判断が遅すぎる
8月に入ると、新たな深志城の縄張りの、おおよそが分かってきた。
坂西氏時代の旧深志城は北側を流れる現女鳥羽川と、南側を流れる旧女鳥羽川の狭間、堅い地盤に築かれた中洲のような平城だ。旧城では城内の東西2つに郭に分かれていたが、新城ではひとつの本郭とするため、整地と盛り土を行う。城の南西側の池も水堀代わりにしてるが、これが外堀ではなく内堀になる。新城は旧城の三方、東西南に新たな二の郭が築かれる。二の郭の南を流れる田川が外堀代わりとなる。しかし、二の郭東側の地盤は問題ないが、西側は柔らかいのでしっかり地固めしなければならない。そして二の郭のまた東西南に、三の郭も設ける。新城の広さは、旧城の5から6倍になるという。
そして武田の新深志城には、三の郭の南、東、北東に3か所、〝丸馬出し〟という半円形の囮郭と、それを囲むような形をした堀、〝三日月堀〟という新たな防御機能を設ける。それは自然地形を巧みに利用した安上がりなものではない。最も守りやすい形を、人為的に地形を根本から変えて作るものだった。それは大層な資金がいるだろう。
物凄い普請工事となりそうだ。かなり計画的で、以前から考案されていたのだろう。だから、兵力というよりも労働力として2万も連れてきたのだろうか? いや、敵の中の甲州人は休んでる。重労働はもっぱら諏方郡や下伊那の衆である。ただ、賃金はそれなりに出ているようた。
2日、長時派の春日氏が武田に寝返った。犬甘城の麓の豪族である。
3日、夜から嵐が吹き荒れた。
4日、深志城の二の郭三の郭予定地が水浸しとなる。
5日、会田浦野の親小笠原派家来衆が武装蜂起し、近くの城に立て籠もり、長時側に出戻ってくれた。
10日、そんな彼らが武田軍に鎮圧された。長時は助けに行けず、悔しかった。
同じとき、長時は、京都のはずれの山城、中尾城にいる将軍足利義輝からの御内書を受け取った。長時は先月、まだ御家滅亡してない頃、義輝が名実共に足利公方家の主になった祝いとして、名馬と名刀を送っていた。その礼状だった。更に義輝の使者は義輝の言葉を伝えた。それは、半済地収入の1割を中尾城に回せという催促である。命令ではないため長時は丁重に断ったが、もしかして義輝は、小笠原宗家が滅亡した事実を知らないのだろうか? それはないと思うが……。
中旬に入ると、深志城周囲の水も引いたので、改造工事は再開される。これと同時に、現女鳥羽川の流路を南に変えて、田川に繋げるという案が持ち上がったようだ。
14日、平瀬城に三好長慶の使者なる坊主、半竹斎なる男が現れた。三好家にとって長時の小笠原宗家は本家だ。だから、滅亡は残念で悲しいという長慶の心配を伝えに来た。もうひとつ、生活費名義で、それなりに多額の資金も送られた。長時は長慶の心遣いに感謝したが、半竹斎の帰洛ついでに、義輝宛の書状を送ってほしいと頼んだ。内容は、武田晴信との停戦だ。義輝が小笠原宗家滅亡を周知の前提で書かれてある。半竹斎は手紙を受け取るに困惑するも、承知して受け取った。
なぜ半竹斎はためらったか? 答えは簡単。今、三好長慶と足利義輝は京都で交戦中だからだ。
長慶は今年の3月、足利義晴と義輝の親子を京都から放り出している。5月に義晴が病死した。
義輝は大人しく喪に服すと思われたが、逆に血気盛んで閏5月に軍勢を集め、6月には京都奪還のため中尾城に入った。
長慶はこれに対応するため、重臣たち数万もの大軍勢を率いて上洛させ、自身は一歩下がった山崎に本陣をたてていた。重臣たちの軍勢は、義輝の軍勢を蹴散らしながら京都を守り、今に至ってる。
話を戻し、この辺りから深志でとある噂が広まる。武田軍は小県郡の塩田平へ侵略するという。ならば攻撃対象は塩田城か?
17日、春日氏に隣接する落合氏が武田に出仕した。
18日、武田軍の第1陣が小県郡に向けて出陣した。侵略の目標は、じつは千曲川を越えた砥石城という声が沸いた。塩田か砥石か、情報が錯綜してる。
20日までに全軍が出陣した。深志城改造は馬場信春の駐留軍の下、地元民の力で続行された。
29日、武田軍の攻撃目標は砥石城と判明した。
9月に変わり1日、村上家3家老の一角だった清野清秀が武田に寝返った。
3日、屋代政国が長時の下に現れた。二人だけの会見だったはずだが、家来衆も子供たちも待ちきれなかったのか、多くのやじ馬が縁側や隣室の壁やふすまから聞き耳をたてていた。その中に小僧丸ら子供たちもいる。
長時はため息を吐いてから、切り出した。
「久しぶりだな、屋代殿」
本音では〝判断が遅すぎる〟と怒鳴りたいが、言葉に出さずに圧力で分からせる。政国も悟ったので低姿勢だった。村上義清から、そうするよう助言された可能性もあるが。
「せ、先日、清野が敵に寝返りまして。なので主命で、急ぎここまで……」
「作用か。ぞれは大変だな。で、村上様は?」
「ようやく折れました。これでは我ら、北の高梨と南の武田に挟まれて、上田原のように勝てません。どうか高梨様との仲裁をお頼み申します……」
「で?」
「和睦が成立すれば小笠原家再興のため、殿、御自らが出陣します」
「人質は?」
「相場ゆえ、お願いします……」
「うむ。信濃の守護たるこのワシが身内を出して良いというのだ。心してかかれよ」
「はい。本来ならご嫡子を人質にしたいのですが、家督を継がれたことで……」
「村上様は祝いの使者は出さないのか? 屋代殿の独断でも構わないから、早く中塔へ行け。歓迎してくれるぞ」
「ご、ご嫡子殿が守護になられたら、そのように……」
屋代政国はなかなかの言い訳をして去った。守護になるには幕府の許可と契約金がいる。今は幕府が機能してないうえ、長時にそんな大金などない。長時はカチンとくるも我慢して見逃した。それよりも大事なことがある。ここで長時は小僧丸たちを呼んだ。
「小僧、頼貞、宣三、功右衛門、ここに来なさい」
「は、はい!」
小僧丸たちは、やっと出番だと引き締めた。
4人は長時の前に座る。長時は追加で2名呼んだ。
「あと、小笠原光子と風間影子も部屋に入りなさい。残りの者は立ち去れ。大事な話がある」
2人とも二木藤菜の次女で、表向きは平瀬城の給仕不足で中塔から急遽、呼ばれていたが、本当はこのためだった。ちなみに光子は頼貞の姉でもある。野次馬たちは大人しく引き下がり、部屋も襖は閉じられ、静かになる。
長時は説明に入った。
「小僧の人質送りは想定の内だ。長隆を行かせない理由も大きいがな。ともかくあんな蛮族でも、丁重に扱わなければならないことくらい承知だろう。だから小僧は大人しくしておけ。3度の飯食らいと昼寝と夜寝、そんな毎日で構わない。だが、供の者どもは小僧をしっかり守れ。丁重は承知とはいえ蛮族は所詮、蛮族だからな。下手に信頼したら痛い目にあうぞ。それと光子と影子、2人には大事な密命がある」
光子は頷いた。影子は肩肘が立った。
長時は言う。
「昨年の秋以来、姉上からの書状が途絶えてる。村上様にも姉上に会わせてほしいと頼んだが、慌てるような顔つきで断られた。重い病と言っておられたが、どうも様子がおかしい。病とはいえ生きておれば良いのだが。だから、姉上をよく知る2人に、姉上の様子を探って欲しいのだ」
光子と影子は声を揃えて承知した。長時のいう姉とは村上義清の正室、重藤夫人を指す。
「わかりました」
小僧丸は問う。
「叔母うえが、どうかされましたか?」
長時は憶測で言えなかった
「……分からないからはっきりさせたいのだ」
歯に物が詰まったような不自然さだった。そんな長時の表情は、辛そうだった。
小僧丸も感じとり、心配になった。




