表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/11

村上家からの使者

 朝、敵の新拠点、深志城の大拡張工事が始まる日。武田晴信は周辺の村々から普請を命じ、集まらせたが、軍勢も一部が人夫として加わる。殆どが諏方郡や上伊那郡といった支配地域の者である。長時妹の嫁ぎ先である藤沢(ふじさわ)頼親(よりちか)高遠(たかとお)諏方家の諏方頼継など、その旗印が水堀の南側に見える。対して甲州の兵たちは、信濃府中で奪った物や人を従軍の商人から金に変えて休んでる。というか、遊んでいた。

 小笠原長時と犬甘政徳が放った忍びは人夫の姿で、あちこち点在する集団に散らばっている。その中のひとり、征矢野宗澄は小さな大手門に繋がる土橋の前にいた。仲間や見知らぬ村人とともに、作業開始の時間を待っていた。そこに浦野の旗と一行が現れる。宗澄は気づかれるとまずいので、できるだけ遠くに離れて眺めた。あの一行の、唯一の馬に乗る老人は、誰だかすぐに分かり、つぶやいた。


「う、浦野尚宗様じゃないか。ひざまづきに現れたのか?」


 それよりも、その後ろで歩かされている幼子が、妙に目立つ。征矢野宗澄はその子の顔を見て驚いた。


ーーそ、そ、曽寿丸様じゃあ!


 口を抑え、心の中で叫んだ。

 ここで武田の監視たちが現れ、人夫たちを場外の原っぱに集合させた。そこには現場監督と思われる男が仁王立ちしていた。


「ワシの名は教来石(きょうらいし)景政(かげまさ)あらため、馬場(ばば)信春(のぶはる)である!」


ーーなんだ、教来石って巨摩(こま)の薄汚い土豪じゃないか。


 宗澄は、大した出身の男ではないと判断するも、馬場信春は生まれ変わったと、高らかにいう。


「このワシは、先祖代々の夢だった一城の主を叶えた。これを契機に御館様より甲斐名門馬場家の名跡を頂き、改名した。すなわち、このワシが御館様より、深志の城代を任されたのだ。よってお前らは我が家来、我が民となる。この凛々しき顔、よっく覚えておけ!」


 凛々しいとは程遠い、強面だ。こののち信春は、長い説明をした。そのあと、仕事がはじまる。






 しばらく経ち、会田へ戻る一行のなかに、曽寿丸だけがいなかった。宗澄は心配し、考えた。


ーーもしや、売ったのか? お前にとっては、ひ孫だろ!


 信じられなかった。憤りたかったが、人夫に扮してる以上は、人夫として怪しまれずに仕事をしないとならない。宗澄は耐えるしかなかった。






 二十五日、長時が慌てて戻った。


「母上が曽寿を差し出しただと!? まことか?」


「え?」平瀬城の者たちは違和感がでた。


 長時は再度、問いただす。


「村上様に言われた。我が母は狐の如く、ワシらを化かされたと。幼い子供なら身分を問わずに可愛がっていたあの優しい母上が、そんなことあるまい……」


 動揺さえしていた。小笠原頼貞が長時に本当のことを伝えた。


「お、大殿様、曽寿丸様を敵に売り渡したのはジ様(尚宗(なおむね))です。宗澄が目撃しました。断じて大方様ではありません。大方様は会田の屋敷にずっと幽閉させられたままです。まるで罪人の如く、といいます」


「ま、まことか?」


「はい。忍びには三度、確認させました。会田の民はみんな知ってます。ですから、取るに足らない巷の噂です」


「信じてよいのか?」


「はい。あらゆる神仏に誓って」


「そうか。分かった……」


 長時はやっとひと息つけた。安心すると、怒りが込み上げる。


「しかし尚宗め、父上(長棟)のおかけで小笠原宗家の親戚になれた大恩があるにも関わらず、もののふの風上にも置けないジサマだ。前のように力さえあれば、一気に攻め滅ぼしてやれたのに!」


 長時は次に、村上家にも疑念を抱く。


「しかし義清様め、なんという情報収集の甘さじゃあ?」


 信じて損をした。小笠原宗家という大名は滅びても、長時の信濃守護職まで失ったわけではない。とはいえ、あんな村上義清でも敬語を使わなければならないのは、官位が従五位上の長時よりも高い、正四位上だからだ。普通、地方では、一番身分が高い者が守護職となるが、信濃はそうなってないから厄介だ。

 頼貞は長時に、結果報告を求めた。


「それで大殿様、村上様はなんと?」


「ダメだった」


「はやり……」


「ただな、今、武田の物見が塩田(しおた)平を物色してるらしい。侵略前の下調べだ。村上様はこれに対処せねばならない。だから、うかつに兵は貸せない。それが理由だ」


「武田め、我らの土地を奪ったついでに村上の塩田平まで盗む気か。ゴウツクバリめ」


「ここでは(いくさ)をやってないからな。力が有り余ってるのだろう」


「しかし村上様、某が生まれてから初めて道理で断りましたね。ならば、次点の木曽様に頼みますか?」


「木曽か。奴は動くと言いながら動かん。上伊那救援のときも、塩尻峠のときも、今回もじゃ」


「少し、引きこもり癖が過ぎやしませんか? 木曽にとっては、背中を守ってくれた我らが無くなって後顧の憂いができたのです。どんなアホでも目を覚ましますよ。大殿様がお許しくださるのなら、某が木曽に参って怒鳴りに行きましょう」


「お前は小僧丸の側にいろ。ともかく信定が、下伊那衆が無傷だったことは分かったのだ。信定が目を輝かせてるうちは、木曽は大人しい」


「はい」


 ここで平瀬義兼が報告がきた。村上義清の使者がやってきたという。長時は面会を許す。使者が部屋に入ると、長時は驚いた。


屋代(やしろ)政国(まさくに)殿か」


 村上家にはナンバーツー的な実力を持つ家老が3人いる。そんな実力者の一人がこの男だ。


「はい。実は小笠原様にお願いしたき相談がございまして……」


 頼貞は、とりあえず嫌味は言っておく。


「未だに150年も前の不味(まず)い酒(大塔合戦勝利)に酔いしれ、二言目には我らを蔑ろにする北の蛮族が、なんのご用ですか?」


「ぶ、無礼な! ワシはこうして頭を下げに来てやってるのだぞ」


「は? そなた正気か? 我が大殿とてつい先日、援軍を頼みに坂城に来た時、お前ら、好き放題に侮辱したあろう。同じ待遇をして何が悪い?」


「ワシはあの場にいなかった」


「ほう。家老の分際で引き止めることもせず、他責するとは見苦しい。そう言うからには、その場にいれば罵倒すると解釈して良いのだな。そなたら、我らの使者に向かっては束になって暴言を吐きまくっているのに、いざ自分が同じことをやられたら無礼と憤るって、矛盾してるよな?」


「我らが古来より埴科の地で栄えた。そなた達は鎌倉幕府の頃にやってきた余所者。一緒にするな!」


「重ねて言う。我が大殿は正々堂々一人でお前らと言い争ったが、村上家はいつも束でかかってくる。これ、一人じゃなにも出来ないということだろう。大の大人がみっともない。よってたかって溺れる者に石を投げるから、蛮族なんだよ」


「このガキ、言わせておけば!」


 頼貞と政国の喧嘩が始める前に、長時が止めた。


「頼貞、そこまでだ」


「御意!」


 頼貞は堂々と返事した。小笠原家は村上家と違って素直に終わる。律儀ある武士(もののふ)としてのアピールだった。

 長時は政国にむけ背筋を正し、堂々と言う。


「大事な要件があるから来たのであろう。ワシは信濃の守護じゃ。伺おう」


 政国は長時の上から目線にカチンとくるが、それは我慢するしかないので、急ぎ本題を語った。


「じ、実は高梨政頼様が武田に寝返りまして、それで、説得をお願いにと……」


「ほう、何故そうなった?」


「そ、それは、高梨様が甲州金に目がくらんで落ちたまで」


「確証になるもにはあるのか?」


「ありません。でも、そうに決まってます」


「なぜ?」


「なぜって、武田に下るものは皆、そうでしょう。皆がそう言ってる」


「では何故、越後(えちご)守護代の長尾(ながお)家は、この件に怒らないのじゃ? 高梨殿と長尾殿は親戚であろう。とくに今の若い当主、長尾景虎(かげとら)殿は合戦上手のみならず、清廉潔白な若者と聞く。裏切り事など我慢ならないはずじゃ。なのに長尾殿は、高梨殿を叱っていない。おかしいであろう」


「そ、それは……?」


 政国は言葉が詰まる。村上家と高梨家の問題は、これよりももっと足元にあった。長時はそこを指摘する。


「善光寺の近くにあるお互いの飛び地、何時になったら河川を改修する? 昨年秋の嵐で流路が変わるほど荒れたであろう。なのに今日まで一切なにもせず、ただ村上の農地が増えてバンザイでは、高梨殿は気が済まないはずだ。これ、土地争いでもよくある例だろ。ならば、過去の判例を照らし合わせられれば解決できるはずだ。あの川は千曲川の支流とはいえ、畑の水路と見分けがつかないほど細い。お互いに協力しあって工事すれば元に戻せるはずだ。お互い、そのくらいの財力はあるだろう。いい加減、己の掟とやらで周りを困らせないで、法の下で話し合え」


「ぐ……」政国は言葉が詰まる。


 長時は村上家の依頼を受ける。


「高梨殿への仲裁はする。ただし今述べたあの件は村上様が折れろ。それが出来てから、ワシを呼べ。仲裁というからには、土産がないと失礼であろう」


「は、はい……」


 政国は去った。

 頼貞はため息を吐く。


「これから頼ろうと思った高梨様まで、これか……」


「武田の調略は信濃全土に広がってる。これでは信濃に残る反武田を全て集めても、我が復興は困難するかもしれない……」


 長時は立ち上がり、縁側に出て、遠くにそびえる鉢森山を眺めた。あの山の向こうに木曽があり、そのはるかかなたの先に、京都がある。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ