わらなくても某を責めないでください」
と言い残し、小僧丸は立つ。
「待て」義清は止める。
「なにか?」小僧丸は尋ねる。
「ああ……。源吾は、どう思った?」
これは政治や外交の話ではない。父親としての発言だと察知した。小僧丸は、素直に答えて良いものだと理解した。
「某も臆病者です。お家が滅んだ時の悪い夢を、いまだに見ます……」
「そうか、同類か……。いや、少し違う気がする」
「え?」
「小僧殿の臆病は他人を意識してない。強いていうなら武田晴信くらいだろう。しかし源吾のはな、完全に人見知りなんだ」
「そ、そうですか……。もっとお話がしたかったです。あ、源吾さまは(重藤の死を)知ってるのですか?」
「義利に教えてないものを、源吾に教えられんわい。知ってるのはワシと於フ子と、小笠原から来た女中連中のみだ」
「じ、実の母親じゃないですな……」
「身内が死んだ。こんな当たり前のことをちゃんと教えられないのが、今の村上家の苦しい事情なんだよ。源吾は、義利や周りの古い連中を恐れてる。年端もいかない稚児に大塔の誇りなんて毒薬だ。南の連中を虫ケラのように殴れ、蹴れ、殺せと叫んで喜んでるのだ。昔の義利もそれを怖がっていたが、悪い方向で克服しやがって……」
小僧丸も長隆は苦手だ。でも、義清のぼやきはアドバイスと捉えた。恐怖を悪い方向で克服するな。それはつまり良い方向で克服しろ、と。義利は反面教師だ。しかし、身をもって教えてくれる者など何処にいるのだろう? 少なくとも自分の周りにはいない。尊敬する長時も長隆も、そこまでの人物とは思えない。これはこれまで歩んできた人生が大きく左右する。もしそんな人物に巡り会えたら、小僧丸は立派な男になれる。そう思えた。
義清は最後にひとつ言う。
「重藤の女中共は、皮肉にも村上家存亡の鍵だ。あと一年ほどはな。故に、半ば幽閉のような隔離生活をさせてるが、来年、葬儀が終われば必ず返してやる。武水別大神に誓ってもいい。ここは流石にカラスにならんぞ」
義清の表情が緩んだ。小僧丸はホッとした。
「はい。分かりました。ありがとうございます」
こうして小僧丸の人質生活は、終わる。
しかし、影子殺しの犯人は見つからなかった。
小僧丸がいなくなった義清の自室にて。
於フ子「殿、何故あんなに早く戻られたのですか?」
義清「見え見えなんだよ。ああなるって」
於フ子「じゃあ、最初から?」
義清「最初から士気の低い軍勢だ。乱取りでよかろう」
於フ子「長時様、お怒りでしょう」
義清「まあな。でもな、あの女を殺したのはお前……、いや、誰かに殺せと指示したのはお前であろう?」
於フ子「……だとしたら、どうされるのですか?」
義清「誰であれ、事件の捜索はしない。それで良かろう」
於フ子「そのようなことをしたら、大変です」
義清「信濃の平和は、村上と小笠原が喧嘩して成すものではない。協力して成すものだ」
於フ子「はいはいそうですね。さすが殿様。お母上が幕府副将軍(斯波義寛)の姫様だけのことはあります」
義清「お前も周りに溺れるな。周りを見渡せる女になれ。母上も重藤も、そういう女だったぞ」
於フ子「分かりましたが、高梨家は何処かの武衛家(斯波義寛の子、義達が当主を務める斯波家)のように、織田某という家来の家来ごときに全てを奪われるほど落ちぶれてはいません」
於フ子は厳しい目つきをしながら黙った。




