主のいない坂城
村上家居館の奥主殿、襖を閉じていなければ良き日の当たる部屋。小僧丸たちは於フ子立ち会いの下、廊下からの声がけを行った。
「お、叔母うえさま、おひさしゅうございます。小僧です。5歳になりました。聞こえるでしょうか?」
小僧丸の後ろにいる小笠原光子と風間影子も声をかけた。
「重藤様、光子です。藤菜さま付きの女中の、光子です」
「影子です。5年前の、あの和やかだった思い出話をしとうございます」
少しばかり静かだったが、襖の向こうから重藤夫人の声が聞こえた。
「み、みんな、久しいのう……。会いたいのう……。じゃが、無理よのう……」
於フ子の表情がすこし陰りを見せるも、すぐに直す。
小僧丸は重藤夫人に促す。
「ならば叔母うえ、ここでお話しましょう」
重藤は、か細い声で断る。
「そうしたいが、無理。すこし、疲れました……」
於フ子はホッとし、小僧丸たちを引き留めた。
「ここまででいいでしょう。お方様はあのように、一言語るだけでも大変お疲れになるのです。さ、さ、お部屋までご案内しますので、着いてきてください」
小僧丸たちの預かり場所は、館の北を少し歩いた寺町にある大英寺だった。町一番の伽藍を誇ってるという。
小僧丸は先着していた小笠原貞頼らと合流する。貞頼が小僧丸に感想を求めた。
「若様、どうでした?」
「会えなかったけど、お声が聞けてよかった」
小僧丸は暖かい微笑みが出ていた。
しかし、光子と影子は難しい表情だった。
光子から言う。
「なんといいますか? なにか違うんですよ。いや、ご病気だからそうなるのでしょうか?」
あくまでも雰囲気での感想だった。でも、影子のほうが具体的だった。
「あれは女中頭、弦輪様の声かもしれません」
「つるわ……あ、そっか!」光子は気づいた。
「そうです。弦輪様はお方様の声真似がとてもお上手です。世間話などすれば所々で声真似を入れて、和ませていました」
頼貞は問う。
「影子殿。なにがどう違うのだ?」
影子は予想だが、語った。
「弦輪様、たしか今は70と……、2歳かな? ご長寿です。今日聞いたお方様の声、よく聞けばですが、張りがないといいますか、コモリといいますか、ほおの垂れたお年寄りの声によくある、滑舌の柔らかさと悪さがありました」
「かつぜつ?」
「はい。お方様はお年をめしてるとはいえ40代、未だそういうお年ではないでしょう」
光子は気づかなかった。
「よくわかったね。重藤さまとは5年前のあの時、いっぱいおしゃべりしたんだけどね。ま、成女式を済ませたばかりの頃だったけど」
「おそらく、無理して声を張ってるのだと思います。そもそも自分の声ではないのですから」
頼貞は黙って腕組みする。小僧丸は不安になった。
「じゃ、じゃあ、叔母うえは?」
周り全体が静かになる。みんな同じことを思えど、言葉にするのを恐れた。
ここで源吾到着の連絡がきた。
小僧丸たちの部屋に現れた村上源吾は、緊張しているのか、大人しかった。体格は大熊で性格はカラスみたいな義清と、目つきの悪い義利。あとは野獣のような家来衆。源吾はそんな村上家らしからぬ、普通の人っぽい。小僧丸も性格は大人しいほうだが、気が弱いのかもしれない。ともかく第一印象はそうだった。源吾は頭を下げて小僧丸に挨拶する。
「む、村上左近衛少将が五男、源吾です……」たどたどしい。
「小笠原大善大夫兼信濃守が三男。小僧です。源吾どのにひとつ聞きたいことがあるのですけど」
「は、はい……」源吾は頭を上げた。
小僧丸は、本当なら生まれた頃は一緒だったことなど、記憶なき昔話で盛り上がりたかったが、やっぱり容体を聞くしかなかった。
「叔母うえは、源吾どのの母上に会ってますか?」
「い、いいえ……」
「いつからですか?」
「二年ほど……」
「そんなに!」
「兄うえも、みんなそう」
「見舞ってる人はいるのですか?」
「父うえと、付女中のみなさんと、薬師の先生と、後は誰だろ?」
「叔母うえに会えなくても、看病してる女中の誰かには会えないのですか?」
「う、うん……?」
「何故です?」
「わ、分からない。でも、某も兄上も姉上も、とにかくみんな会わせてもらえないんだ。お風邪がうつると死ぬからだって言われた」
「義清様に?」
「うん。強く命令された……」
血縁でも会えないのか? 昨年、小僧丸の祖父、小笠原長棟が病死したとき、死に際に立ち合わせたことがある。だからこれは、なにかが不自然だ。小僧丸一行みんなも怪しんだ。できれば問い詰めたいが、源吾の挙動不審な態度に、これ以上の質問をしてはいけないと判断する。
光子は立ち上がって決める。
「じゃあ、弦輪殿に会いましょう」
そう言って実行する。影子も「私も行きます」と、光子に付き合った。奥屋敷の入口で於フ子が待ち構えていた。
「ダメです。帰ってくだされ」
と、つよく睨まれた。弦輪どころか、女中衆の誰一人も会わせてもらえずに、小僧丸の下に戻った。
影は文句を放つ。
「なんであんな執拗に会わせないの? 女中くらいいいはずですよ。まるで何が隠してるみたい。おかしいですよ!」
確かにそうだが、これ以上首を突っ込むと嫌な予感もする。小僧丸はこの感覚が敏感なので、判断する。
「い、いまは怖いから、大人しくしようよ……」
「そうですね」影子は頷いた。
重藤夫人の面会は、日を改めよう。あと、小僧丸は、お互いの出生について語り合うことを忘れた。
小僧丸は長時から、人質の間は何もしなくて良いと言われていた。しかしそれは、日常をサボるなという意味ではない。暇な時は宣三と功右衛門とで、武芸と学問は怠らない。
砥石城合戦の村上義清勝利で、信濃国内で大きな揺り戻し現象が起きた。武田家に降伏していた筑摩郡の国衆や豪族たちの何名かが、平瀬城に馳せ参じてくれたのだ。とくに伊那郡箕輪の領主藤沢頼親が帰ってきてくれたことは、小笠原の皆が喜んだ。藤沢頼親は小笠原長時の妹の夫である。甲州軍団は外様衆をこき使う。味方の背中を弓で射る連中だ。武田軍が勝ってるときは譜代の侍大将から甲州人の雑兵までみんな、図に乗って威張れるが、負ければ好奇到来と、信濃の勢力たちは武田を見限るのみだ。これはドミノ倒しのように一気に崩れるかと思いきや、そこまではならなかった。勝った者は村上だ。義清を総大将とした北信濃連合だ。そんな奴らは中南信の者たちには罵詈雑言を浴びせる連中である。故に足踏みをさたのだろう。武田と村上とを比べたら、どちらが小勢力たちを大切にしてくれるだろうか?
武田である。憎むべき敵とはいえ分国法を持つ法治大名である。力が正義とばかりに怒り立つ村上家では影響力が削がれてしまうのだ。
10月22日、村上義清、義利親子は兵3000を率いて、平瀬をめざし、坂城を出陣した。義清は気難しい表情で、義利は嫌々があからさまだった。留守は於フ子が務める。これで館内の警備が下がる。貞頼は促す。
「若様、今です」
「うん。見つからないように」小僧丸は認め、光子と影子が動いた。
於フ子が小僧丸の下へ来た。光子と影子を引き連れて。於フ子は激しく怒っていた。
「いい加減にして。こっちはこう見えても、必死になって貴方たちを毛嫌いする連中を引き止めてるんですよ。これ以上ウロウロしたら、側室の力をもっても止められなくなる。私だって、長時様が殿と兄上との仲を取り戻してくれたのは感謝してる。重藤様には色々と良くしてもらった。だからここでは、私みたいに、小笠原を見下さない者のほうが珍しいんだからね。このお寺の外を出たら、誰かに殴られると思って!」
と、涙ながらに文句を言い散らして、帰った。於フ子に守られているのは分かっていた。しかし重藤の安否確認は長時の密命だ。この目で見るまでそれは成し得ない。
「ど、とうする?」小僧丸は悩んだ。
功右衛門も宣三も悩む。身の危険すら感じたから。ならば頼貞は提案する。
「重藤様に会う。御館様でも出来なかったのです。ならば、あちらが良しと言うまで大人しくするしかありません」
「そっか。そうだよな……」小僧丸は素直に受け入れた。
日が変わり、霧の朝、影子は寺の手伝いで山門の掃き掃除をしていたら、村上家の女中らしき女が現れ、周囲を警戒しながら小声で影子を誘う。
「あ、あなた、小笠原の人でしょ。お方様が会いたいって。可哀想だから会わせたいのですけど……」
「え?」
「どうします?」
「あなたは、誰?」
「お方様付女中の……(聞き取れなかった)ミです」
「重藤様の? 待ってて。光子様も呼びますから」
「ダメ、急ぎなのです。他の者に気取られたら、邪魔が入って会えなくなります」
「わ、分かった」
影子は女について行き、寺を出た。
霧が晴れても影子は帰ってこない。小笠原のみんなは心配した。しかし翌日早朝、千曲川河川敷で影子の遺体が発見された。




